最終更新日2015.7.21
クローバーなぜ、麻賀多神社は印旛沼周辺に固まっているのか、気になっています。
前回の記事に書き足してUPしようとしたところ消してしまいショック!気を取り直して。探索の方向性が違うとストップがかかった???
関東平野の縄文時代は、今とはかなり様相が違っていたようです。
古東京湾はかなり奥が深く、霞ヶ浦が古鬼怒湾と呼ばれ、殆ど東京湾とくっついていたようなんです。
「古鬼怒湾」なんて曰くありげ目
名前の由来を調べているうちにこんなお話に辿り付きました。
夜刀(ヤト)神
箭括氏の麻多智という人物が、現在の行方市付近を開墾していた時のこと、角を持った竜が群れをなして妨害してきたそうな。怒った麻多智が竜たちを山に閉じ込め、それ以降田おこしが進み村人が潤ったということです。現在は愛宕神社に夜刀神の磐が祀られているようです。
古鬼怒湾は、6000年以上前霞ケ浦と利根川、印旛沼あたり全部がつながっていた大きな湾でした。房総半島は殆ど「島」で、太平洋の荒波から今の東京あたりを守る防波堤のような地形です。古鬼怒湾が猛々しく暴れる海だという事は想像できます。
「竜が暴れる」伝説は洪水や嵐で表現されたりもしますね。
逆に竜を退治する方も相当な力量と、戦いのときの気迫たるもの鬼気迫る憤怒の形相を現わすでしょう。
この湾は香取海とも呼ばれていて、鹿島神社と香取神社というイヅモの国譲りに貢献したアマテルカミの将軍がご座す地域でもあります。荒々しい海神から守る楯のように海辺にあります。タケミカヅチとフツヌシのその姿が竜にとっては「竜王」に見えたかもしれません。まさに「鬼怒」の如く。
あと考えられることは、少し北にある大甕神社の謂れです。
祭神は星から来た「悪神」とされているのです。星から来た神の伝説は鞍馬山にもあります。
そうなると、気になるのが印旛沼から南に何個か見つかっている「環状盛土遺構」というものの存在です。周囲を環状で盛土された縄文時代の遺構はなんらかの儀式に使ったのでは、とされていますが、それは実は「着陸ポート」だった!という想像をしてみます。
鬼とは角の生えた宇宙人だった、とか。
このあたりの地殻変動にかかわる天変地異の前後にやってきた、鬼のように身体が大きく鬼のように力が強く鬼のように超能力か科学を持っていて恐ろしい存在だった宇宙人との何らかの接触があったかも。。。
「だいだらぼっち」は常陸の国の昔話でしたっけ?
ちなみに古鬼怒湾の名の由来は不詳とされています。
と、いうところで「古鬼怒」湾に関して私の中では、ここまでとします。
本命は麻賀多神社がなぜ印旛沼周辺にまとまっているか。
夜刀(ヤト)神のお話について言えば、縄文時代の地形で考えれば、行方市と印旛沼の佐倉からは海を隔てています。麻賀多神社つながりがあるかどうか微妙。「麻多智」という人物名がちょっと似ている感じはしますが。。。
そこでもう少し「竜」に関する昔話を辿って行くと、先リンクと同じサイトにありました。
『龍学』というサイト名だったんですね。
雨を降らせた竜―印旛沼周辺
村人と仲良くしていた人に化けられる小竜は、日照りで村人が困り果てるのを見かねてある禁忌を犯します。大竜が止めている雨を降らせ、村人は潤いました。村人のために大竜の怒りにふれた小竜は身体を三つに切り刻まれ天に昇って行ったというお話です。竜頭、腹、尾をそれぞれ祀っているお寺もあります。

出典:『龍学』サイト
地殻変動を重ねたり、干拓も重ねて陸続きになり印旛沼が古鬼怒湾から切り離されたこと。それと小竜が三つに分断されたことはなんだか照応するようなお話ですよね。
しかし、村人を救った小竜の供養は寺で行っているとすると、麻賀多神社とは無関係なんでしょうね。神社の創建は景行天皇42年とありますので小竜事件よりずっと昔のことだったと考えられます。
神社
お話の先を読んでいくと、印旛沼の小竜のお話には原型になっているモノがあるとリンクが張ってありました。そしてリンク先はなんと、
真清田神社だったのです。妙なシンクロ。
真清田神社に同じようなお話が残っているのだと知ることができました。
竜王に逆らい雨を降らせる竜
日照りで困った村人が頼ったのは空海でした。
空海は小竜を呼び寄せ、雨を降らせるように祈祷します。しかし、天下の竜すべてが竜王の怒りを買ったために雨を降らせると小竜は切り刻まれるのだといったが、空海は、雨を降らせた暁には神として祀るという約束をして村人の頼みを成就し、三つに切り刻まれた竜の体を集めて真清田神社に祀ったそうな。
空海の時代に起きたことなんですね。西暦800年前後のことで、けっこう新しい。
麻賀多神社が群座している理由とはつながらない。。。うーむ。
ここは初心に戻りさらっと読み流していた由緒書きをじっくり読んでみよう。
神社麻賀多神社由緒より
 その昔 日本武尊 ご東征の折  大木の虚に鏡をかけ 根本に七つ の玉を埋めて 伊勢神宮に祈願さ れました 命は「この鏡をあがめ 祀れば永く豊作が続く」との教を きゝ その鏡をご神体として この 地に稚日霊命を(手里神社)祀り  その後 ご霊示によって 七つの 玉を掘り出して稚産霊命(台方神 社)を祀り 共に麻賀多眞大神と して 里人の崇敬を指導されてか ら 益々豊年と楽土が続きました。
由緒
出典:玄松子の記憶より
Wikiによると麻賀多神社は景行天皇42年(西暦113年?)の創建。という事は、ヤマトタケルの死の一年前と言う事になります。
不作の地の木のうろに掲げたご神体のカガミは、稚日霊命の依り代として祀られ、そのワカヒメの霊示により稚産霊命を祀ったということなのだから、稚日霊命=稚産霊命という神社の入り口にいあるという由緒の文脈はちょっと???です。そして、アマテルカミの妹になったり、トヨケ神の親になったりしていて混乱してしまいます。
クローバーそこでもう一度ホツマツタエを読んでみます。
ホツマツタエで、アマテルカミの妹(本当は姉)が稚日霊命なのです。そして、稚産霊命とはイサナミが火にまかれて終わる時、生まれたのが肥沃な大地ノカミと水ノカミでした。火の守カグツチと大地の協力の基に生まれたカミでした。稚日霊命と稚産霊命の二人はハッキリと別人なんです。産業の神さまというのが稚産霊命のことで、ワカヒメは和歌が上手に使えるので称え名として和歌姫と呼ばれたということです。
そこで、参道の石碑に刻まれたという由緒をもう一度詳しく見てみました。
この地は不作に悩んでいたと言います。そのためにヤマトタケルがしたことは、なんと
「大木のにカガミを掛け」とあります。
そして
「根元に7つ、玉を埋めて伊勢神宮に祈願した」と。
そして
「この 地に稚日霊命を(手里神社)祀りその後、ご霊示によって七つの 玉を掘り出して稚産霊命(台方神 社)を祀り麻賀多眞大神とし」
現代の研究では大木に虚のある場所はジオパシックストレスの大きな場所です。
その木の根元に玉のアースパンクチャーを施しています。
そして祈るのですね。祈りも場を高周波に変える大きな要素になります。
さらに、その場にワカヒメを鎮座させて、最強のアースパンクチャーとして配置した後、
玉を移動してもう一つのポイントにお祀りしました。
ワカヒメが最強のアースパンクチャーになる理由は、地下の鉱脈を知る技術を持っていたということ。地面の下からの磁場調整が得意な神さまだからです。
この由緒は、当時のアースパンクチャーの手法を教えるものですね。
このことから印旛沼周辺の麻賀多神社は、土地改良のためにお祀りされたと想像できます。
ワカヒメをお祀りし霊験あらたかで五穀が豊穣となった。この神さまを信仰する国司が管轄地のあちこちにお社を立てた。と。
かごめ
「フラワーオブライフ」から「ご神紋」へ「竜伝説」へと辿って不思議な興味を掻き立てられ、二三日探求を止められなかった理由は、土地改良の一例を知る手がかりがここにあるよとどうしても教えたかったからなのかな?
どうだろう。
確かに、ヤマトタケルノミコトが行ったことは今現在でもわかりやすくそのまま有効に働く手法です。
五穀豊穣で村が富み栄えたように、現代にも生きているアースパンクチャーが、豊穣をよびこむ一つの手法でもあるのだと教えてくれているのかもしれません。
現代の悩みの解決に使える方法です。