一日目の行程では11か所400㎞以上を走りました。
神社六カ所目丹生都比売神社。37番目
11時ごろに到着しました。
もう、かなり暑くなっていました。

雨のための傘ではなく日傘が必要なくらいです。
それにしてもいやはや里から遠かった。
こんなところに世界遺産になるようなお社が存在するとは思えないほど。
行く道道には、みかん畑があったりしてのどかそのものなのですが、それにしても坂道は急です。

丹生(水銀)を掘る会社のような神社というとわかりやすいかな。
古代の産業の形であり、経済力のもう一つの源だったのでしょう。鉱山師というのは農耕とは異なり狩猟型で「山師」などとも呼ばれます。空海が中国で学んだ丹生発掘の技術も仏教普及のための礎になったに違いありません。
その空海の修行場として高野山へ導いた守護神とも尊崇する丹生都姫、高野御子とはどんな方だったのでしょう。

創建は1,700年以上前とされ、『丹生大明神祝詞』によると丹生都比売大神は稚日女命と申し、紀ノ川流域に降臨し紀州・大和を巡り農耕を広めこの天野の地に鎮座されたと由緒にあります。
由緒には「丹生」についての記述は全くなく、ご神徳は「諸々の災いを祓い退け一切のものを守り育てる女神。健康・長寿と農耕・機織の守り神」ということです。
ハッキリと記述があるので、二ウツヒメがワカヒメであることは間違いないでしょう。
トヨケ神から伝授された丹生の技術と知識をこの地で山師たちに伝授し丹生を生産していた物と思われます。丹生は掘り尽くせば閉山に追い込まれて行くものですから、神社としては農耕神という面を強調することは大切なんでしょうね。農耕神そのものである葛木御歳神社とここ丹生都比売神社には、相当な開きがあります。勝利の神さまとも言える神功皇后や密教の開祖空海という大きな業績を残した方々の守護神としての働きがこのような差になった事が想像されます。
それだけの荒技というか神通力を発揮されたのですね。男性的なエネルギーもすごく感じます。

由緒を見ていてワカヒメの荒魂は「トシノリカミ」かなとも思ったのですが、ココに来て観て「ニウツヒメ」がワカヒメの荒魂なのかも。。。と感じています。
雰囲気としては髙鴨神社のような張りつめた「凛々しさ」を感じるのです。

洗練された雰囲気というか。失礼ながらちょっと取っつきにくい感じ。
それはエライ神さまですから当然と言えば当然です。
花盛祭という行事が4月にあります。中に渡御(とぎょ)の儀が行われ、一説によると高野御子が玉津島神社の衣通姫に通う紀川浜降りを辿る神事だそうです。
この太鼓橋を絢爛たる行列が天狗さんを取り囲み渡ります。

天狗さんなんですかね目高野御子、もしくは丹生大明神は。
衣通姫さんは允恭天皇第一皇子の妹で母を同じくする允恭天皇の第二皇女で、二人の禁じられた恋愛のために島流しに遭った軽皇子を待ち焦がれていますが、我慢できず四国まで追いかけてそこで二人は自害して果てるという伝説の方です。(Wikiより)浜降り神事とこの伝説を繋ぐと高野御子とは軽皇子と言う事になります。正確に言うならば軽皇子の伝令というか魂というか霊というか。
しかしながら玉津島神社の由緒では「第19代允恭天皇の妃で絶世の美人であられ、その麗しさは名の通り「衣を通して光り輝いた」と伝えられまた姫は事の他和歌に秀でられたことはよく知られるところである。」とあります。
第58代光孝天皇の夢枕に立ち和歌を詠じられたことにより玉津島に合祀されたと言います。
どちらにしても、高野御子がワカヒメの子どもだとするとずっと前の人物になります。
衣通姫は応神天皇のひ孫にあたります。丹生都比売神社が3世紀には存在していたということは衣通姫の時代よりは随分昔になり、まだ存在していないのですね。軽皇子しかりです。
ところで高野御子がワカヒメの子というのは本当なんでしょうか。
まず、アチヒコとワカヒメの4人の息子さんたちの行方を追ってみると、高野御子に当たる方がどうも見当たらないんです。
ホツマツタエの8アヤを紐解きます。六ハタレを打ったときの論功行賞で実はタカノカミが封じられています。それはイブキドヌシなのですね。討ったハタレマ9千人民9万にも及ぶ骸を「魂返しのヲシテ」を交わし高野山に埋めたとあります。今生はサルや犬、狐といった獣のようだが人間として生まれ変わるという儀式のようです。
なんと、その「たかののたまがわ」という場所が丹生都比売神社のある処であるというのです。
その後高野に化け物が出て恐れられたのでイブキドヌシが社を置くと鎮まったという事があり、イブキドヌシがタカノカミに任命されたということです。
イブキドヌシとはワカヒメの弟ツキヨミの子で、この6ハタレの乱に先駆ける北陸のカミの反乱を鎮圧した褒美に讃岐と阿波ノカミに採りたてられました。そして6ハタレ討伐の重要な役割を務めてタカノカミにもなったという事です。
そう考えるとイブキドヌシもまたタケミカズチらと同様の軍神であることが伺われますね。
丹生都比売神社の祭神の1柱にイブキドヌシの妻であるタナコ市杵島姫が坐します。そう言う訳だったのですね。妻に高野の場を守らせていたという事かもしれません。
そうしますと、です。
高野御子とはイブキドヌシの子、という事もあり得ます。がやはり、それぞれ高野ではなく四国の土佐や伊予、九州の宇佐のカミになっています。では一体、犬飼明神と言われるその方はどなたなのでしょう。※高野明神は別名を「狩場明神」とか「犬飼明神」と云います。
イブキドヌシその方なのかもしれません。
白黒の犬を取り扱う人物「犬飼」。。。
タケミカズチが捉えたハタレは何万も縊れて死んでしまいました。それをクマノカミのクスヒがが検証すると「かたちはまさる かおはいぬ」という人と猿の混血であったといいます。
顔は犬、なのです。
これを魂返しし、次に生まれ変わる時は人間に・・・というヲシテを行ったのはツワモノヌシ、フツヌシ、タケミカズチ。
アマテルカミが御出陣の時に同行したのが、セオリツヒメ、アキコヒメ左右にイブキドヌシとクマノクスヒでした。その時に白・黒コマを添えて行ったとあります。
高野御子とはイブキドヌシ。。。濃厚かもです。
丹生都比売神社の本殿は4つありますが、三つまでは女神さまなんですね。

こんな荒々しい歴史を持つ場には護衛する軍神が必要だと思われます。
熊野・キシイに地縁があり丹生の知識を持ったワカヒメを勧請し、丹生の民の拠所になるよう丹生都比売と称えられたのかもしれませんね。そうすると創建は1,700年前どころではなくもっと古い時代にさかのぼるのでしょう。

それにしても高野御子さんはなぜに玉津島に通われたのでしょう。
それは恋のためではなくて、伊予との情報交換のためだったかもしれませんね。

なんとなく厳しさを感じたのは、軍神の一面が雰囲気としてあるためかもしれません。
今回のツアーではある物を探す旅でもありました。
そしてそれは、ここ丹生都比売神社で見つかりました。
光柱瞑想でのビジョンにあった半透明のベールがあり、「これか、探し物は」と。
そのような形で神さまのご協力をいただいたことに今更のありがとうございます、です。
あと1柱の大食都比売神については、行勝上人より気比神宮から勧請されたと由緒にあります。
ところがこのオオゲツヒメなる女神もホツマツタエには見当たりません。
同じような伝説がある部分を読むと、ツキヨミの誤解により切り殺された7代目ウケモチの話になります。
由緒書きでは大食都比売神と市杵島比売神は鎌倉時代に同時に勧請されたという事です。
ということは、行勝上人の活躍により何らかの障りか、強い祈念を成就するためにこの2神を勧請したかもしれません。2柱ともイブキドヌシには深い縁があります。
1人は妻であり、1人はイブキドヌシの父ツクヨミに殺されたカミなのです。
北条政子による寄進でこのおふた方を勧請し本殿が4殿になったとあります。祈願により元寇が撤退するという霊験を示し、鎌倉幕府の崇敬がますます篤くなったそうです。
コンプリート。

『みちびきの神 丹生都比売神社の研究~朱のロマンを求めて~』竹本弘子著 を参考にさせていただきました。深い洞察に満ちたご論考で多くインスピレーションをいただきました。この場をお借りして感謝を申し述べます。