最終更新2015年10月28日

一日目の行程では11か所400㎞以上を走破し巡りました。
神社二カ所目大村神社。33番目
地図のルート表示の右から二番目のポイントです。
朝の6時25分に到着しました。
もう通勤時間に差し掛かっていて、神社は通勤路にも使われているようでした。
休憩所やお茶屋の名残のような門前の商店が並んでいる、今までにあまりない雰囲気。
何だかわかりませんが、鳥居やら神社の銘などいろいろ撮り忘れました。しょぼん
なので代わりに。


地震の神さまです。
タケミカヅチノカミは、六ハタレ征伐の際アマテルカミの論功行賞で地震の神の称号を得ました。カシマダチ(国譲り)の際にも軍神として大きな役割を果たした神さまです。
ホツマツタヱ8あや
いよのやまより きしいくに
わたりせむるお とつみやの
つけにもろあひ かみはかり
かねてかなての みことのり
たけみかつちに ふとまかり
たまへはいそき かなてんと
たかのにいたる

そして、一万人にも及ぶモノマを捉えてタケミカヅチ自ら縛って引きまわした結果9900人が縊れて死んでしまったことに対して反省し喪に服すのを聞いたアマテルカミは、タケミカヅチが殺したモノマの正体を調査させるのでした。「それは人かや?」「如くなり」という半獣の生き物であり「タマガエシ」をする事で今度生まれる時は人として生まれることができると説きました。
この時、ココストの道であるタマガエシを行ったのはツワモノヌシとフツヌシとタケミカヅチでした。
たけみかつちは なるかみに
たけものぬしの かふつちと
さきのくにゑに ゆりしつむ
かないしつちも たまふなり

「くにゑに ゆりしつむ かないしつち」を賜ったことが地震をおさめる要石槌であったと解釈されたのですね。
ホツマツタヱによると、タケミカヅチがモノマを捉えたのは高野山付近であるように思えますが、高野山からこの大村神社までは100キロ以上離れています。どうして中央構造線よりもちょっと北側にある大村神社に拠点があるのでしょう。
六ハタレのルートは一つは富山の方から伊勢に向かったハタレはイソラカミで、津まで辿りつきました。そして中央構造線を伝って四国から渡ってキシイクニに入り伊勢に向かうであろうハタレのヰツナミチがいました。ヒスミ・ヒタカミから東海へとやってきたハルナハハミチは、フツヌシやタケミカヅチが内陸の戦いで海の守りが手薄な隙を付いて海路二見浦にまで迫り来ていました。それでいよいよアマテルカミの御出陣となったのでした。
富山のイソラミチに付いては津でフツヌシが迎え討ち捕えました。
フツヌシやタケミカヅチの本拠地は下総・常陸です。当時の地形はかなり海面が高く鹿島灘と東京湾は繋がっていたと見られます。船で海路を伊勢に向けてやってきたのでしょう。二人はおそらく同時期に次々と津の港に上陸したものと思われます。フツヌシはイソラミチを津でくい止め、タケミカヅチは四国からやってきたヰツナミチに対峙するため、津から入り大村神社あたりにフツヌシ・タケミカヅチ共同の「本部」を設営したのではないでしょうか。
いきなりの拝殿。

神さまがおられるようでありがたいです。
北向きに本殿を構えるお社です。北極星に向かい星との通信を行うのでしょうかね。。。
水かけナマズがおいでです。

地震を抑える要石のお社。

要石です。

なぜか、鐘つき堂があるんですよね。
せっかくなので、朝のひと突きいたしました。

ココではミッションがあり、そのことで頭がいっぱいだったせいかもしれません。
いろいろ悔やまれます。
境内はキレイに掃除が行き届き、清々しいさわやかな風のある神社でした。
神社大村神社(三重県伊賀市)
祭神 タケミカヅチノミコト フツヌシノミコト アメノコヤネノミコト