一日目の行程では11か所400㎞以上を走破し巡りました。
神社五カ所目髙鴨神社。36番目
地図のルート表示の右から5番目のポイントです。
10時ごろに到着しました。

なんか中途半端な絵になってしまいました。
さすがに平日でも観光バスが来ていて、ご由緒書きの前にガイドを雇った団体がいらして、遠慮しいしい撮りましたので。
味鋤高彦根命(タカヒコネ)という方は髙鴨神社(全国の鴨・賀茂・加茂神社の総本社と称する)の祭神です。
オオナムチの第三子で、ヲバシリの再来という騎馬の名手で馬乗りの家系の祖になった方です。妹高照姫(タカテルヒメ)の夫、天津神である天稚彦命(ワカヒコ)と瓜二つの親友だったようです。不幸にも亡くなってしまったワカヒコを弔おうと彼のクニである美濃に行くが、ワカヒコの実家の無礼に怒り喪屋を壊してしまいます。ワカヒコ事件はいわゆる「国譲り」の最中で起きたものであり、ケンカを売るような暴挙は事態をより悪化させるだろうことが予測される立場にあるのになぜそこまでしたのかな。という疑問が残ります。

ワカヒコは天津神がわから見たら裏切りモノですから、正々堂々と弔う事ができないために親族は鳥の姿に変身してワカヒコを弔ったということです。もしかしたらある意味弔いは特別な儀式だったかもしれません。という仮定をしてみました。
喪屋で、ワカヒコに瓜二つの味鋤高彦根命とすり替えの儀式が行われようとした、とか。。。
ワカヒコが国津神側に寝返ったのとは逆に、今度はタカヒコネが天津神側への変心を促されたという事は十分にあり得る話です。そうだとしたら、喪屋を壊すほど怒るのも当然かもしれません。
全国カモ氏の総代になられる方ですから、そうなるためにはなんらかの根拠があるはずです。なのに不思議なのはその後カシマダチ(国譲り)の舞台にタカヒコネはその姿を現わしていないことです。タケミナカタのように「われあり」と立つなり、クシヒコ側について活躍するなりあってもよさげですが。
味鋤高彦根命は「国譲り」を迫られている一族で、そこへ天津神側からワカヒコが国を譲れと説得にやってきました。しかし、オオナムチに懐柔され娘タカコと結婚までして8年もいついたために天津神々から裏切りと取られます。タカヒコネとワカヒコは親友になり、おそらくは、カナヤマ一族の跡取り息子であるワカヒコの鉱山知識や技術がイズモでも生かされたのではないでしょうか。現地で何らかの役に立っていなければいくらソサノオの孫婿でオオナムチの娘婿であっても神さまとして祀られたかどうか。その技術を受け取っていたのが主に味鋤高彦根命だったのでしょう。そう言う恩を感じていたことが根っこにあるだろうとは考えられます。
ワカヒコさんも高鴨神社の祭神の一柱になっています。結構頑固で律義な性格なのかもしれません。

尊敬する兄クシヒコは事代主と言われ2代大物主としての任務に就いていました。クシヒコの末裔がオオタタネコであり、三輪氏の祖と言われています。父の地盤である津軽を継いだのはシマツウシ。タケミナカタは諏訪にいます。タカヒコネはニニキネに乗馬を教えており日光に治まっていたようです。ニニキネはいろいろな場所に移りながら新田開拓をしています。宮仕えを降りたタカヒコネはカツラギの地に落ち着いたのでしょう。
天津神のワカヒコの妹オクラ下照姫との結婚も大きかっただろうと思われます。
国譲りの際のオクラ下照姫の周到な懐柔策。。。ありえるかも。
喪屋を壊すほどのタカヒコネのいかりを納めるためにオクラヒメが贈った恋歌が二人を結びつけます。
タカヒコネの返歌には、あたふたするのを誤魔化そうとして結果として拗ねたかわいらしさが見られます。骨を抜かれてしまったのですね。さすがワカヒメ直伝の和歌の名手です。
相当な女性ですね。下照姫と称え名されるだけはあるのかも。
その下照姫の内助の功もあり味鋤高彦根命が鴨族を仕切るようになった。。。とも考えられないことはないですね。
オクラヒメとしては今は亡き師匠のワカヒメ下照姫のご遺志を継ぐと同時に、国津神がみの中にあって義兄のクシヒコ(事代主)を尊敬し、その方向性をサポートする立場であったと思います。
けっかとして無血の国譲りは成りました。その後ゆっくりと、天津系国津系は全国で融合していきます。髙鴨神社が全国の鴨・賀茂・加茂神社の総本社となっていることは象徴的です。
そこでどうしても気になるのは山城国のカモ神社(上賀茂、下鴨神社)との関係です。
どのような接点があるのでしょう。
今一度ホツマツタエを紐解きますと、神武東征の論功行賞で与えられたフチについての記述が30アヤにあります。それによると
ウマシマチ(ニギハヤヒの子) 代々物部(軍事)継げ
ミチヲミは          橿原市鳥屋町あたり
ウツヒコ(ニニキネ、コモリの孫)海路、ハニ山、大和国造
弟ウケシ           たけた県司(奈良県宇陀市?)
クロハヤ           しきの県司(奈良県桜井市?)
アメヒワケ(ヤソキネのひ孫アメフタエの孫) 伊勢国造
アタネカミ(ヤソキネの孫アメマヒのひ孫)  カモの県司(山城国)タケスミ(賀茂建角身命)の後を継がせる
ツルギネ(カツラギヒトコトヌシ(ソサの子)の孫カツテの孫)かつき国造(奈良県御所市ほか奈良盆地南西部一帯)
ヤタガラス孫         かとの主(カモを除く)(葛野 (花山野・荷田野)
神武天皇は即位後、大和平定のためにわが身を照らしたカモの御祖神(ニニキネ・カモヒト(ウガヤ)をハリハラのトリミヤマ(奈良県宇陀郡榛原町大字萩原の鳥見山)に写させるとあります。
けれども、ニニキネ・カモヒトを祀った場所が現在よくわからなくなっているみたいですね。
消された?
神社カモを名乗る家系は三つの流れがあるようです。この味鋤高彦根命という方の、国津神系の大和のカモ氏が一つ目で、全国カモ社の総本社を名乗っています。

カモヒト(ウガヤフキアワセズ)をお守りしたのはタケズミで山城のカモ氏です。コチラのほうは天津神系のカモ氏でメジャーなのかもしれませんが二つ目。
神武天皇時代にはアタネにタケスミの後を継がせて山城国造にしています。アタネは代々タカミムスビの家系ですね。ご先祖様にはかのトヨケ神もいます。タケスミの家系は神武として橿原に移ってきたわけです。
ところで大和のカモ氏はいつからこの地にいたのでしょう?
ホツマツタエ9アヤあたりに一言主がすでに葛木を治めていることがわかります。一言主はソサノオの第7子です。その甥にあたるタカヒコネはニニキネと同世代であり、ニニキネの子のホホデミに尽くしたタケズミは一つ下の世代です。タカヒコネは遅くともニニキネが神上がりするために高千穂に向かった時には大和に居ついていたのでしょう。大和のカモ氏の方が多少古くからあったのかもしれません。
そういう意味で大和カモ氏神様である髙鴨神社が総本社を名乗ることを神武時代に決めたのかもしれません。天津系と国津系と素性は異なれども、スメラミコトに尽すという本分は同じだったでしょうから。
けれど、なぜニニキネ・カモヒトを祀った場所がよくわからないことになっているのでしょう。
それでですね、三つめのカモ氏の祖が「ヤタガラス翁」という説があります。
八咫烏神社の祭神を賀茂建角身命(タケズミ)としています。
ただ、ホツマツタエを読むかぎりタケズミがヤタガラスである記述はどこにもありません。ホツマツタエにあるのはアマテルカミが夢告げで「ヤタのカラスを導きと」と言う記述のみです。そこにタカヒコネやタケズミの名は一切出てきません。たしかにタケズミは、今はなくともあの世から孫のタケヒト(神武)を守ろうとはするでしょうけれども、そのような記述は一切ないんです。それに論功行賞ではヤタガラスの孫を葛野に封じています。遷都に従って大和に勧請するのはあくまでもニニキネ・カモヒト神なのです。
8アヤは各地で一揆のようなものが起きそれらを平らげるお話です。
その中で捉えた敵が魔術を操る鵺だとわかり、熊野を治めるアマテルカミの息子クマノクスヒが「カラス」をショウカンする場面がえがかれています。「くすひが くまのかみ まねけばからす やつきたる」クスヒが祀る祖母のイサナミを呼ぶや、8羽のカラスが一度にやってきて、鵺は魔術をとかれて誓文をかき家来たちは人間に戻ったということです。そして、その8羽ガラスの大元は、イサナミの死後イサナキに自分の死体を見せまいと放った8羽ガラスの古事にあったんですね。
ヤタガラスではなく、ヤハガラスだったのかも。一度にやってきたヤハガラスが八咫もある大きなカラスに見えないこともありません。その可能性が0とはいえないと思うんです。
なにせ、そこは熊野で、ホツマツタエではクマノカミはイサナミなのですから。
「ヤタガラス」の正体はなんなのか。。。よくわからないというのが正直なところです。
ヤタガラスの記述のある29アヤあたりは、オオタタネコが編者だと言われています。事代主のクシヒコの子孫です。ホツマツタエもまた編書である以上中立であるかどうかとか、内容の不明瞭さがまったくないかというとそうでもない部分があるということがわかります。ほかのヲシテ文献「ミカサフミ」「カクノフミ」ともに見ていくことでより中立にちかくなるものなんでしょうね。全巻の発見が待たれます。
神社大和にあるカモの総本社のなかでココは上鴨社になります。
中鴨社が葛木御歳神社、下鴨社が鴨都波神社です。今回は下鴨社には行程の都合で行けませんでしたが、髙鴨神社はちょっと近寄りがたい雰囲気を醸していました。
葛木御歳神社の方は、農業の神さまという性格上、鄙びた温かみがあるというか。
味鋤高彦根命も鋤というくらいですから農耕と関係はあるのでしょうが、やはり武闘派なのかなと。力をもって守り切り開く先導役という馬乗りですから、厳しさが前に出ている感じです。
祓い戸があることを後で知りました。ごめんなさい。

コンプリート。

余談のようになりますが、よく考えてみれば下照姫を祀る神社は今回のツアーではココだけかもしれませんので、下照姫について一言。
髙鴨神社に祀られている下照姫とは、カナヤマヒコの孫娘のオクラヒメで、アマテルカミの妹のワカヒメのところで琴や和歌を修行し、ワカヒメから下照姫の称え名を拝受しました。和歌の奥義書であるくしくも文を引き継いだ方です。
味鋤高彦根命とは華麗なる和歌でオクラヒメの方から求婚したことで結婚することになります。
元祖下照姫であるワカヒメも和歌で意中の人を落とした経緯があります。すごい神通力があるんですね。和歌って。
下照姫を祀る神社の由緒を見てみると「オオナムチの娘」と紹介されていることが多いみたいですね。ホツマツタエによりますとオオナムチの娘は高照姫(葛木御歳神社)の方です。
面白いことにワカヒコとタカヒコネが一つの機能として一体化したように、下照姫と高照姫も習合化してしまっています。さらに、元祖下照姫であるワカヒメであろうな、と思われる「下照姫」もありますから複雑です。祀られているのが本当は「高照姫では?」と思われる由緒の「下照姫」もあります。
下照姫とは、やはり称え名であり役職名と捉えた方がいいようです。
ワカヒメかオクラヒメかタカコヒメであることは確かなのでしょうけれど。
天照にたいして下照。
アマテルカミの皇太子の養育を任され、いくつかのクニの統治も任されたときに称え名された「下照姫」ですから畏れ多いにもほどがあるわけなんですが、やはり、その名を継承したオクラヒメはタダモノではないですね。神通力も備えていたでしょう。ワカヒコさんが宇宙人といいましたが、その妹なのですもんね。ワカヒメは丹生(水銀)の道にも通じていて後に空海のみちびきの神とも尊崇されるのですが、オクラヒメもカナヤマの孫であり鉱山系の神の系譜にある女性なのです。
ワカヒメの再来とも言える女性が味鋤高彦根命の奥さまだったという事ですね。
神社髙鴨神社(奈良県御所市)
祭神 阿治須岐高日子根命 下照比売命 天稚彦命