神社藤ノ宮神社。61番目
お仕事関係により名鉄扶桑駅で降りました。
扶桑駅周辺で事前に神社を探していたら、船塚神社というお社が見つかり、その近くには船塚古墳があるようでした。
扶桑という町の名前は、蚕が食む桑の樹を育てていたことの名残でしょう。
養蚕は、タカクラシタの血を引く尾張氏の得意分野でもあります。
この地でタカクラシタの末裔が養蚕を盛んにしていたのでは?と考えられます。
また、”船塚”ということは、このあたりまで水辺があったのかもしれません。
木曽川が近いですからね。
そんなことを調べながら、扶桑での神社参拝はできず仕事帰りの駅、江南のお宮をお参りしました。

祭神は天照大神・伊予親王・舎人親王・早良親王。これまでには耳慣れない親王方ですが、いずれも少し苦しみの多い経験をお持ちのようです。

現地での突撃レポートであり、家に帰って調べたら・・・というパターンですが。
鳥居をくぐり拝殿に向かうと神楽殿がありそこにサラリーマンが座って休憩をとっています。
確かにお昼時ではあります。

青っぽい光が満ちて、重たくはありません。地域の方がよくお祀りされているのでしょうね。
ありがたいことですね。

本殿が見えます。
参拝を終えて帰るときには神楽殿にいた人は姿が見えませんでした。が、またひとりサラリーマンが現れて境内で食事を摂るようでした。市役所のまん前なのでこの神社は休息の場なのかもしれませんね。光の感じといい、サラリーマンを守護されているのかもしれません。
珍しく蕃塀を撮りました。一種の結界造りです。本殿へのさっ気を遮蔽します。

時間が少しありましたので、1㌔以上あるみたいですが歩いて次の神社に。
神社古知野神社。62番目



祭神は天照大神 日本武尊です。
ヤマトタケも愛知県には深いゆかりの神さまです。
尾張国造の娘、ミヤズヒメを妻としています。あらぶるイブキノ神が大蛇となりつららを落として祟り死に至ります。
ヤマトタケは自分をソサノオの生まれ変わりだと思っていたようです。
ソサノオが悪行の末下民に落とされ、世をさすらっていた時にネノクニのカミが傍若無人を働き、征伐に向かうイブキドヌシの前にボロボロの姿で現れたソサノオが涙ながらにこれまでの無頼を詫びて、我も討伐軍に加わらんと願い出た時に拾い起こしたのがイブキドヌシだったのです。イブキドヌシには大恩があるにもかかわらず、伊吹山の障りが「とるに足らぬアラブルカミ」と見て感謝することもなく突き進むのです。
あらぶるイブキノカミを鎮められるのは、ソサノオの生まれ変わりのヤマトタケのはずだったのですが。。。結局その傷が原因で亀山もしくは鈴鹿の辺りで神上がります。
ヤマトタケ(熱田の神)はソサノオ同様大変愛される神さまです。
東へ西へと征伐に当たるのはいつも弟のヤマトタケで、ついに兵たちを休ませることができなかったと辞世の時に悔んでいます。時に30歳。誰にとっても惜しすぎる後のスへラギの死でした。

江南駅から歩ける範囲にあるお宮です。太鼓橋と、ここにも蕃塀がしっかりあります。

開運招・・・の鳥居。
ちっちゃいけどご神木をお守りしています。


季節感が出ていていいですね。