最終更新日2015.11.16
神社阿久比神社 65番目
仕事先での神社参拝です。

今日は一日曇りがち。とはいえ。。。暗い。。。

祭神は開囓神
合祀 猿田彦大神・天津彦命・瓊瓊杵尊。
サルタヒコについて。
おとたまがわの しらすなに
ひるねしておる ちまたかみ
みのたけそなた つらかかち
はなたかさなき めはかかみ

ホツマツタエに「チマタ神」として登場するのはサルタヒコです。
初代アマカミのクニトコタチの子孫で、滋賀県高島市鵜川に住みついていたようです。
身体が3m以上もあり、鼻も高く眼光鋭く顔は赤く照っていたので80人もいるニニキネのモノノヘもたった一人を恐れたのでした。
サルタヒコはとってもかわいくて、ニニキネの灌漑新田の手法を自分なりにやってみたりしています。ニニキネの来訪を待ちわびていて、わかれ道のところで待っているうちに眠ってしまいました。進んでニニキネの協力を申し出たのでした。
サルタヒコのガイドがありニニキネが九州へ行く道が示されたのです。岐路に立っていたり、これから先行くべき道を教えたりして、どうやら水先案内人らしき役割がある神さまのようです。
※猿田彦はじつは以前行った丹生都比売神社にも深いかかわりのある方でした。神社で行われる花盛祭りの渡御の儀での先導役の天狗はどうやら猿田彦のようなのです。
渡御の儀とは高野の神が丹生都比売神社ー玉津島神社ー日前神社と渡る儀式なのですが、猿田彦との関係はよくわかりませんけれども。
このタイミングで参ることになったのにも意味があるのかも。
サルタヒコ様からの声を聞きとるべきかな?

その後鵜川のクニをニニキネに譲り、自分はアマテルカミのもとへと旅立ちます。
後にニニキネは鵜川を二番目の子、サクラギに統治させます。サクラギとサルタヒコはちょっとしたつながりがあったのです。サクラギというのは昔話に出てくる「海幸彦」で、彦が死病に罹ったときの処方をし生還させたのが猿田彦だったのです。
この鵜川のクニを巡って弟「山幸彦」のホホデミとイザコザが起きます。ホホデミは自分こそその土地に居るべきだとニニキネに訴えました。しかしニニキネはキチンとした理由のべてホホデミを納得させます。最終的にホホデミを継子に選びますが、ひょっとしてその時から思うところがあったのかもしれません。
そのようなことがあって兄弟は反目しており、昔話のお話のようなことになります。
お互いの仕事を一日交換したときに海で無くした釣り針を返せとの無理難題を弟ホホデミに吹っ掛け陥れようと罠に掛けたのです。

拝殿です。やはり、暗いなあ。。。
記紀によると祭神の開囓神(アキクヒノカミ)とは、イサナキが黄泉の国から逃げる時に、シコメに投げつけたモノの幾つかは「杖」「帯」「衣」「袴」「沓」で、その中の「袴」がアキクヒだということでです。これら身に付ける衣装は階級により織り方など細かく決まっていた当時、社会的立場や地位を武器にして穢れと戦ったとも取れます。
大変珍しい祭神ですよね。
残念ながらホツマツタエにはその時に産んだ神が80体という事はわかるけれどもその名全部は記述が無いのです。ひょっとしたら他のヲシテ文献にあるのかもしれませんが。
袴作りの司(カミ)という事かもしれません。ニニキネ袴の御用達だったのかも。

菅原道真の孫英比丸が土着したとのことで、この地阿久比町名は神さまを由来としているのですね。
そして、知多一宮ともされていると由緒書きにありました。
天津彦については、よくわかりません。
天津神の男御子と云う意味でしょうか。アマツヒコネのことでしょうか。でも、多度とあまり関係がなさそう。。。
ニニキネは後世「天津彦彦火瓊瓊杵尊」と言われます。天津彦とはニニキネの尊称とも思われます。

入口がわからず裏から入ってしまいました。不躾すぎたかもしれません。今更ながら失礼しました。写真が暗いのは、そのせいかも叫び
神社、本殿だけでなく拝殿も撮影禁止のところも多いです。
もちろん撮影禁止でなくとも撮影許可願をします。
許可を願い出ても撮れないときは撮れません。シャッターが下りないんです。
私も何度か経験していますが、暗く写るのもなんらかのサインではあると思います。
私の方に問題があるか、場所の方に問題があるか。
この際に始めて意識した神さまです。すこし、意識のピントを合わせた方がよさげです。
神社御魂神社 66番目

ご祭神がどなたなのか、禰宜さんに伺ってみないとわかりませんが、おそらくは天照皇御魂大神と御子オシホミミとか天孫ホノアカリ、曾孫ホホデミ、玄孫ウガヤという天皇家のご先祖さまであられると思われます。
神社阿久比神社(愛知県知多郡)
祭神 開囓神
合祀 猿田彦大神 天津彦命 瓊瓊杵尊 
   八幡大神 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 英比丸命
神社御魂神社(愛知県知多郡)
祭神 不明