神社ひきつづきタカクラシタを追っかけます。
タカクラシタがどうして天香語山命を名乗るようになったのか。考えられるケースは二つ。
1アスカ宮の臣で実父の名を継いだ。
2一度は養子として入ったアスカ宮(カクヤマ宮)を継いだ。(一度はホノアカリのキサキに追い出され、ホノアカリの死後養子になったニギハヤヒに養子縁組を求められた時は断った)
けれどもそのどちらもタカクラシタガアスカ宮と敵対関係になった段階では考えにくいため、
3アマテルカミが始めた2朝並立の理念を踏襲すること+不満分子のガス抜きのために別の形(ヲシテは無く、祭祀のみ)でアスカ宮を存続させることを神武自身が強く望んだ。アスカ宮の祭祀を継ぐ人として適任者が神武の信頼も厚く、もともとアスカ宮を継ぐ人だったタカクラシタだった。(ただ、本拠地となる弥彦神社に天火明の名がないので、タカクラシタが存命中は固辞していたと想像します)
という第三のケースもありうるのではないかなと思ったのです。
理由はどうあれ現実に今も各地で天火明を祀っているわけですから、継承はうまく行っているのでしょう。けれども、いろいろな神社を探訪するうちにわかってきたことは「それほど簡単に繋がってはいかなかったらしい」という事です。
昔の系図を辿ると、例えばタカクラシタが養子であることなどは記されていません。それと同じように時代を下っても、重要人物の親がだれなのかがわからないという事と頻繁に出くわします。系図の中に様々な思惑が見え隠れし、憶測を産んでいると思います。
タカクラシタはどのように祭祀を繋げていったのでしょうか。子孫にはどんな人がいたのでしょう。
神社神社に祀るタカクラシタ(天香語山命)の子孫を拾ってみます。
弥彦神社の祭祀
①天香語山命(タカクラシタ)
妹婿はアメノミチネでホノアカリの32司のひとり。その兄弟にアメフタエの称え名を持つムラクモがいます。タカクラシタの子のムラクモとの関係はわかりません。   
②第1嗣天五田根命(アメノムラクモ)
この方はタカクラシタが神武から下されたイスキヨリ姫を母としています。京都や徳島、香川にも祀られています。弥彦となった父の辿った処に滞在したのかもしれません。
妻は二人いて、一人は伊加里姫としるされています。その子は葛木出石姫と倭宿禰命となっています。倭宿禰命の子に笠水彦命がいます。
「丹後風土記残欠」の加佐郡の神社すべて35座を紹介した項に紹介されている伊加里姫社にほかならない。同じ書の加佐郡田造郷の項には,この郷に笠水(うけみず)があり,その傍らに2社があって,東を伊加里姫命,西を笠水神と伝えている。同じ叢書の第4輯所収の「丹後旧語集」には,神名は伊加利姫とある。伊加里・伊加利が井光であるのは,いうまでもなかろう。伊加里姫神社《丹生の研究》より
 
イワレヒコ(神武)は熊野で戦い、吉野を経て宇陀に入り、血みどろの戦いを演じるのだが、吉野での記述は淡白である。いったい 古代吉野とはどのような地であったのだろう。一つ手掛かりになるのは、川上村井光(いかり)という地名であり、丹生(にふ)という地名である。イヒカは井氷鹿とも書くが、光る井戸から現れ出たことからして、水銀を採取していた縄文土着民という説がある。《井氷鹿の井戸》中井龍彦記
イヒカは丹生にかかわる人々のわかい女性リーダーであったことがうかがえます。
その女性とムラクモが結婚し子をもうけるというのは少し無理があるかと、、、ムラクモがほんとうにイスキヨリ姫を実母としていたのならイヒカがあらわれて(低くみつもって12歳)からムラクモがうまれるまで20年はたってます。32才以上の年の差は結婚できたとしても子はどうでしょう?
一つの可能性として、ムラクモはイスキヨリ姫の実子ではなく、神武東征の時にはすでに生まれていた、ということ。
もう一つの可能性は、ムラクモはタカクラシタがイヒカに産ませた子で、イヒカの父親ちがいの子である「イヒカ」と結婚した、、、
誰が母かは別としてとにかくムラクモは、丹生の関係者と深いつながりを持つ人ではあったようです。
土蜘蛛の分布地と丹生(ニュウ)・砂金・砂鉄など鉱山資源の産地が合致する。というより、合致するからこそ冷酷に駆逐されたのである。『鬼(大竹丸)と女神(瀬織律姫)第一章  鬼の誕生』堀貞雄著
タカクラシタは神武時代の12年間紀伊国造を務めていました。平らげた土蜘蛛たちの不満や恨みを弔うために祀る仕事もおこなったのだと思われます。葛城の地に多く残る土蜘蛛塚もその一つだったのでは?と思うのです。イヒカという屋号をもつ丹生の女王とタカクラシタ(天孫系)一族の婚姻も弔いと融合の一つだったのかもしれません。
タカクラシタが仁政を行ったことと、再度朝廷にあらがうコシクニの土蜘蛛を武力なしで調停できたことと無関係ではないでしょう。紀伊国造時代に”丹生”との距離をぐっと縮めたことは、丹生産業をタカクラシタ会社に組み入れることでもあるのです。土蜘蛛と嫌われ虐げられた人々との和解にはタカクラシタの深謀遠慮が働いているものと考えられます。
  
③第2嗣天忍人命(アメノオシヒト)
天忍男命と兄弟?伊富岐神社には第三子天忍人命となっているが、水主神社では天忍男命が祀られている。系統の分岐点かも。  
④第3嗣天戸目命(アメノトメ)    
⑤第4嗣建筒草命(タケツツクサ) 
タケツツクサの祀りを継ぐ人としてタケトメに任じた高霊天皇。タケトメはアメノトメの養子に。  
⑥第5嗣建田背命(タケタセ)
第5嗣として本来なら建斗米命が入るはずだが、建斗米命の子の建田背命が第5嗣に入っている。タケトメは、ムラクモかオシヒトの年代と思われ、配慮が為されたか?
弥彦を継いだ建田背命の治める範囲は広く、丹波・但馬まで及ぶ。海部氏の祖。          
⑦第6嗣建諸隅命(タケモロズミ)
崇神天皇の臣。
水主神社の祭祀【祭神 天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊】
①天香語山命 
②天村雲命  
③天忍男命  
④建額赤命 
⑤建筒草命    
⑥建田背命       
⑦建諸隅命   
⑧倭得玉彦命 
⑨山脊大國魂命
大縫命、小縫命
神社丹波国造・海部氏(あまべ)