神社仕事先の参拝で、豊川編です。
豊川という地域には中央構造線と呼ばれる日本最大級の断層が通っています。

赤線:中央構造線 青:フォッサマグナ 
出展:Wiki
以前紀伊半島の中央構造線に沿って神社巡りをしましたが、仕事がらみで7月は豊川から新城にかけて巡りたいなと思っています。電車移動なので電車沿いが基本ですが。
中央構造線と結びついているのが丹生(ニュウ)・砂金・砂鉄など鉱山資源の産地であることです。
ほかの地域とことなる周波数を持っているのです。電磁波を発生しているんですね。そのような地域に神社が多く存在しているのにはやはり理由があるのです。
神社の云われ、伝承をしらべると高位・偉業・祟りを成したキミ・オミ・タミの「しい」「しむ」を鎮め魂(たま)を発現させるよう祀ることが目的だったと思われます。
ホツマツタエによりますと人の心には5つの機能があるといいます。
こころは・・・思考のことかな。幹に葉が茂るように色々な方向に広がっていく。
みやひ・・・感情、なさけ。男女のみやひ、などと使われます。
たま・・・仏性や神性かな?神さまの一部としての自分。無我なるこころ。
しい・・・自我のことかと。
しむ・・・欲、煩悩といいますか、行動動機といいますか。
「しい」「しむ」により本来の「たま」が曇るとき道が曲がっていきます。
「たま」と「しい」が相通じると道がみえます。「しむ」によって動力を得て「みやひ」と「こころは」は縦横無尽に発展させていきます。
私たちが忘れていることを古代の人々はよく知っていて実践していたのです。
「たま」と「しい」は相通じる必要があります。
それをつなげる役割を神社は担っていたのではないでしょうか。
地殻変動により生じた中央構造線は南の大陸と北の大陸が合体し日本列島の元となっただそうです。
日本列島は「日本よあれかし」と地球が作った島なのです。
その島にヰクラムワタを吹き込んだのがイサナキ・イサナミということです。
各地域に共通語を伝え、農業を伝え、名と司を置いて開いて歩いたのです。そして日本の精神をつくる「ひひめみお(1姫3男)」を産み落としました。
日本が合体した傷跡ともいえる中央構造線には多くの宝物が埋まっていました。
しかし、電磁波が強い地域だったためにいろいろな支障を生じたことでしょう。一つに人の奇形ということも考えられます。電磁波同士が感応しあって異次元宇宙からのコンタクトも容易だったかもしれません。電磁波から身を守るためのものを生み出したかもしれませんね。神社もその一つであると思いますが。天なる「たま」と地の「しい」が出会い調和する場所として。
ということを確認しつつ、わくぐり神社での「たま+しいBalance」はどんなものになったでしょう。
神社わくぐり神社。73番目。

変わった名前だなと気になったので調べてみると、ダンナとご縁のある神様だとわかりましたのでちょいと足を延ばしお参りしました。

バス移動もありかビックリマークと気づかされ、雨が止んで花曇りのなか、傘を乾かしながら東上バス停から徒歩10分。見えてきました。

うわー。結構上りそう。。。
時折強い雨に降られたばかりの木々はしっとり。
太陽がなくしっとり暗い参道ですが、重い感じはありませんね。

階段にはびっしり薄い苔が張り付いています。
両側の杉もよく育っていて古い神社だということがわかります。
この階段をのぼると、禰宜さんとご近所の方が話されていました。

ご挨拶をして拝殿へ。

拝殿は建て替えられて新しいです。

皇室のおめでたの折に祈祷をし、護符を奉納されているのですね。

祭神は保食神(うけもちのかみ)
   稚産霊神(わくむすびのかみ)
ウケモチは古くホツマツタエでは三代アマカミのトヨクンヌの兄弟として現れます。
ウケモチの8代孫はカダマロで、その親のウケモチをアマテルカミの弟ツキヨミが誤解から殺してしまいました。それでツキヨミはアマテルカミから遠ざけられます。アマテルカミは自らウケモチのもとへ御幸します。ウケモチは大切なお仕事でありクニタミの直接糧になるものですから、大切にされるのは当然ともいえます。

驚くのは稚産霊神が安産の神様として信仰を集めている事でした。
ホツマツタエ5アヤ
かくつちに やかれてまさに
おわるまに うむつちのかみ
はにやすと みつみつはめそ
かくつちと はにやすかうむ
わかむすひ くひはこくわに
ほそはそろ これうけみたま

「ほそ」とは臍で、へその緒から豊かな田畑の実りを生み出したということから「安産」なのかもしれません。全国から、また海外からの参拝者もいるとのお話で驚きました。
私はちゃっかり「仕事の安産」をお願いしましたけどニコニコ
蚕や桑を生み出したのですから衣類や産業の神様でもあると思うんです。
禰宜さんに勧められてご朱印をいただきました。
ダンナと思い拝ませていただきまっす晴れ

ところで、このわくぐり神社のご由緒にこうあります。
雄略天皇の朝、丹波氏族の勢力地である当「穂の国(東三河一帯)」の国造葛城菟上足尼が丹波の国から保食神、また稚産霊神を併祀するため勧請したもの。
起源は三河国内神名帳にある従四位上和久知明神が従古の名であったことは学者らにより論証済み。和久知はわくくりと同体であろう。おそらくは太古から蚕桑の産地であったと考えられる。

当時穂の国は丹波氏族の勢力地としています。
孝霊天皇(7代)時代に建田背命が丹波のミコトモチに就任する。(丹後市久美浜町)
開化天皇(9代)の妃の一人に当時の葛城直・葛城垂見宿禰(ユゴリ)の娘、鸇比売 (わしひめ)タカノヒメ)がいる。
崇神天皇(10代)時代、丹波大矢田彦(大倉岐命の父)妹が丹波道主王の妻になる。
   同時代川上出石別が但馬国造の祖に。
『古事記』には開化天皇(9代)の孫丹波道主王の子(11代か12代にあたる)が「三川の穂の別の祖ぞ」と書かれているのが穂国のはじまりとされるとあり、
『先代旧事本儀』には成務天皇(13代)の時代、尾張氏の同祖の建稲根命(たけいなだねのみこと)の4世孫にあたる大倉岐命(おおくらきのみこと、大楯縫命)を国造に定めたことが丹波国造の始まるとされています。(舞鶴市)但馬国造は船穂足尼。
応神天皇(15代)時代、新羅侵攻に功績を残した建振熊宿禰が丹波・但馬・若狭を含む広域支配者、丹波直になる。(天理市和邇)新羅国王の娘と結婚した。
また『先代旧事本儀』に雄略天皇(21代)朝に葛城襲津彦4世孫の菟上足尼(うなかみのすくね)を穂国造に任じたとあります。

「丹波氏族」とは丹波道主王を意味するのでしょうか?
葛城襲津彦は孝元天皇の4世孫で、娘は4人の天皇を生んでいます。当時の奈良で相当な権力を握った人物です。その流れの葛城氏は雄略天皇時代に滅ぼされる運命にあります。迫りくる脅威を感じつつ丹波の国から保食神、また稚産霊神を併祀するため勧請したということなのでしょうか。
新しい若葉がどんどん生まれ平和が保たれることを希う神社だと思います。

神社わくぐり神社(愛知県豊川市)
祭神 保食神(うけもちのかみ)
   稚産霊神(わくむすびのかみ)