最終更新日2015.9.22
神社豊川・新城神社巡りに関して調べていて一つのテーマを貰いました。
「アラハバキ」という神さまです。
発祥は津軽だといいますが三河にはアラハバキにご縁のある神社が多いんです。
つい最近まで聞いたこともない、聞いていても耳が閉じスルーしていた神様でしたが、今回、三河の中央構造線上のパワースポットとして名高い砥鹿神社(とがじんじゃ)の元宮の祭神にアラハバキの名を発見し意識が釘付けになりました。「いったい誰なんだ?」と。
アラハバキ神(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)Wikiより
神「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)が祀った地主神
神伊勢神宮には「波波木(ははき)神」が祀られているが、その祀られる場所は内宮の東南、つまり「辰巳」の方角、その祭祀は6、9、12月の18日(これは土用にあたる)の「巳の刻」に行われるというのである。「辰」=「竜」、「巳」=「蛇」だから、蛇と深い関わりがあると容易に想像がつく[1] 。ちなみに、「波波木神」が後に「顕れる」という接頭語が付いて、「顕波波木神」に。
神「荒脛巾神」という文字から、脛(はぎ)に佩く「脛巾(はばき)」の神と捉えられ、神像に草で編んだ脛巾が取り付けられる信仰があった。多賀城市の荒脛巾神社で祀られる「おきゃくさん」は足の神。
神朝廷が外敵から多賀城を守るために荒脛巾神を祀ったとしている。朝廷にとっての外敵とは当然蝦夷である。つまりこれは荒脛巾神に「塞の神」としての性格があった。
神門客人神はアラハバキから変容したものであると主張、その門客人神の像は片目に造形されていることが多いことと、片目は製鉄神の特徴とする説があることを根拠として、近江は「アラ」は鉄の古語であると主張し、山砂鉄による製鉄や、その他の鉱物を採取していた修験道の山伏らが荒脛巾神の信仰を取り入れた。
神荒脛巾神は氷川神社の地主神で先住の神。
鬼の神「荒脛巾(アラハバキ)」より
神古代先住民(アラハバキ族)の祖神、守護神として祀ったもので、ある文献によると、東北、関東の地に600余社数え、平安期のアラハバキ系中心王侯は南部衣川『安倍氏』が後裔と言われる。
前九年の役後、改神或いは合祀の憂き目にあい、現在県内にのこるアラハバキ社は当社ほか数社の御鎮座に。
三重県を境に以東はアラハバキ神社、以西はほとんどが客神社(客人神社)である。大和王朝の本拠地の奈良県や京都府には存在せず、従って、近畿地方も少ない。ただし、上記分布からアラハバキ神の信仰は全国的な広がりをみせており、単に東北地方ということではなく、特に出雲と物部に密接に関連しているようだ。
緑字の部分を読んで想像したことはホツマツタエでいう「カシマダチ」のことでした。
カシマダチによりオオナムチは出雲の国から津軽へ移動になっています。カシマダチで最後に粘ったのが諏訪大社のタケミナカタだったのです。カシマダチが起きる前からオオナムチを諫めていた長男のクシヒコは最初アスカ宮の右の臣として奈良に留まっています。
最初、物部氏を名乗ったのはウマシマチであり、ニギハヤヒはその父です。ニギハヤヒの母が3代大物主・コモリの次女なのですね。「物部」というのは「大物主」の仕事の一部だと見られます。神武の時代に組織構成が変わったのかもしれません。
要するに、緑字の部分が示すことはオオナムチとタケミナカタの行動・経緯そのものだということです。
愛知県にある7社の殆どが三河地方にあるのです。伊那街道で諏訪と通じるところです。
砥鹿神社奥宮に荒羽羽気神社があり、大己貴命の荒魂を祀るとあります。
アラハバキを祀る人は国の中枢と敵対する人々だというイメージが浮かび上がります。陽の当たらない場所にいる人々のこころの拠り所だったのか。
こんなことを考えつつ眠り就き、一つの夢想が湧いて来ました。
声は言います。
「アラハバキとはアーススタークリスタルを守護する存在である」
光の柱瞑想の最後にアーススタークリスタルを守護する存在が登場します。
存在は、一つにまつろった高い次元の宇宙から繰りだれされる光の柱を地球にグランディングさせ、その状態を常に保つ役割を持っています。そして関わる人を光の柱に中に常に居られるよう守護してくれます。
それは「国津神」と呼ばれた存在の本来の役割なのでは?
「まつろわぬ蝦夷」「国譲り関係者」「土蜘蛛」が祀るアラハバキ・・・。
なんとなく重たいイメージを持ってしまう名ですが、大地に足をつけて天の道をゆくためには絶対必要な神様だと思えました。そんなところで参拝となりました。
神社砥鹿神社。74番目。
伊那街道のすぐ際にあります。バス停の目の前。

参道をゆっくりあるいて5分
こちらが表神門です。

正面の拝殿の手前にあるのは・・・

茅野輪。夏越大祓の季節ですね。

「日本の住まいは夏を旨とせよ」というのは、夏に罹る疫病は死に至ることが多かったからでしょう。夏越しは日本人にとっては一大テーマだったのですね。

茅野輪をくぐり拝殿にお参りすると、偶然このタイミングで奥の神職が祝詞をはじめられました。ありがたや。
なので斜めから撮らせていただきました。
祭神のオオナムチノミコトは出雲発展の立役者です。本家の出雲大社の祭神はソサノオー大国主と変遷しているようです。ホツマツタエによると、出雲の守としてソサノオが開拓し、その子オオナムチがクニを大いに発展させたということで、カシマタチまではオオナムチが出雲の守であり大物主だったのです。だから本来祀られるべきはオオナムチではないのかなと思うんですけれど。出雲にとどまらず国全体の発展のために尽くした国津神の出世頭である大国主命がご祭神であることは「日本」としてかんがえるならば、なるほどです。

境内は工事中で、拝殿の軒伝いに二宮へ。
三河ゑびす社。75番目。

祭神は初代事代主、2代大物主、オコヌシ(大国主)、大国魂と数々の称え名を持つオオナムチとタケコ(奥津島姫)の第一子クシヒコです。ゑびす様の言われはクシヒコの「ゑみす顔」から来ています。
カシマダチの時、初めから父の増冗漫を諌めていたクシヒコはミホノ海岸で蟄居します。そのときに鯛釣り三昧の暮らしをして過ごしていました。父からカシマダチのために軍人を朝廷がよこしてきたことをクシヒコに相談に向かわせたときに使者にゑみす顔で迎え、父とともに私も津軽に参りますからと諭したのでした。ゑびすさまが鯛釣り竿と籠を持っているのはこのときのクシヒコの姿なのです。
ちなみにニニキネが最初の宮を建てるときに建築則を作ったのがクシヒコでした。大国主の名が付いたのは、そのときです。
拝殿の中は提灯で一杯。


お隣に鹿さん。砥鹿さんですもんね。
社伝によると、オオナムチノミコトは国土を開拓し諸国を巡幸され、但馬に移られたのち本宮山に留まって、この山を長く神霊の止め置く所「止所(とが)の地」とされたということです。
一説には文武の病気平癒を煙厳山に棲む利修仙人に依頼すべく、草鹿砥公宣卿が勅使として、派遣された。公宣卿は、現医王寺の地において、不思議な夢を見た。
煙厳山に行く途中に川がある。川には橋が架かっていないが心配することはない。猿
が出てきて、渡してくれよう。はたして、夢のお告げどおり、川に掛かると橋がな
い。そこに猿が出てきて、橋となり、渡してくれた。これが現在の猿橋の地(新城市
出沢(すざわ))である。
一方、砥鹿神社の縁起は、草鹿砥公宣卿は、煙厳山に行く途中、本宮山中(砥鹿神社
奥宮が鎮座する。)で、道に迷っていたところ、老翁が現れる。「我が名を問わば、神のはじめの神とこそ言わめ。」といい鹿に乗った少年に案内させたと伝えられている。この老翁により公宣卿は、目的を果たせた。公宣卿は、老翁に御礼をしたい旨を述べる。老翁は、宮を建
立して欲しいと。
公宣卿は、私の着物の袖を流すから、それが流れ着いたところに宮を建立せよと。
これが、今の砥鹿神社里宮である。


もともとは本宮山奥宮のみだったそうです。
本宮山奥宮遥拝所。76番目
直前にお参りしたわくぐり神社からの帰り道、わくぐりの鎮守の森の後ろに連なる山々の中で一カ所ツコンとしている山が見えたんです。なぜか、それを撮らなければという気持ちになったのです。ところが私は「まいっか」と思ってしまいました。ひょっとしたらあれが本宮山だったかも知れません。方向的にも。

お隣は守見殿神社です。77番目。

疫病の守護神ということです。
1月6日におこなう宝印祭で神社秘伝の宝印をいただくと夏の疫病に罹らないと伝えられています。

境内には細石が。


バスまでの時間があったし、疲れたので休憩所でお休み。
窓からかなり遠くに田んぼが見えます。落差がかなりのものです。
神社社地は標高26メートル。東側の田んぼは10メートル。16メートルほどの落差があります。
これが中央構造線ですね。
あっちとこっちが別々の陸だったなんて。

しかし、こんだけアラハバキをしらべてお参りする気満々だったのに痛恨のミスが今発覚!!
荒羽羽気神社にお参りしてないじゃん叫び
痛恨すぎでしょ○| ̄|_あああ・・・
普通だったら来た道と違う道を歩きたがるのに、なぜか同じ道をバス停に向かったんです。
車道をあるいてきたら自然とお参りできたはず。どういうわけなんだ。
狐に鼻を摘まれているようだ。。。きつね。。。

そのかわり、ということなのでしょうか。
ひさしぶりに気もちのいい森に長く浸れて清清しく心は充たされていました。




二の鳥居を出たところで明らかに光が変わりました。



ここからがアラハバキの神域です。



こんなことにも何か意味があるんでしょうね。

一の鳥居です。

朝陽7日になってもう一度ホツマツタエの8アヤを読んでいてある「ハタレ」の名にどうにも心が引っかかります。8アヤとはアマテルカミの時代に起きた6つのハタレの反乱の顛末が書かれているところです。気になるハタレの名は「ハルナ・ハハミチ」。
発音によっては「アラ・ハハチ」と聞こえないでしょうか。
ハルナハハミチは津軽・東北・関東・東海に掛けて蜂起しました。
正体は何かというと「鵺・アシモチ」妖術使いだったのです。鵺とは「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミに似る怪物」とあります。「人に憑くと考えられている動物はキツネとオサキである。オサキはネズミやイタチに似た実在の小動物で、尾が長く、群をなす。耳が人間と同じような形で、後ろ足で立って人を招くともいう。しばしばオサキとキツネは混同され、オサキギツネという言い方もされる。特定の家に飼われており、飼っている家をオサキモチやキツネモチ、またアシモチ(足持ち)、ヨツアシ(四つ足)などという。持ち筋は経済的に上層にあった家が多く、通婚、交際などで持ち筋となるが、様々なケースがあり個々人の判断が大きく関わっている。」たしか、アラハバキは足の神さまでもある。。。
ハルナハハミチが言うにはネノクニの国司が手柄を立てればクニ守に取り立てるとソサノヲの勅命が出ていると唆されたということであった。
おそらくはハヤコあたりから出たであろうそのようなデマが何十万人の反乱に広がったのですね。ソサノヲが責任を感じていただろうことは、そのデマ元であるシラヒト征伐によって理解できます。
ハルナハハミチを破ったその時詠われたのが「さつさ(粽)つつうた」でした。
豊川進雄神社のお祭りで「笹踊り神歌」というものがあります。秘中の秘で氏子でも祭礼の時以外は唱えることができないそうです。それはアマテルカミ軍が詠ったさつさつつ歌の伝承ではないかと。
ハルナハハミチがアラハバキだとすると、見方が変わってくるな~えっ
夢想にあった「アーススタークリスタル」って何なのかということになります。
※このような事前調べが足りず、参拝は許されなかったのかも
真珠ができる時の過程は、人が成長して魂が美しく輝きだすときの過程に似ています。
真珠の核は貝にとっては塵芥、ヲエクマなのです。貝は砂を噛んで痛い思いをするでしょうが、やがて砂は一重一重7色の衣を身に付けて美しい真珠へと変容を成し遂げるのです。
地球にとっても元々の核は宇宙に漂う一片の岩石だったのでしょう。「アーススタークリスタル」です。岩石の塊が引力を持ち水も火も土も風も生まれました。アラハバキはひょっとしたらアコヤ貝が砂をかむ痛みを表しているのかもしれない。ソサノオのようにサスラオ(放浪者)から高貴な人としての経験を積み這い上がり最後は輝く、そういう人生を歩めと、神さまの思し召しなのかもしれません。
サスラオ時代のソサノヲがアラハバキのイメージとダブります。ハルナハハミチの登場する時代、世のクマが集まる熊野で生まれたソサノヲは暴れすぎてサスラオに落ちた御子だったのです。オオナムチを中心として、親のソサノオは荒魂の働きがあり、子のクシヒコは和魂の働きがあると考えられないでしょうか?
神社砥鹿神社(愛知県豊川市)
祭神 大己貴命
神社三河ゑびす社(砥鹿神社境内)
祭神 ゑびす神
神社本宮山奥宮遥拝所(砥鹿神社境内)
祭神 大己貴命
神社守見殿神社(砥鹿神社境内)
祭神 大己貴命 和魂
迦久の神(かくのかみ)神様の使いの鹿の神
倉稲魂神(うけみたまのみこと)食物の神