神社神倉神社。81番目。
蒲郡の仕事先の参拝です。7月は三河づいています。

ご祭神のタカクラシタは熊野速玉神社摂社神倉神社で育ちました。
神武東征で一躍歴史の表舞台に躍り出た人物です。
タカクラシタの人生は正しく伝わっていないようなのですが、ホツマツタエには詳しく記述されています。タカクラシタは後に天香語山命となっているのですが、なぜその名を語るようになったのかは「謎」としか言いようがありません。

タカクラシタに付いてはこちら
ただ、何故ここに?

仕事が終わり神倉神社に歩き始めた時にぼつぼつと降り出した雨が次第に雨脚を強め止みそうにありません。そういえば台風が来てるんだよね。。。

神倉神社に行く日はイツモ雨。雨。雨。

シンプルで白い壁の拝殿は清々しいですね。

左隣。石のお社は秋葉神社。右側のお社はどなたが祀られているのかわかりません。
他に対象になるようなイワクラなども無いので、そちらがアラハバキ社なのかな?
めずらしいな、と思ったのは右側のお社の前に方丈の平面的なろうそく立てが5,6個連ねて設えられていたことです。

蒲郡市の名木に数えられているクロガネモチの樹です。
あいるさんの情報によりますと、幹は二つに分かれ家族のような幸せなオーラを漂わせていたとあります。クロガネモチの実が付く冬に行かれた様子が語られています。
私はじっくり観察ができませんでした。木は静かに眠っているようでした。

後ろの高い木が実のならない”お父さんの木”、手前の豊かに丸い感じのが”お母さんの木”でしょうかね。ソウルツインなんですね。
神社ココは、明治時代の棟札には「客人大権現」とあるという情報があります。イサナミが祀られていたようでもあります。
客人大権現とは近畿以西でアラハバキのことを言うらしいのですが、アラハバキを信仰していたと思しき土蜘蛛をタカクラシタは退治しています。ただ単に退治しただけでないことは、息子のムラクモ(アメヰダキ)が土蜘蛛族と思われるヰヒカリと結婚していることから伺えます。どうもタカクラシタは退治するべき存在、忌み嫌われた存在と融和政策を行っているようなのです。
もともと新潟というところにタカクラシタの本社があります。「ヤヒコモリ」を仰せつかっているのです。ソサノオの時代にアラハバキが実在したとしたらタカクラシタからは3世代前のことで、神となっていたでしょう。そのアラハバキノカミとの接点は当然あったことでしょう。
アラハバキノカミを率先して祀ることをもって当地の土蜘蛛を懐柔したということもあり得ないことではないかも。
なぜかというと、葛城坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづち)のご祭神に天香語山命が坐すのですが、その一角に土蜘蛛塚があるようなのです。これは一つの謎ですが、講和条件として塚を造る約束があったということも考えられなくはないでしょう。まあ、祟りをなすので祀ることはよくあることではありますが。
蒲郡はそのむかし、蒲の生えるところだったのかもしれませんね。1137年から12年間遠江守を勤めた藤原俊成が開発した荘園があったそうです。その後丹後守に就任するのですがおそらくはその時に蒲郡の荘園は熊野に寄進されたということです。だから熊野三山が勧請されたのですね。
熊野速玉神社の名の由来になったハヤタマノヲは、ご神徳がそれほど伝わっていませんがイサナキ・イサナミの仲人を務めた方なので縁結びです。その摂社としてタカクラシタが祀られています。
ここ、蒲郡の地ではご神木としてハヤマタノヲのご神徳が存分に発揮されているようですね。
神社神倉神社(愛知県蒲郡市)
祭神 高倉下