神社高坐稲荷社。87番目。
仕事先での参拝です。

木下籐吉郎秀吉が幼少時、母に連れられて参拝したと言われていることから「太閤出世稲荷」とも呼ばれると由緒にあります。

鳥居の列柱はうねり、異空間を感じさせます。
向こう側に出ると広い境内につながっています。
神社高坐結御子神社。88番目。

祭神がタカクラシタで、ホノアカリの御子であることを表していますが「結」の字は何を意味しているのでしょう。古語で調べると「生じる」「つなぐ」「両手で掬う」「関係をつける」「組み立てる」「構成する」などが出てきます。

ホツマツタエでは出て来る話ですが、タカクラシタの実父はホノアカリの右の臣のカゴヤマです。
ホノアカリに嫁いだ妹のアメミチヒメに子ができないので自分の子どもをホノアカリの養子に出したのです。そういうお話は記紀やその他文献には残っていないようでほとんどの神社で「天火明の子、天香語山」となっていると思います。けれども、この高坐結御子神社は唯一そのことを表記している神社なのかもしれません。つまり「結」とは契約で親子関係になった、ということを意味しているのではないでしょうか。
ちなみにカゴヤマの実子ということはアマテルカミの三女神のひとりタキコは祖母に当たり、タカクラシタはアマテルカミの実曾孫です。参考記事はこちら
神社新宮社と鉾取社。89番目。

新宮社祭神はソサノヲ。神主さんによると新宮社と鉾取社は左右に侍い、矛と盾としてたかくらさんをお守りしているのではないだろうか?ということでした。ソサノヲは「盾」ということになります。世のヲエクマを一身に受けたことはアマテルカミの「盾」のお仕事だったといえなくもないですもんね。

神社御井社と霧両雨(ムラサメ)大龍神。90番目。

いずれのお御時にか、病児を包み守った龍があったそうな。
龍は子供を抱きかかえてペロッとヒト舐めしたと。
すると子どもはすっかり元気になったそうな。
お礼をしたいと申し出ると、居場所がほしいとのたまった。
そして、眠る住居として御井戸と、リビングのような応接室のような昼間の居場所を楠とした。

ハートを描くこの双龍は霊験あらたかで、これまでに5度も助けられたという御仁も毎日お参りするという。

上記は神主さんが教えてくれた龍神伝説です。
実際に木に触って温かみを確かめてください。
この龍神さんは触らないとだめですよ。って。

青い光が降りてきました。龍神さんの尻尾を捕らえました。

木のおへそ。間近に触れて、見て気づきました。木の胎内空間とつながるところですね。
霧両雨(ムラサメ)大龍神という御名は御嶽山を信仰する方々によってわかったそうです。
神社白蛇さんのご神木。


何が気持ちいいって、神主さんの人柄ですね。
高坐の鎮守の森をまもる神主さんです。

南鳥居の近くにカゴノ(鹿子)木。
南鳥居です。
ビジネスマンの後姿が目に入りますが、お昼休みにボツボツとネクタイ姿の男性がお参りに来ていました。タカクラシタさまは幼少期には不遇のときを過ごされたと思われます。
そのせいか思慮深く、できる限り矛を使わず知恵と人望で平定する人であったと思います。スベオシカを背任した大器晩成で出世した人物ですから、ビジネスマンに尊敬されるのですね。
だからこそ、子育ての神様とはちょっと意外な気がするんですよね~。

近辺には古墳が多く発掘されたそうです。
ただ、開発されてしまって残っていないのですね。
タカクラシタ本人が尾張にやってきたかどうかはよくわかりません。
タカクラシタの本拠地は新潟にあり、神武以来続いた奈良の都でタカクラシタの子孫が君の重臣や后になっおり葛城地方にも傍流が根を張っていました。オトヨの父までは奈良の葛城にいたようですから尾張国造として直接尾張氏の祖となるのは上知我麻神社に祀られているオトヨだと思われます。
ニギハヤヒの時代に取り潰されたアスカ宮の祀りを続けることは尾張氏ならびに海部氏らタカクラシタの子孫に託された天命だったと思います。
それを意思したのは神武天皇だったような気がしています。アマテルカミが目指した「トノヲシテ」の一形態である二朝並立を完成させるために。それを神武からオフレコで頼まれ、さして尊敬もしていない義父のホノアカリの祀りを継ぐことは、律儀で賢いタカクラシタの遺言でもあったのではないでしょうか。
「トノヲシテ」を理解できない人が増えたことによって、血なまぐさい時代がすぐにやってきます。正統性を血で洗い、曲げた言葉で真実をあやめる時代が。
神社高坐稲荷社(高坐結御子神社境内)
祭神 宇迦之御魂神
神社高坐結御子神社(名古屋市熱田区)
祭神 高倉下
神社新宮社と鉾取社(高坐結御子神社境内)
祭神 素盞嗚尊、鉾取神
神社>御井社とご神木(高坐結御子神社境内)
祭神 霧両雨(ムラサメ)大龍神