神社下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)。93番。

祭神は真敷刀俾命(ましきとべのみこと)で、尾張国造オトヨの妻です。
これから熱田神宮のお参りをさせていただく前の祓え戸として最初に参りました。

西の門から熱田の森に入りました。
すぐに菅原社。

二の鳥居の下に鳥が時折羽を広げて歩いています。

お手水舎を過ぎると左側に弘法大師お手植えと伝わる樹齢1,000年の大楠。

拝殿に向かって少し行くと何の案内もないお社がありました。
西八百万神社。94番目。
祭神は西国坐八百万神。

参道の右にもあります。
東八百万神社。95番目。
祭神は東国坐八百万神。

マテにある八百万の神は日本の東西のすべてとつながっています。熱田神宮は日本のど真ん中ですから。

暑い日で、お参りの人もそこそこいます。落ち着かないと思いきややはり威厳があります。
目を閉じると、左のほうに剣のような光が見えました。柄の部分が虹色・・・
祈っている間、ずっと消えずにありました。

さて、何度か訪れている熱田さんですがココからが初めて足を踏み入れる部分です。
2012年に一般の参拝が可能になった一之御前神社へつづくこころの小経です。

一之御前神社に続く参道。96番目。
祭神はアマテルカミの荒魂ということです。熱田さんの中でももっとも神聖な場所といわれ、奥の院といってもよいかもしれません。
祭神は祓戸神・瀬織津比売(せおりつひめ)だという方が多いです。
アツタ神には鬼門であるイフキ神の方向に置いているという見方もあります。
ココで手を合わせたときは後ろで参拝を待たれていて心が急いてしまってわかりませんでしたが、最後の最後、わかったことがあります。

こちらは清水社。97番目。
祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)。

この井戸で目を洗えば目が、肌を洗えば肌がきれいになるということです。
また、3メートルほど向こうに或る石に三度水を掛けて祈ると願いがかなう、とか。
ここも、結構な人がやってきていてゆっくりとは行きませんでした。

清水社のすぐ近くのご神木。98番目。
どっしり構えてどことなく女性的です。つながっている感じですね。
清水社はもちろんですが、摂社高坐結御子神社の霧両雨大龍神さまとも。

御田神社。99番目。
祭神は大年神(おおとしのかみ)。ソサノヲの第六子オオトシクラムスビです。イサワの宮でセオリツヒメホノコに息子(オキツヒコ)夫婦の仲違いの相談を持ちかけたご縁のある神様です。

この社の祈年(きねん)・新嘗(にいなめ)の両祭に奉る神饌(しんせん:神様へのお供えもの)はまず烏に食べさせる信仰が残っており、祭員がホーホーと烏を呼びながら、御供(ごく)を土用殿の屋根の上に投げ上げます(烏喰の儀)。昔は烏が飛んできてそれを食べなければ、祭典が行われなかったといわれております。
津市の香良洲神社に烏勧請の座があります。説明書きに「那智、熱田にある」とされたそれがもしやココなのかも?厳島の大頭神社、滋賀の多賀大社、香我美町徳王子の若一王子宮などで「烏喰」という行事が今も続くのですから烏を勧請できるかどうかはとても重要なことだったようですね。
そして龍神社。100番目。
吉備武彦命(きびたけひこのみこと)、大伴武日命(おおともたけひのみこと)をお祀りしております。お二人は龍神さんだったのですね。

ホツマツタエにその名も聞こえます。
熊襲討ちから帰ったばかりのヤマトタケにホツマにいけとの命が下される、そのとき。
いまもまた みたまによりて
ふゆおかり あたのさかいに
ゆきのそみ まつろはさらは
うつへしと おかみてきひの
たけひこ
と おおともたけひ
したかえり ななつかはきを
かしはてと ななつきふかに
かとてして

伊勢に参り、いその宮の倭姫に面会をし東征に向かいます。
きひたけひこは
みやこちへ のほせもうさく
そのふみに

アツタ神の最期の勅を都にとどけるのが吉備武彦です。
そして次は大幸田神社(おおさきだじんじゃ)・・・は隠れていて、なんと、スルーしてきてショック!しまいました。「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りし富貴栄達を祈る神様と言われていますのに。通常は六ハタレ討ち以来改心したお狐さんが守るお稲荷さん様式が多いのですが、ここはもっと昔の形態そのままなのかもしれません。アマテルカミがとても大切にされたふるーい神さまです。
内天神社(うちてんじんしゃ)。101番目。
祭神は少彦名。こちらでは医薬の神様として祀られています。
6代タカミムスビ・ヤソキネの子でオオナムチと一緒に全国を回り農業指導などをした神様です。
オオナムチが津軽に向かうと、4代アマカミ・ウビチニの時代の雛の伝承を伝えて歩いたということです。加太淡島神社にご縁の深い神さまです。本州最南端の神社潮御岬神社のご祭神でもあります。

乙子社。102番目。
六末社の最北に建ち祭神は弟彦連(おとひこのむらじ)です。『先代旧事本紀』に記載されている尾張氏系図18世孫中の14世孫ということです。乙子(おとご)は弟彦連の又の名、竟乎己連(おとごむらじ)に由来しているかもしれません。ただ、なぜ14世孫がこちらに祀られているのかという謎があります。
もう一人の弟彦命―吉備武彦の孫で若き矢の名手だと云う説もあります。こちらはヤマトタケに付いてクマソ討ちに加わった方です。

姉子神社(あねごじんしゃ)。103番目。
宮簀媛命を祀ります。氷上姉子神社が本拠地です。

今彦神社(いまひこじんしゃ)。104番目。
建稲種命。宮簀媛命の兄で、ヤマトタケの副将軍として関東に向かいました。東征の帰路、建稲種命は駿河の海に落ち水死しました。

水向神社(みかじんじゃ)。105番目。
弟橘媛命。
ときやまとたけ おおいそお
かつさへわかす いくさふね
たたようかせお しつめんと
おとたちはなは へにのほり
あめつちいのり わかきみの
いつをやまとに たてんとす
われきみのため たつとなり
ふねまもらんと うみにいる

ヤマトタケの東征についていき、途中の嵐で難破しかけたところを「私が竜となり夫を守る」といって海に身を躍らせたことで有名です。

素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)。
ヤマトタケは自分がソサノヲの生まれ変わりだと思っていました。
かみのつけ われはいやしき
ひかわかみ もとにかえると
めくみこる まよいをさとす
しめしなり

輝かしいアツタの神といわれて鼻高々となった。元は世のヲエクマ為したシタタミのヒカワ神であるのに、という神の告げ。元の木阿弥のヲエ、迷いを諭すためのその身の病となった。と。

日長神社(ひながじんじゃ)。106番目。
日長命(ミヤズヒメ兄)。知多の日長にご縁の神さま。

こうしてみると六末社は中央政府の威信を守ったヤマトタケ東征に功績のあった神々ではないかと思われます。そうすると、乙子社に祀られているのは吉備武彦孫の方ではないかな?どうでしょうか。
徹社(とおすのやしろ)。107番目。
天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神にお祀り。神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、和魂は慈しみ加護してくださるとのこと。

楠御前社(くすのみまえしゃ)。108番目。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしております。
「子安の神」又は「お楠さま」と呼ばれ、色々な病気を治し、安産の神としての信仰が厚く、小鳥居に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれているそうです。

南新宮社(みなみしんぐうしゃ)。109番目。
疫病退散を願う「京都祇園まつり」の八坂神社と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)をお祀り。

八子社(やこ)。110番目。
アマテルカミの5男3女神をお祀り。
①アメノホヒ(母モチコ・ネのクラキネ娘)
②タケコ③タキコ④タナコ(母ハヤコ・ネのクラキネ娘)
⑤アマツヒコネ(母アキコ・筑紫のカナサキ娘)
⑥イキツヒコネ(母ミチコ・ヒタカミのヤソキネ娘)
⑦クマノクスヒ(母アヤコ・筑紫ムナカタ娘)
⑧オシホミミ(母ホノコ・ハラミのサクラウチ娘)

曽志茂利社 (そしもりしゃ)。
居茂利大神(素盞嗚尊)をお祀り。居茂利(いもり/いぼり)とは、大小の山をかき分けて掛る雲霧のこととする一説。
曽志茂利は神名ではなく、朝鮮半島にあった古代国家新羅の地名ということらしい。素戔烏尊は一時そこにいたことがあり、「曽志茂利に居た神」、すなわち「居茂利大神」は素戔烏尊を指しているという説があります。とすると、渡来人に祀られる時の御名なのかもしれませんね。

孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)。111番目。
尾張氏の遠祖にあたる天火明命(あまのほあかりのみこと)をお祀り。
宮津の籠神社(このじんじゃ)とつながるパワースポットだそうです。

生前のホノアカリが成した事業は天香具山の築山でした。どのような意図があったかをホツマツタエは伝えていません。山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があり、高靇神も祀られています。山の北麓には櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とする天香山(あまのかぐやま)神社、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社があります。
この山は大和の中でも神聖な山と考えられ、この土で作った土器で神を祀り呪詛すれば、大和を意のままにできるとの信仰があるそうですが、ホツマツタエにこう伝えています。
すへらぎいのる ゆめのつけ
かみおまつれよ かくやまの
はにのひらてに ひもろけと
かみのをしえに なさんとす

神武東征の御時、行く手を阻まれ進退窮まった皇は祈り夢に「香具山の土で土器をつくり神の教えに和合せよ」と見る。部下の二人が敵陣に乗り込み香具山の土を取ってきて土器を作り川に流して神の声を問い従い矛を治めることに成功し大和をモノにしたということです。
香具山が天香具山と呼ばれる理由があるはずです。天駆ける船でアスカに降臨したというホノアカリが築山したお山です。「宇宙人がUFOの着陸地を作った」と見れなくもないです。
香具山には高靇神が祀られていますが、この神さまの出生は謎なんです。高いところにいる水の神といわれていますが。。。 
また、櫛真智命神とは卜事占兆をつかさどる神ということです。奇(くし)を待つ。。。
ホノアカリは「クシタマホノアカリ」と記述されることもあります。ひょっとするホノアカリの亦の名なのかもしれません。お山を築いた本人なのですし。
生涯アスカの宮を離れなかったはずのホノアカリさんは籠神社、真清田神社をはじめ尾張氏や海部氏の祖として広い範囲で営々と祀られている大変影響力のある神さまです。
日割御子神社 (ひさきのみこ)。112番目。
天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)。当時この周辺は海に臨む「干崎(ひさき)」と呼ばれた場所であったそうです。

今日訪れた中で最高に気持ちのいい場所でした。
神さまとつながった感を持つことができました。というよりも考えを深めるためのポイントを教えてくれているのかもしれません。
熱田神宮の最南端をお守りするのがオシホミミさまなら、最北端を守るのはやはりオシホミミを皇太子に立てた母であるセオリツヒメホノコさんに違いありません。
そして丁度二つを結ぶ中ほどにアマテルカミの和魂である徹社(とおすのやしろ)が鎮座します。速い川の流れで罪穢れを押し流す祓戸神の勢いは息子のオシホミミあって成立しました。
調べてみると熱田神宮は堀川断層と尼ヶ坂断層という並行する二つの活断層の間に位置し、この「ホミミのレイライン」は断層と平行して通っているんです。


やはり熱田さんは名古屋の鎮守の森ですね。
気持ちを一新した感覚があり、さあ、熱田さん参拝も終盤です。
きもちい~な。

向こうに見えるのが上知我麻神社の鳥居です。

事代主社(ことしろぬし)。113番目。
託宣を司る神のことで、初代コトシロヌシはオオナムチの子、クシヒコです。2代大物主であり、未来のゑびす神ですね。三河ゑびす社

大国主社(おおくにぬし)。114番目。
ホツマツタエによると「オコヌシ」といい、ホノアカリの弟天孫ニニキネの初の宮造りを担当して今で言う建築法規を整え称え名として賜りました。初代コトシロヌシ、ゑびす神とは同一人物です。

上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)。115番目。
乎止與命(おとよのみこと)をお祀り。ご神徳は知恵授け・商売繁盛とのことです。尾張国造になられた方です。

別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)。116番目。
古来、武家の信仰が殊に篤く、天正3年織田信長は長篠に出兵の際社殿の修造を命じ、又慶長4年家康は拝殿・回廊・築地の修造を、貞享3年将軍綱吉は本殿の造替を行ったということです。

めっさ盛りだくさんだった熱田さん参りでした。
観光地ですし、愛知県人に愛されている神社ですから、充実したお参りをしたい場合は気をつけることがありそうです。
本殿で手を合わせているときに気づいたのですが、何も正面でおまいりする必要はないということ。お賽銭箱に遠くても最前列であれば大丈夫なので端っこで手を合わせることです。
次の方に気兼ねがないのでマイペースでお参りできます。
私の場合は個人的なお願いやお祈りをしませんが一連のご奉納のために少し長いんですね。
気兼ねがあると肩がこるんです。
熱田さんへの参拝でいろんなことがわかってきました。
今後のお参りがますます楽しみです。