最終更新日2015.7.26
神社竹生神社。117番目。
ひょっとしたらこちらの駅で降りて歩いたほうが早いかも・・・と咄嗟に降りた野田城駅からの道のりいグーグルマップを使いながら最短距離を狙います。しかし。。。

道なき道をあるく。。。
やっと舗装道路に出たか。。。あれが竹生の鎮守の森。

左方向に見える雲の向こうには砥鹿神社奥宮のある本宮山があるはず。

中心の「子鬼の角」のような突起はご神木か。かわいい。

雨の中を20分ほど歩き、ほうぅ、到着した!

今気づいた。本殿後ろの木が紅葉したように色づいています。
たしか、目視ではそんな木は無かったはずですが。。。
あ、これですか。
クスヒさんとのやり取りの中で「歓迎するからさ」なんてことを言われてもいたのです。
わからんかったわ~

淡い光です。優しいですね。

拝殿の右側に由緒書きが立ててあり、間にはくぐり道があります。


ご祭神は、三つの村でお祭りする熊野神社、竹生天神、多芸神社を合祀し竹生天神から竹生神社になったそうです。由緒をかいつまんで見ると
650年 郷のはじまり
922年 カモタケスミの子孫である竹生氏が郷司に。時に郷名を変更。
賀茂郷麻野里→竹生郷椙山村
賀茂神社を勧請し竹生天神とする。
1573年 武田信玄の野田兵火にまかる。
1574年 再建し近江国竹生島神社を勧請する。
1916年 神託により祭神は本来カモタケズミであるとして別山社として熊野天神社境内末社に合祀。
新城城主・奥平信昌という人物は三河国の有力国人であり、祖父の代までは今川に仕えていました。桶狭間で今川義元が死ぬと徳川家の傘下に入りました。しかし、1570年~1573年武田勝頼が三河に進出すると武田氏に属したそうです。その後、色々な駆け引きの末武田氏を離れたことにより怒った武田軍は1575年奥平氏の居城である長篠城を取り囲み、それに対して織田・徳川連合軍が鉄砲隊で立ち向かい、武田軍を倒しています。そして1576年郷ケ原に新城城を建てたことにより現在の市名になっています。
神社が焼かれた翌年に再建されています。なぜ山城国賀茂神社ではなく竹生島神社を勧請したのでしょうか。
(上)賀茂神社は天孫ニニキネを祀る神社でありつまり国造りの神さまです。海のカミであり女性神である竹生島神社とは趣が異なります。武田氏が信仰していたのでしょうか。
戦乱の世であり、神社縁起についても動転し単純に神社名から予測したのではないかと思うのですが、真実はどうなんでしょうね。

渡り廊下の下をくぐる低い通路があります。
くぐった正面に護国神社が座し、右にずらっと居並ぶ10神。
 

とみや神社と読むのでしょうか。118番目。


諏訪神社  建御名方命

飯田街道を伝って信州とつながる三河地域には諏訪神社が多く祀られています。
神社ばかりか町名にも見られるんですよね。
タケミナカタはオオナムチの子でカシマタチ(いわゆる国譲り)の際に最期まで抵抗したカミです。イヅモから諏訪まで逃げ落ち、「すわ、これまでか」とタケミカヅチに降伏したのです。
鷺田社 祭神不詳

素戔嗚社 素戔嗚命

国玉天神社 大国玉命

大国魂とは初代コトシロヌシの贈り名です。
神社名からはじめ「アマノクニタマ」かと思いました。
というのは、同じ新城にある石座神社の祭神に「天稚彦命 」が坐しますからです。
石座神社になぜアメワカヒコが祀られているのでしょう。
アメワカヒコとは中仙道を開いた美濃のカナヤマヒコの孫で、アマノクニタマの息子なのです。カシマタチ(いわゆる国譲り)の際にオオナムチの威儀を正そうとタカマから送り込まれたにもかかわらず、オオナムチの娘と結婚し、裏切り者のまま死に至った人です。岐阜県の喪山神社に祀られています。
大和賀茂氏の始祖であるアチスキタカヒコネとは親友であり後に妹オクラヒメとタカヒコネは夫婦になります。なので、アチスキタカヒコネと関連して祀られることが多いのです。
諏訪のタケミナカタとアチスキタカヒコネは兄弟です。親和性は良いはずです。
けれど祭神が「オオクニタマ」ということであれば、それはタケミナカタとアチスキタカヒコネの長兄であるクシヒコ・コトシロヌシということになります。
別山社 建角身命 

992年から祀られているもともとの神様とのご神託により300年余りの時を経て祀られました。
ですから、本来は本殿のほうに坐すのでは?
建角身命についてはこちらへ。
稲荷社 倉稲魂命

保食神です。いつの時代にも、神さまにとっても珍重される神さまです。
倉稲魂命についてはこちらへ。
若宮社 祭神不詳

多賀ー伊雑ーと並んでいるので、オシホミミなのかもしれません。
伊雑神社 天照坐皇大御神御魂

伊雑宮では拝殿の間に踏み入れた瞬間トランスに入ったような感覚がありました。
すごかったのですが、ここではそんなことはありませんでした。
多賀神社 伊弉諾尊

アマテルカミの御子、オシホミミは多賀のイサナギの元で養育されました。アマテルカミも祖父であるヒタカミに居るトヨケ神の元で100節もある「カクノフミ」をもとに帝王学を学び育ったのです。そしてニニキネはそのアマテルカミの元で育てられているのです。
兄ホノアカリは当時ヒタカミに居る父オシホミミの元で育てられたようです。
アマテルカミほどの方が孫兄弟の資質を見通せないはずは無いと思われます。ちょっと意味深な配置であると思います。
さておき、イサナギが淡路島で神上がった後はオモイカネ・ワカヒメ夫婦がオシホミミを育てています。伊弉諾尊についてはこちらも。
荒羽々気神社  祭神不詳

近くの石座神社にも荒波婆岐社が祀られておりそちらでは祭神が豊石窓命・奇石窓命となっているそうです。砥鹿神社にも荒羽々気神社が鎮座しまして、こちらでは祭神をオオナムチの荒魂としています。
前者の豊石窓命・奇石窓命についてはWikiによれば『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神(あめのいわとわけのかみ)は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。とあるほか『古語拾遺』では天照大神が岩戸から新殿に遷座したのち「豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に殿の門を守衛させた」とあり、「両神は天太玉命の子である」という。そして『延喜式』神名帳には宮中の神祇官西院において「御門巫祭神 八座」として、櫛石窓神・豊石窓神が4面の門に各1座ずつ祀られているとあります。
天孫降臨に際し豊石窓命・奇石窓命=天石戸別神で三種の神器に添えた神として思金神・天力男神とともにされています。ホツマツタエを軸に見ると、オモイカネからひよみ(暦)を引き継いだムラクモ(アメフタヱ)、先駆けのタヂカラヲ、次カツテカミ、オオモノヌシ(コモリ)の後にニニキネの乗ったヤフサミクルマ、後にコヤネが続き馬や80のモノノヘが続いたとあります。(ホツマツタヱ20あや)
イワトワケなる神の名は見当たりません。
岩戸隠れの際。ホツマツタヱ7あや
きみえみほそく うかかえは
いわとをなくる たちからを
みてとりいたし たてまつる
つわものぬしか しめなわに
なかえりましそ
 
当時の神々は生きたまま岩で入り口を閉ざさせて、死後も世の中を護れるようにとアマカミが神上がるトヨケノリが為されていました。突然そのような事態に陥り、オモイカネはモロカミと会議し作戦を練ります。アメノウズメが踊り、アマテルカミが何事かと結界を少し緩めたその瞬間を捉えてタチカラヲがその御手をお取りしました。その後結界に注連縄を掛けて閉ざしたのがツワモノヌシという神です。「御門の神」ということならばこの神が相当しそうです。
「ツワモノヌシ」はトヨケ神の子で6代タカミムズビの兄弟です。名前からみると、ひょとしたら大物主という役職が生まれる以前の「矛の守」だった可能性があります。
六ハタレ討ちの際に、秘儀であるタマガエシを行っています。そして論功行賞で磯城県の主を賜り「あなしうをかみ」を名乗りますが、古事記などにその名が残っていないようなのです。子孫に付いての記述もありません。穴師坐兵主神社に祀られてるはずなのですが、祭神は御食津神・天鈿女命、素盞嗚尊、天富貴命・建御名方命、大己貴神の分身伊豆戈命、大倭大国魂神とする説があるということです。滋賀県の兵主大社はひょうずたいしゃと読み、ツワモノヌシとは読みません。祭神は八千矛神(大国主)です。つまり、ツワモノヌシも消えた神なのです。
磯城県の主というと、神武東征の際に抵抗した勢力にいる「兄シギ」という存在を思い出します。
また、「しきたける かたきあかしも みなこはむ」という記述があり、磯城の長が抵抗軍に名を連ねているのですね。
それはツワモノヌシの子孫であった可能性が高いのではないでしょうか。
そして、アナシウヲカミという称え名が意味するのは穴を掘ってなりわう土蜘蛛たちを司る守であったということです。
豊磐間戸命のもうひとつの謂れとして天太玉命の子であるというものがあります。
ホツマツタヱではツワモノヌシの役が古事記などでは天太玉命が担ったことになっています。
フトタマはアメノホアカリの臣であり、孫のナガスネヒコになってヨツギフミを盗み写すという神を畏れぬ大罪を為しています。そのことが神武東征を招き、アスカ宮取り潰しにつながるのです。豊磐間戸命がナガスネヒコの父に当たるということならば、祀るアラハバキとナガスネヒコの伝承にも、そうかもしれないという納得感があります。
それにしても「いわとわけ」という名のモデルがあると思うのですが、ホツマツタヱに見つからないものでしょうか。役割としては「霊界の門番」のようなものでしょう。
とすると、イサナキ・イサナミのよもつひらさかでの出来事が思い出されます。
ホツマツタヱ5あや
         よもつの
ひらさかは いきたゆるまの
かきりいわ これちかえしの
かみなりと くやみてかえる
もとつみや

イサナキが恐ろしいイサナミから逃げる時のことです。
息が絶え、魂のヲが切れる「かきりいわ」で、魂返しの守といっているのはイサナキのことか?
イサナミのこと?それとも「いわとわけ」のような守がいたのか。
魂返しとは一端死んで獣の如しの醜い肉体を去り、魂しいが生まれ変わってまた人として生きられる縁をあたえる秘術です。ツワモノヌシ、フツヌシ、タケミカヅチが六ハタレ討ちの際に行いました。
どうも、それ以外に原型となる言葉がみつかりません。
色々と探求するに、荒羽々気という神は来世成仏のための守なのかもしれないと思いました。
うらみつらみ、憎しみ苦しみ、怒り、貪りなど、重く荒らしい心で生きた魂しいを強烈に浄化し、次に生まれる時は人としての道を歩む手助けをするという、煩悩にまみれた人間の救いの神さまなのでは?という気がします。
護国神社 国体を護るために働いた神
本殿左側全景です。

二宮神社 三河国一宮砥鹿神社の二宮でしたら事代主命

八幡神社 誉田別尊

応神天皇です。
全国で44000社あり日本で最も多く祭られているそうです。
軍人に信仰されました。父は仲哀天皇、母は神功皇后。祖父が英雄ヤマトタケです。
八石塔

二基目に蜂がやってきて留まっています。
動物や昆虫の出現は、神様の使いとおっしゃる方も居ます。
激しい雨や雷、吹き渡る風、燦々と照る太陽・・・あらゆるものはメッセージなんですけどね。
カラスの導きというのも何度かあります。

このご神木が鬼の角の正体です。




さあ、あとはゆっくりゆっくり新城駅まで歩きましょう。
石座神社をあきらめたので時間は十分にあります。
お宮ではかすかながら神威を感じました。ちびサインもいただきました。
けれど、帰ってきてから「お掃除をさせていただけばよかったかな」とちょっぴり心残りです。
春の例祭以降、殆ど人の手が入っていない感を受けました。
「じっくり向き合ってよ」という中にそんなメッセージも汲み取れたかもしれないのに、あまりに他人事でした。すみません。

偶然かもしれませんが、三河に来るときはいっつもカラダに浄化が起きます。

中央構造線による周波数の揺れは、なんらか影響がありそうです。
伊勢と諏訪を結ぶ三河地区。
アラハバキ神がおそらくは地震にも関係するだろうと思えます。
神社竹生神社(愛知県新城市)
祭神 
伊邪那美命
速玉男命
奥津事解男命
菅原道真公
素戔嗚尊
市杵嶋姫命
多紀理比売命
多岐都比売命
天忍穂耳命
天穂日命
天津日子根命
活津彦根命
熊野久須毘命
神社十宮神社(竹生神社境内)
荒羽々気神社  不詳
多賀神社 伊弉諾尊
別山社  建角身命
伊雑神社 天照坐皇大御神御魂
若宮社  不詳
稲荷社  倉稲魂命
国玉天神社 大国玉命
素戔嗚社 素戔嗚命
鷺田社  不詳
諏訪神社  建御名方命
神社二宮神社(竹生神社境内)
祭神 不詳
神社八幡神社 (竹生神社境内)
祭神 誉田別尊