最終更新日2015.7.31
神社六峯砥鹿神社(愛知県知多市)119番目。
何気に地図を観ていて砥鹿神社を知多半島で発見!叫び
しかも、いつも通っているおなじみの道からちょっと入ったところに。
てんで、早速お参りました。

左に「大興寺本宮山」とあります。
すぐ脇の由緒書きは、さんざん風雨に晒された後カバーを掛けたようで、読み取り不可のヵ所多し。

「由来を・・・この松の事を語らねばなりません。天保5年(1835年)弘法大師・・千年忌の事
岡田の六右ェ門と申す農民・・・と巡拝の後不意に気乱違う事となり・・・効なく神仏に帰依し奉ること5年余り・・・町程離れた南東の田で夕暮れ時・・・六・小・山を北から眺めると六つ口峰に見えたその・・・を眺めると二筋の紙が松の枝にひらめき・・・物あり取ってこれを開けば餅の粉と思しき・・・ひとにぎりつまんで味わうに餅の風味ありて・・・胸のつかえなくなり気も晴れるようになった・・・良きことと・・・その松を眺めるに・・・は黄金を・・・進様を拝めば御光は舟の如く阿弥陀・・・ありありと顕れたもう。心・心・名・・・れゆくまで拝んだ。あまりの不思議に・・・語ればそれは天道・・・・・給われるなり。大切に頂き給いて、仰ぎ・・・喜び全快するに付け人々にも施し平・・・百余人次第にこの松に参拝する人々・・・この霊験あらたかなる松も奥山にありては・・・天保・・開大日如来のある大興禅寺に・・・しかし明治初年(1868年)・・破損・・・大正初年(1912年)・・・・右のごとき有縁の自・の土地に感ずるところ有って三河国一宮の本宮山砥鹿神社を祀り再び・・・民衆の信仰祈願の場とな・・・・」

この神社の場合、習合した形で神威が表れている感じです。もともと大興寺に有ったという事です。禅寺ですが。「阿弥陀」らしき文字が見えますし、大日という文字も見られます。寺が勧請した神社のようですね。
しかし。。。六右ェ門さんは黄金の何を見たのでしょう。
お寺に有ったときは別の神さまが祀られていたかもしれません。大興寺さんに聞いてみるとわかるかもしれないですね。お寺の祠が破損した後40年間ほどは祭祀をされなかったのでしょう。
そして「感ずるところ」とあるのは、砥鹿神社からご神託が降りたということなんでしょうか。
というこの神社縁起によれば祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)という事のようです。

ここは・・・キツイっす。
鳥居をくぐるとすぐ右の木からわんさか蝉が・・・蝉しぐれというものではなく、人息に近い所で驚き一斉に飛び立ってこちらが飛び上がった叫び
トンボは身体をすり抜ける、黒い蝶々が行く、蝉はオシッコを掛けてくる・・・ショック!
なんともにぎやかな歓迎ぶりです。

小さな丘に小さな祠。
祠への階段を上ろうと足を進めるが、トトロの真黒クロスケが逃げる時の描写そのもののようなアリの大群の、右へ左への慌てよう・・・

無数の巣穴から湧いてくる。
階段の隙間からも湧いてくる。

お社の台座からも湧いてくる。

押えきれないほどのストレスを溜めこんでいる感じです。

ジオパシックストレスを。
すぐ南に霊園があり焼き場もあります。
その西に関連の大興寺があります。

件の「松」について大興寺でもなく「山奥」ということです。
境内ではこの二本の木が一番立派でした。

木の気はさわやかでした。

豊川の本宮山砥鹿神社について『神峰山から』より引用
三河国宝飯郡の大深山(本宮山)に猿形、鹿形、鬼形の異怪者3つが現れ、猿形は石舟に乗って西へ飛び猿投大明神となり、鹿形はそこにとどまり砥鹿大菩薩となった。鬼形は北方へ飛んで足助郷に来て、そこに一夜に霊山を築きその山の上に住んだ。この山は今の飯盛山である、云々・・・。「足助八幡宮縁起」より
 本宮山は仰ぎ見る孤峰であって東三河の中心的な高山であり、いわゆる山が部落の守護神と考えられるような立場の山として麓の諸部落の人々から信仰されていたのであろう。また山中にある巨岩は原始宗教の崇敬対象としての条件をそろえており、信仰の中心的存在となるのは当然のことであろう。また、山麓に広がる古墳群をみるとき、古墳の主体部である石室の向きも本宮山(砥鹿神社)を意識しているかのように、南北に主軸線をもつものが多いようである。
 以上のように考えれば、砥鹿神社の存在したところは本宮山頂であり、それは原始的信仰の形をもっていた。(後略)
「一宮町誌」より

アマテルカミの時代六ハタレの一党である「ハルナハハミチ」という輩は津軽、東北から富士山麓に入り三河に出て海を渡って二見浦へと移動したのだと思われます。
ハタレは「人の如くなり」という姿で猿や犬や狐、大蛇の姿をしていました。カミはいろいろな次元の周波数と通じており、肉体に欺かれることなく人の本性が見えるのでしょうね。
そうしたハタレもタマガエシノリによって心を入れ替えれば人として生まれ変わるのですが。
仏教的に言うならば成仏するということが、そんなに簡単ではないようです。
六ハタレ討ちの後、オオナムチのカシマタチ(いわゆる国譲り)があります。クニの乱れに乗じて豪勢を誇り鼻高々のオオナムチは次々とタカマの使者を懐柔して落とすのです。よほどの人たらしですね。結局タケミナカタも降伏し、それならばと涙をのんで津軽の地へと移動していきます。長男のクシヒコに諌められても、悔しさは残っていたでしょう。
津軽の地に同じ悔しさを味わった蝦夷が祀る彼らの英雄がいて、オオナムチはタカマが「ハタレ」と呼ぶその英雄を進んで祀り土地に馴染んでいったのかもしれません。
後にタカクラシタはオオナムチの敵方と平和裏に国を治める手法を真似たのではないでしょうか。オオナムチがアラハバキを祀って弔ったように、タカクラシタは土蜘蛛を弔ったのでは?
そうしてアラハバキはやがてオオナムチの荒魂として吸収されて行くのです。。。
まあ、一つの推論にすぎませんが。
そう考えると、砥鹿神社の祭神はオオナムチの荒魂→アラハバキということもできると思われます。
地球の核の門番です。
そして天(宇宙)からの周波数と地球を繋げる大きな役割があると思われます。
神社六峯砥鹿神社(愛知県知多市)
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)と思われる