神社久麻久神社。122番目。
八つ面山は男山と女山があり、神社は男山に坐します。
車窓から。

県道43号線沿いに建つ社標。

砥鹿神社から歩いて行ったので私は南西のこちらから入りました。

おおお。一仕事終えた後のピーカン直下でこの坂はきついわー。

崇神天皇の頃、丹後国与謝の里より久麻久連一族が移り住み
当地を開拓したと伝えられ、その産土神が本社
文武天皇の大宝年間(701頃)須佐之男命を勧請し大宝天王宮と称した。
その後、八ツ面山西村麓、荒川城主荒川甲斐守義弘が当社を再興し
荒川大宝天王宮ともと称したという。


八ツ面山の大宝天王(現在の八ツ面山男山の久麻久神社)を敬っていた荒川城(八ツ面古城)の荒川甲斐守義広は、一向一揆の際に家康に対抗して滅びました。
江戸時代になって、徳川家康が家臣の鳥居元忠に命じ
永禄年間に現在地に奉遷させたという。
式内社・久麻久神社二座の一社と伝えられ、
久麻久上の社とも称されており
明治元年、久麻久神社と社号を改めた。
また、明治六年三月郷社に列した。
さらに、大正四年に字市場の竈社、字新御堂の神明社、字麓の白山社を合祀して
現在の祭神となった。
明治元年社名を旧名「久麻久神社」に復した。本殿は室町 時代後期の代表建築とされ、国の重要文化財であり、 ご神像の牛頭天王像は藤原時代の作で県下最古のもの。 また古い木製や陶製の狛犬も有名である。


徳川家康が久麻久神社を熱心に信心していたことが知られていて、家康は出陣の際、久麻久に戦勝を祈願したと伝えられます。本殿は珍しい入母屋造りで、室町時代の建造物として厨子、鰐口、棟札とともに重要文化財に指定されています。
この雲母山の西南の地は、縄文時代の新御堂貝塚、弥生時代の松崎八反田遺跡、熊子山遺跡をはじめとして多くの原始古代遺跡があって、その開発の古いことを証明している。したがって久麻久連が来て「開地」したとするのはうなづけないが、日本海沿岸の地から、、先進技術の持主がやってきて、一段とこの地を繁栄させたというようなことがあったのではないか。
『日本地理志料』は熊来を能登の熊来(万葉集16-38378)によって久万岐くまき)と訓んでいる。クマキがクマクとなり、クマゴ熊子に音韻転訛をしていったものと考えられる。クマキはあるいは高麗来であり、久麻久連は朝鮮半島からの渡来人で新しい技術を持ってこの地に移ってきたと解することもできようか。
伝承に、往昔は社殿が八面山の頂上に西向きに鎮座していたのを永禄年間(1558-1570)に当時の城主鳥居元忠が現在地に移し東向きに改めたとされる。
本殿は間口3間、昭和44の解体修理で向拝蟇股下端の墨書と棟札が発見され、大永7(1527)の建立と立証された。
八ツ面山には雲母抗が残っており、久麻久一族が雲母の採掘を行っていたことが知られている。雲母は工芸品の材料や日本画の画材になる鉱業産品。久麻久一族は、農業開拓の他に鉱山経営を行っていた大陸系の帰化人だったと推測できる。

との見解もあります。



御祭神 大雀命 須佐之男神 配祀 熱田大神
合祀 奧津比古神 奧津比賣神 火産靈神 豊宇氣毘咩神 伊邪那美命 氣理比咩神
配神、合祀は大正からです。西暦700年ごろソサノヲをお祀りしたということは、崇神天皇時代からは800年ほど後の事です。その間はどなたをお祀りしたのでしょうね。
クマノカミ、つまり伊邪那美命だったのかもしれません。由緒記載が見られるのは竈社ー奧津比古神 奧津比賣神、神明社ー熱田大神?、白山社ー氣理比咩神ということで伊邪那美命が合祀の年代が記されていませんし、「クマク」神社は「熊味」「熊子」と深い関係にあるのです。火産靈神も豊宇氣毘咩神もイサナミに深いかかわりのある神ですし。
イサナミはヒタカミのトヨケ神の娘で、方言によって言葉の通じにくい越のイサナキと、ハヤタマノヲ次いでコトサカノヲ二人の仲人を立ててようやく心を通じ合わせられるようになりました。
この経験があり、人と人が和するためには言葉の統一、国語の浸透の大切さをイサナキに思い知らしめたのです。
それで、アワウタを引っ提げて全国を巡ります。
ホツマツタヱに登場するイサナミの、一番美しいお話はあわうたをイサナキと共に相歌いて国々をめぐるところでしょう。
ホツマツタヱ3あや
やわしてあわを ゑなとして
やまとあきつす あわちしま
いよあわふたな おちみつこ
つくしきひのこ さとうしま
うみてうみかわ やまのさち
きおやくくのち かやのひめ
のつちもなりて あわうたに
おさむはらみの みやにゐて
すてにやしまの くにうみて
いかんそきみを うまんとて
ひのかみをうむ そのみなを
うほひるきとそ たたえます

アワウタ(国語)をゑなとしてヤマト、淡路、伊予阿波、隠岐、筑紫、吉備、佐渡、大島とクニをめぐり、木祖ククノチや草、野山は茂り、そしてアマテルカミをハラミで生み落とします。
久麻久神社(熊味町)の祭神久久能智神が登場しています。雑木を間引いて建築にも使用できるまっすぐで粘りのある良い木を育てる事が行われたのでしょう。
以前、高坐結御子神社の神主さんがおっしゃっていましたっけ。
鎮守の森は雑木林ではダメなんです。キチンと間引いて手入れをするからカミの宿る良い木が育つんです。だからこそ鎮守の森なんです。と。神社建築に使用される木は久久能智神であると考えられます。久久能智神の神威により一般庶民の木造建築も可能になったのですね。だから地鎮祭の祝詞にも登場するのだと思われます。
さてその後4番目の子、ソサノヲは常に雄叫びて泣きわめき、国民をくじいていました。
そのスサノヲが
よのくまなすも わがをゑと
たみのをゑくま みにうけて
まもらんための くまのみや

と熊野本宮を建てたイサナミです。
ですからクマノカミとかミクマノノカミと呼ばれています。
スサノヲの荒れ方は酷くて度々クニタミを困らせるのですが、非行の末についに山に火を放ちます。
イサナミは迎え火を焚いて(カグツチを呼んで)これを止めようとしますが、逆に火に巻かれて死んでしまいます。この時に生まれたのが火伏せのミズハメと滋養たっぷりのハニヤスでした。
そしてそれらからワクムスビも生まれます。

天空に浮かびあがるように写った本殿です。
ここに合祀されるカグツチは痛みを伴いつつもクニタミの生業を産み出しましたし、女性神として表現されているトヨケ神はイサナミにイサナキを引き合わせ、大切な大切な日本の中心になる日の神を降ろしてくるという大きな大きな役割を務めた偉大な神さまなのです。
また竈社ー奧津比古神 奧津比賣神については、熱田神宮の御田神社に少し書きました。オオナムチの兄弟であるオオトシクラムスビの息子さん夫婦です。
白山社、氣理比咩神は「キク」が抜けていますがキクキリヒメと思われます。
参考記事はこちら
その右隣には御嶽社。123番目。

クニトコタチ神です。
初代アマカミです。
その御前にご神木が。


その右隣には山ノ神社。124番目。

オオヤマスミの神です。
また少し右、天満社の手前のご神木がどうにも気になります。

幹を数えると8本。途中枝分かれしているのを合わせると九頭です。
その右隣に天満社と稲荷社。125番目と126番目。

菅原道真公とウカノミタマです。
もう少し北東に進むと女山との間にある八つ面公園に向かう道に繋がります。

この鳥居を出たところです。
こんなに暑い日でも団体さんが展望台に向かって山登り?
八つ面住宅団地方面の参道にある鳥居から本殿方向を見上げる。

暑い一日で疲労困憊しましたが、歓迎ムードで一気に癒されました。
そこで、気が付いたのです。砥鹿神社にお参りしお祓いが済んでいたのでは?と。
ですから、熊味、八つ面どちらの久麻久神社に参るにも砥鹿神社を祓戸として使うとよろしいかと。光の通り道が開通する気がします。
神社久麻久神社(西尾市八つ面町)
御祭神 大雀命(仁徳天皇) 須佐之男神 配祀 熱田大神
合祀 奧津比古神 奧津比賣神 火産靈神 豊宇氣毘咩神 伊邪那美命 氣理比咩神
>>久麻久神社(西尾市熊味町)