最新更新日2015年9月19日
神社久麻久神社。120番目
朝の出かけに、モーニンググローリーもどきの長い雲が出ているのを発見。

午前中仕事を終えて外に出ると・・・干からびそうな日射。
路面の照り返しに耐えて5分.

祭神は倉稻魂神 久久能智神
合祀
天兒屋根命 豊宇氣毘賣命 多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多紀都毘賣命
久久能智神Wikiより
『延喜式』「祝詞」には屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)の名が見え、ククノチと同神と見られる。屋船久久遅命は上棟式の祭神の一つとされている。

以前は、稲荷明神と称して当 熊子山周辺は 縄文 弥生時代より人 々が生活を営んでおりました。そこへ進んだ 農耕技術をもった人々が移り住み 周辺の低 地を開発していったものと思われます。こう した人々が 豊作と安全を祈るために神を祀 ったのが久麻久神社の始まりで 約千年前の 国の記録「延喜式」にその名が記載されてい ます。
とあります。

「熊子砦(熊味町山畦)」は神主・牧氏の館跡だといわれています。熊子観世音菩薩略縁起によると、源氏の末裔である牧佐治兵衛忠信の子・牧主計忠治は、元和5年(1619)、奈良興福寺から観音菩薩を譲り受けてこの堂を建立した人物であるといいます。また忠治は熊子大明神の神職でありますが、茂松城主であるとし、天正12年(1584)の小牧の戦いに従軍して武功をあげ、大坂の陣でも奮戦したとあります。その後、本多忠政の臣下になったのか、姫路に国替えになった際に同行したという内容の記述があります。
牧氏の弁。ご先祖は代々、名古屋市天白区と熱田区の地に拠点を置き住み、尾張氏と斯波家の混血子孫でもあるがゆえに、時の支配者に利用されてきた一族であります。一族に関わるいろいろな証拠は殆ど隠滅し、僅かな手がかりを元に先祖の供養に努める日々を過ごしております。吉良に住む牧一族は遠い血族で辿れば同じと思えます。二千年前、尾張の牧は天白の地、三河の牧は吉良の地と二分し、牛の父としてこの東海地方(ウサギ国)を守ってきました。
ブログ『KURA日記』より

八つ面町の久麻久神社とは異なる縁起をもっているようです。

こちらのお社は天兒屋根命をお祀りでしょうか?

ホツマツタヱのなかのアマノコヤネは、
カスガマロとかカスガノカミと呼ばれました。
ニニキネ―ホホデミ―ウガヤ三代に仕えたカガミの臣です。
ホツマツタヱ16あや
ふつぬしの かとりのみちを
ことことく こやねにさつけ
かくれます かしまのみちの
おくもみな こやねにさつく
かすかとの たまかえしなす
おくのりも こやねにさつく
このゆえに よものまつりも
おのつから ひとりにつけり

叔父であるフツヌシ・カトリ守、舅であるカシマの奥義、カスガなど四方の道を全て授けられたほど世に秀でた人物だったようです。中臣氏の祖とされているカミです。
タマガエシの秘法を編み出したのはコヤネさんの父、ヰヂチでした。ためにココトムスビの称え名とカズガの名を与えられ老齢になり引退するまで春日守を務めました。後を引き継いだのが、ニニキネの兄のホノアカリだったのです。
最初、ホノアカリの左右をアメノコヤネとクシヒコが務めたのですが、二人とも諫言したことが原因で一端は落ちしています。そして、ニニキネに仕える道が付いたのですね。
そしてこちらはフェンスの向こうであり近くには寄れませんが、三女神をお祀り?

お寺に隣接しており、お墓を通り抜けお庫裏さんを通り過ぎると次の目的地がすぐに見えました。
神社久麻久神社(西尾市熊味町)
祭神 倉稻魂神 久久能智神
合祀 天兒屋根命 豊宇氣毘賣命 多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多紀都毘賣命
>>久麻久神社(西尾市八つ面町)