神社日吉神社。137番目。
漆部神社の東隣に位置し境内をシェアしています。

この一の鳥居の奥に八大神明社の社標が立っています。。。
ということは、この日吉神社も漆部神社の境内社と考えていいのかも?

オキツホ(日吉大社)は、7代アマカミのイサナキ・イサナミがアマカミとして即位した宮です。
9代アマカミのオシホミミが箱根で神上がり、伊豆にてハコネカミを3年間祀った後に天孫ニニキネ(オシホミミの神上がりの前にハラヲキミの名を賜る)はオキツホの背後にそびえる峰に登り周囲を見渡して、京都盆地の開発を開始します。
ホツマツタヱ24あや
はらをきみ ゐつのみさきに
はこねかみ みとせまつりて
おきつほの みねよりながめ
みことのり なんちやまくい
やまうしろ のおほりつちお
ここにあげ おおひのやまお
うつすへし ひとえたにたり
ひのゑやま

ひのゑやまとは比叡山のことです。ニニキネ(ハラヲキミ)は、比叡山の後ろにある京都の開発部長としてヤマクイを任命しました。
さらにニニキネは一端洪水となると冠水してしまう土地を、自然神をコントロールすることで護ります。
なるかみお わけてしつむる
かくつちと みつはめおうむ
あおいはと かつらにいせの
みことのり あめはふりてり
まつたきは いかつちわけて
かみおうむ これとこたちの
さらのゐつ わけいかつちの
をしてたまはる

雷を「火」と「水」の要素に分けてカクツチは葵、ミツハメは桂として祀り自然災害を抑えることに成功します。これは、国の始祖であるクニトコタチの功績を超える逸なることと称えられてニニキネはワケイカツチの称え名を賜ったのでした。
おそらくはこれについても実施総監督がオオヤマクイであったのでしょう。
Wikiより
大年神とアメノチカルミヅヒメの間の子である。
名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。
「日枝山」には日吉大社が、松尾には松尾大社があり、ともに大山咋神を祀っている。日枝山と松尾については、共通の祭神を祀る社の存在だけではなく、八王子山と松尾山の両方に巨大な磐座と、古墳群(日吉社東本宮古墳群、松尾山古墳群)が存在し、ともに漢人系氏族(三津首(みつのおびと)氏、秦氏)に祀られるなど、共通点が多いことが指摘されている。
比叡山の麓の日吉大社(滋賀県大津市)が大山咋神を祀る全国の日枝神社の総本社である。日吉大社には後に大物主神が勧請されており、大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼ぶ。山王は二神の総称である。
『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされるという

最後の記載は、ホツマツタヱによれば明らかな間違いで「賀茂別雷大神を補佐した守」というべきでしょう。

あま市の日吉神社に祀られている祭神はどなたなのでしょう。
オオヤマクイが主祭神の場合は比叡山を意味する「日枝」もしくは「松尾」神社だと思います。後に日吉大社に勧請されたオオナムチが主祭神の場合は「日吉」神社と考えていいのかな。
オオナムチを主祭神とする神社は沢山あります。大己貴神社、大名持神社、大穴持神社という冠神社はもとより、以前取り上げた砥鹿神社(とがじんじゃ)飛瀧神社(ひろうじんじゃ)、晩年に居た津軽の岩木山神社もオオナムチが主祭神です。
私がお参りした砥鹿神社と飛瀧神社に関して言えば、半端無い浄化力をご神徳としてお持ちです。日吉大社にしても比叡山にしても京都の東北(鬼門)を護っていると見る向きもありますが、その効果は高いと予想できます。
あま市の日吉神社は、天下にたった一つ漆部の守護神として鎮座する神なのかもしれません。
神社日吉神社(愛知県あま市)
祭神 不詳