最終更新日2015年8月22日
神社漆部神社(ぬりべじんじゃ)。136番目。
仕事先での参拝です。
とはいえ、輪島塗店主の友人から話を聞いて、狙っていましたチョキ
”漆部”とは漆など塗り仕事を司る部署であり、輪島塗とは深い関係があるんだそうです。

西の参道からは、甚目寺観音の三重塔に一直線。

日本列島における漆の利用は縄文時代から開始され、土器の接着・装飾に使われているほか、木製品に漆を塗ったものや、クシなど装身具に塗ったものも出土している。漆製品は縄文早期から出土し、縄文時代を通じて出土事例が見られる。2000年に北海道函館市で実施された垣ノ島B遺跡の調査で、出土した漆塗りの副葬品が約9000年前に作られたものであったことが明らかになった。これが現存する最古の漆塗り製品である。弥生時代の遺跡からは漆製品の出土は少なく、塗装技術も縄文段階と異なる簡略化されたものが多い。弥生時代からは武器への漆塗装が見られ、古墳時代には皮革製品や鉄製品などへの加工も行われている。古墳時代に至ると棺を漆で塗装した漆棺の存在も見られる。Wikiより
また伝承として
『以呂波字類抄』に、日本における漆塗の起源として次のような話が載っている。
倭武皇子(やまとたけるのみこ)は、宇陀の阿貴山で猟をしていたとき大猪を射たが、仕留めることができなかった。漆の木を折ってその汁を矢先に塗って再び射ると、とどめを刺すことができた。そのとき汁で皇子の手が黒く染まった。部下に木の汁を集めさせ、持っていた物に塗ると美しく染まった。そこでこの地を漆河原(現在の奈良県宇陀市大宇陀嬉河原(うれしがわら))と名附け、漆の木が自生している曽爾郷に漆部造(ぬりべのみやつこ)を置いた。
と。
漆は英語でJAPAN。ヤマトタケケルの御子のお話は置くとしても縄文時代から日本では漆が栽培され使われていたのですね。弥生時代の遺跡から出土は少ないという事、出土の殆どが日本海側ということが特徴的です。
宇多に漆部と書いてぬりべの造が置かれたことは確かなことでしょう。良い漆の木が自生する気候だったのですね。漆は漆でも東南アジアなどの漆と日本の漆は質が格段に異なるそうです。

祭神は三見宿禰命。
火明命の五世の孫で尾張氏と同族、漆部の祖神。漆部とは漆を栽培、採取し、漆製品を製作する氏族のこと。尾張氏とともにこの地方へ移住し、この地に神社を建て祖神を祀ったという。あらいのじかんさんのブログより
└宇摩志麻治命┬味饒日命  
           └彦湯支命┬大禰命
                   ├出雲醜大臣命┬大木食命
                  │          ├六見宿禰命
                  │          └三見宿禰命
                  └出石心大臣命┬大水口宿禰命
  系図出典先                   └大矢口宿禰命
  
この系図によると物部氏の祖ウマシマチの曾孫に当たります。叔父が物部氏の本流になります。
テルヒトホノアカリ(ニニキネの兄のアスカ宮)とムメヒトホノアカリ(ニニキネの子)から5世孫ですね、確かに。
ウマシマチは養子に入ってアスカ宮を継いだニギハヤヒの子で、神武東征の際アスカ宮が降参した後神武から「代々物部継げ」とのヲシテを賜りました。この時に初代はオオナムチが務めた「大物主」という部署が分割されたという見方もあります。警護部隊というかホコの力で国を納める一つの役割を担ったのです。物部の主力はウマシマチの孫、出石の系統が継ぎ、あらいのじかんさんのブログによると漆部の祖は尾張氏と共に当地にやってきたという事です。それが6代孝安天皇の時代という記述もありますので、ヤマトタケが漆部を置いたというお話よりは6代前の事になります。

けれども、実際の出土事例から9000年前には漆はすでに木製品や櫛などの塗装に使われていたわけです。三内丸山遺跡では、赤漆を塗った鉢、櫛、土器などが見つかっています。縄文谷の泥炭層から出土した漆器は洗浄の結果、縄文時代の鮮やかな朱塗りをそのまま残しています。漆の製作には多くの時間と労力、そして専門的な技術が必要とされるのです。5000年以上の時を経ているのに腐蝕しないで残っているのですね。おそるべしJAPAN叫び

日本の文化は、習ったよりは相当古い目

参拝の間、というか境内に居るあいだじゅう、蝉の声にまぎれて珍しい鳥がさえずり続けています。
※ちょうどお参りの翌日運命のメールが入ります。この記事に没頭している時にですね。
お参りに日は一つの仕事が終了した日でした。天の采配は見事なものですね!
始めたことに関してキッチリ「卒業」する必要もあるんだなとも思いました。それが天の時だという事なんでしょうね。



ご神紋は「陰陽勾玉巴紋」というのだそうです。

鳥の声に癒され、気持のイイ境内を独り占めです。
全国で唯一、漆部を祀る古い神社です。南北朝時代以降は荒廃して八大明神社とされたそうですが、再度復活しました。昭和32年なので、復活してから60年弱です。こんな風に漆にはまだまだ私たちが忘れている”日本”が詰まっていると思います。考古学的な発掘や古文書の発見が待たれます。
ホツマツタヱにはぬりモノの記述はあったかな。
23あやは「みはさため つるきなのあや」で、「たかはたのり」なる御衣の織り方についての決まりが描かれている章です。「ゆふぬのも きぬもおるなり」とあり、「とよみもの」という幅の織り機で織ったモノは物部のカミの日常着に、「なよみより」で織ったフトノは民の日常着、君は「そふよみ」を日常的に着るなど。木綿なのか麻なのか絹なのか、織り方は固織りか、など細かく指定されていて「たかはたのりの あらましそこれ」とあります。
他の文献が発見されれば、織物が「たかはたのり」に描かれたように、塗行程などを詳細に記述されたものが見つかりそうな気もします。
神社漆部神社(ぬりべじんじゃ)(愛知県あま市)
祭神 三見宿禰命
   八大明神(稲荷神社、賀茂神社、春日神社、住吉神社、祇園神社、貴船神社、平野神社、松尾神社)
   木花咲耶姫命