神社越木岩神社について
本殿の祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧 教順が、日本に約3500社ある、えびす神社の総本社である西宮神社から勧請したということです。
西宮神社について
西宮神社は平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。
祭神の蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られた。
Wikiより
どうも、江戸時代あたりから大国主西神社との祭神の混乱が出てきたようで、神社の名称や、廣田神社からの独立などいろいろ変転をして騒がしい時期もあったようですね。
しかし、西宮で信仰を集めているのが”ゑびす”さんと言うならば、ホツマツタヱではクシヒコ、つまりオホナムチの子の2代大物主でオコヌシ(大国主)のことです。祭神の蛭児命(ヒルコヒメ)からすれば、うーん複雑な感じ。
どこまでも”隠される”ヒルコヒメ=ワカヒメ・・・。
江戸時代に西宮から勧請し創建した越木岩神社
積み出し港の名を取った御影石(花崗岩)の産地としても有名で、大坂城築城の際に甑岩を石工が割ろうとしたが、割れ目から鶏鳴が湧き上がり、白煙が立ちそれは色を変えながら熱気となり吹き出し、その熱気は不思議な力をもっていて石切職人達は手足をふるわせ、苦しみもだえ、斜面を転がり落ち作業を断念した、との伝説がある。また、徳川氏の大阪城修築(元和6年~寛永5年:1620年~1628年)の際、池田備中守長幸(備中松山城主)の家紋が刻まれた当時の石の破片が付近に残っている。
越木岩神社は境内に鎮座する磐座をはじめ、境内北方にある小高い山・北山にある多くの磐座群を、ほぼ磐座群の南端に鎮座する「甑岩」を通して遥拝するために、神社が建立されたと考えられる。「甑岩」のご神体は周囲約40m・高さ10mの大怪石(花崗岩)である一大霊岩です。酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」(セイロ)という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられました。
甑岩から北へ約50m登ると、第二の磐座(周囲約80m)がある。 さらに北へ約30m登ると第三の磐座がある。 それぞれ、南座・中座・北座と呼ばれる磐座があり、北座は生田神社と同じ稚日女尊(わかひるめのみこと)の磐座とも呼ばれる。
Wikiより
生田神社は、ワカヒメが神功皇后に神託し自ら御座所とした神社です。
生田神社に残る由緒だけでは「ワカヒメはなぜ、そこに居りたいと思ったのかな?」という疑問がありました。
廣田神社の摂社としてあった西宮神社の混乱はもしかしたらその当時(201年)からあったのかもしれません。クシヒコさんは素晴らしい方ですが、別な意図で混同されては「西宮から分かれたい」とワカヒメが思われるのもうなずけます。
ホツマツタヱ・ミカサフミに残るワカヒメの履歴
矢印イサミヤ(筑波神社)で生誕
矢印3歳からカナサキ(住吉神)が迎えた廣田神社摂社西宮神社で育つ
矢印ソサノヲが生まれる少し前に熊野大社にいる母イサナミと暮らすようになる
矢印トヨケ神からニフノヲシテ賜りニフノカミとなる(後に丹生都比売神社が建つ)
矢印キシイクニでホムシ祓い玉津島神社を献上される
矢印トヨケ神の孫アチヒコ(オモイカネ)と結婚
矢印夫オモイカネと、皇太子オシホミミをヤスカワで育て、ネ・サホコクニを治めたためシタテルヒメの称え名を賜る(比利多神社)
矢印玉津島でひたり、廣田に祀られる
その後は、西宮神社の由緒のとおりなのでしょう。
ワカヒメはこの世の人を助けたいという想いが強かったのでしょうか、神功皇后、弘法大師、北条正子などの有力人物の尊崇を集めるし、三重県の香良洲神社でも勧請を奨めるし、関東の麻賀多神社にもヤマトタケにより勧請されたりと、大いに活躍しています。
ヒルコヒメ、ワカヒルメ、ワカヒメ、ヒメガミ、ニウツヒメなど多くの名で主祭神として現在でも本当に多くの神社に祀られている神さまです。
消されても隠されてもその存在感はなくなりません。
日本に暮す私たちに本当に必要な神さまだからだと思います。
もわわーん今朝、夢を見たんですよね。
三羽の大鳥が、港に集って浮かんでいる。
首が長く太くて、真黒、真っ赤、真っ白の三羽。

真っ白の大鳥はまさに白鳥なのですが、なにせ首が太い。
黒いのは黒鳥?でも首が太い。
しかし真っ赤な白鳥は見たことない。よね?
ヤマトタケが死んだ時白鳥になって飛び立っていくのは有名な話です。
けどこの夢では、飛び立ってもいないし、定番の湖ではなくミナトらしき場所でまったり。
白鳥は天津神的な?もしくは君だとして。(シロマロ、ヲシテ言葉で銀。天空での繋ぎを確かにする)
黒鳥は国津神的な?もしくは右のトミだとして。(クロマロ、ヲシテ言葉で鉄。建物の基礎を確かにする)
して赤鳥は?左のトミ?(ちなみにヲシテ言葉でアカマロは銅。建物を地中に繋ぐ杭を確かにする)
今川義元は五七桐紋のほか謎とされる「赤鳥」という紋をも使っていそうです。
今川家家法の赤鳥を虫干ししていたのを目撃した人が「人形が着る女ものの小袖のよう」と語ったらしい。どうやら赤鳥は神事に用いるアカハトリ(明衣)の事らしい、と。
アカハトリとは神職が沐浴の後に身に付ける斎服で、潔斎(ミソギをすること)の装束であり、一種の祓具だといいます。元々は、湯帷子のことで、浴衣の語源になっているものです。アカハトリをまとう間、死者との隔てを無くして同じ気持ちになるための衣装なのだそうです。
寺社の境内で盆踊りを浴衣でするには、そう言う訳があるんですね。
今川家が赤鳥を家紋にしたのは神の導きであり、これを付けて戦勝を得たようです。
赤裸々、とか赤心という言葉は「真実の」というような意味を含んでいます。赤心という言葉を調べると、「嘘偽りのない真心、丹心」などと出てきます。
赤とは「丹」なのですよ、ね。
丹心=にごころ。
にごころといえば、ワカヒメ。ニウツヒメでございます。
ニフノカミについては、ミカサフミの方に関連の記述があるのですが、そちらはまだまだこれからです。
ミカサフミはまだ8あやしか発見されていないようですが、残りが発見されればまた新たな歴史が浮かび上がるのかも。
「越木岩神社の社叢林と隣地開発地の磐座の保護・保全」について