神社香取神社。163番目。
香取神社の総本社は下総国一ノ宮香取神宮です。
全国で400社ほどあるようですが、知多半島には珍しい名を見つけての参拝です。

ご神木は渦巻くように立ち上り躍動的でありながらも安定感があります。

南北朝時代が終わろうとしている時に、毘沙門天として勧請されたのですね。
毘沙門天というと、「財福の神」として七福神の1柱であり「無病息災の神」であり、甲冑に身につけ邪鬼の首を踏みつける破邪の神として信仰を集めました。
神社勧請の後、世の中は戦国時代に突入していきます。
動乱の世にあってしっかり立っていくために破邪の神のご加護を得ようとしたのでしょう。
祭神のフツヌシはホツマツタヱにどのように語られているのでしょう。
ホツマツタヱ10あや
このたひは たかみむすひの
とみかれお のそくかとての
かしまたち はにすきまつる
かみはかり ふつぬしよしと
みないえは たけみかつちか
すすみいで あにたたひとり
ふつぬしか まさりてわれは
まさらんや たかぎいさみの
みかつちや ふつぬしそえて
かしまたち

いわゆる「国譲り」をホツマツタヱでは「カシマタチ」といいます。
つまり、「カ(右)」の臣をキチンと立たせて役割(シマ)を全うさせる(タチ)ための行動です。
増冗漫になったオオナムチが、「われが君」とも言いたげな態度をタカマ(朝廷)に対して取ったことが原因でした。タカマから使いを送って11年、次々と失敗に終わり、いよいよ武力を持ってしか方法は無い、と会議が進んだのでした。
では誰を将軍とするか。「フツヌシ、良し」と名が挙がり、そこへ「いや適任者は、フツヌシただ一人ではあるまい。われも」とタケミカヅチが進み出でて、タカマは二人をイヅモに送ったのです。
結果、カシマタチは成功しました。また、カシマタチの少し前、ハタレによる騒乱が各地で起こりました。その騒乱でタカマの力が削がれるに乗じて、オオナムチの国は着々と蓄え、タカマを凌駕するほど豊かになったともいえます。
ホツマツタヱ8あや
おおはたれ ねのたてやまに
あらわれて あのにいたれは
かみはかり ふつぬしやりて
これをうつ 

など将軍として立山に送られています。
怪我をしながらも相手を倒します。
また、
みことのり たまがえしせば
ひとならん さきにまかるも
をおときて ひとにうまるそ
ときにもも ねがわくはかみ
ひとになしたまわれ とみな
まかれけり ここすとのみち
ををんかみ つわものぬしと
ふつぬしと たけみかつちに
たまかえし さるさるさわに
おこるみちかな

人のようで人で無いハタレどもが百人、「お願いです。人にしてください」といって罷り「たまがえし」なる秘儀を行ったメンバーの一人がフツヌシなのです。
フツヌシは、強かったのでしょうが武力一辺倒ではないのですね。
六ハタレ討ちの論功行賞でのこと。
      またふつぬしは
かくやまを つかさとれとて
かとりかみ

この時に香取守と付いたのですね。
今に語り継がれるフツヌシの物語というと、神武東征のときのフツノミタマです。
ホツマツタヱ29あや
      すへらきみこも
つつかなく ゆくあらさかに
いそらなす にしきとこはみ
をえはけは みなつかれふし
ねふるとき たかくらしたに
ゆめのつけ たけみかつちに
みことのり くにさやけれは
なんちゆけ かみにこたえは
ゆかすとも くにむけつるぎ
くたさんと かみのうめなり
みかつちの ふつのみたま
くらにおく これたてまつれ
あひあひと たかくらしたか
ゆめさめて くらをひらけは
そこいたに たちたつつるぎ
すすむれは きみのなかねの
をえさめて もろもさめれは
いくさたち

フツヌシその人ではなく、カケミカツチのフツノミタマといっていますが。
これを現在祭っているのが、石上神宮系の神社です。
香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。フツヌシがおくり名としてフツノミタマを賜ったと思われます。
参考→石神神社(州崎神社境内)
神社香取神社(半田市乙川)
祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)