神社諏訪神社。183番目。

祭神は建御名方神とその妻、八坂刀売神
WIKIより
建御雷神が大国主神に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。事代主神が承諾すると、大国主神は次は建御名方神が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽(すわ)の海(諏訪湖)まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。この建御雷神と建御名方神の力くらべは古代における神事相撲からイメージされたものだと考えられている。なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』には見えない。
ホツマツタヱ10あや
たかきいさみの
みかつちや ふつぬしそえて
かしまたち いつもきつきに
かうつちの つるきをうえて
うつくまり なちりとふなり
みほこりて あさぬくみちお
ならさんと われらつかふそ
そのこころ ままやいなやや
おほなむち こたゑとわんと
みほさきの つりえききすの
いなせはき あめのこたえお
とふときに ことしろぬし
ゑみすかお われすすかにて
たらちねに ほろろなけとも
ちのたゐそ さかなときるも
おろかなり たかまはたみの
ゑみすたゐ いとかけまくそ
みことのり わかちちさらは
もろともの かえことなせは
またひとり ありといふまに
あらわるる たけみなかた
ちひきいわ ささけてたれか
わかくにお しのひしのひに
おとさんや いてわかちから
くらへんと とるてもいわの
みかつちか とらへてなくる
あしかひの おそれてにくる
しなのうみ すわといふとき
かしこみて われおたすけよ
このところ ほかへはゆかし
そむかしと いへはたすけて
たちかえり

ホツマツタヱはモノヌシ三輪山の子孫であるオオタタネコが編集しています。
元はオオナムチの流れの傍流が諏訪神社ということになります。ようするに、身内の弱みともいえる内容ですが、古事記とほぼ同じ内容です。

WIKIによると全国で約25,000社あるといいます。神社本庁調べでは5,000社におよび、上位10位以内に入る人気の神社です。
「わかくにお」なんていっている見当違いの思い違い。
「おそれて、にくる」相手の度量をみて尻尾を巻いて逃げる。
「すわ、というとき かしこみて われおたすけよ」もう他には行きません。逆らいません、と命乞い。
そういう、あまり潔しともいえないタケミナカタなのですが、この人気はいったいどこから来るのでしょう。

『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とあるように軍神として知られ、また農耕神、狩猟神として信仰されている。風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もある。WIKIより
平安時代前期に征夷大将軍に任命された坂上 田村麻呂が蝦夷征伐に成功した際に諏訪の神の導きがあったという伝承があります。鎌倉幕府の御家人である諏訪氏が篤く信仰して、その後軍神としての諏訪信仰が広がったということです。
うーん。軍人としてなら鹿島(たけみかつち)・香取(ふつぬし)のほうが強かったわけですが、軍神となると負けるってことはあるということですね。同じ軍神の八幡さん(応神天皇)は最もお社が多いわけですが、徳川家が信仰した神様ですから、武家時代の御神威を決したのは八幡さんということなんでしょう。
負けて勝つ 諏訪神社はそれの良い例なのかもしれません。

本殿の隣には秋葉神社と山神神社。


境内社には八百姫神社もあります。184番目。

ここで一番の大木は八百姫の後ろの樹だと思います。
八百姫伝説
小浜には八百比丘尼ゆかりの地が二つある。それが空印寺からそれほど遠くない場所にある神明神社の摂社である【八百姫神社】である。この地は八百比丘尼が一時滞在した場所で、この神社は八百比丘尼を祀っていると言われている。
 ところが八百姫神社に祀られているのは八百比丘尼ではなく、【八百姫】という全く別の人物なのである。ただ、この八百姫の出自も相当不思議なものなのである。八百姫は九州北部にある皇室ゆかりの一族の出身である。建保元年(1213)に「海に出て、船が着いた場所に宮を建てよ」という伊勢神宮のお告げを聞き、供と一緒に船を出してたどり着いたのが、小浜の青井という所。そこに神社を建て(伊勢神宮のお告げで建てたアマテラスを祀る宮、すなわち“神明神社”である)、12人の子供を産んだという。
 八百比丘尼の有力な生年として雄略年間(456~479)がある。それから800年を加算すると1256~1279年。八百比丘尼の最晩年と八百姫の存命期間がまさに一致する。そして不老不死の妙薬である人魚の肉を16歳で食べた八百比丘尼は、当時の容姿のままであったという。そして小浜の地で12人の子供を産んだ八百姫も、漂着当時は20歳になっていなかったはずである。奇妙な一致なのかもしれない。
日本伝承大鑑より
奉納旗は八百姫神社ばかりです。

10代のままの姿で800年生きた不老長寿の神さまなんですね。
庚申様の差し出す人魚、あるいは貝を食べたことで別世界の住人となり家に戻ってみたら800年経っていたという伝承もあります。浦島太郎に似ていなくもありません。
昔は、いや、今でもそういうことはありえるかもしれません。
生まれ変わり前の生活の記憶があるとか、あるいはかぐや姫のように星の世界に連れられていた一瞬が地球の100年だったとか。未来人がタイムマシンに乗せていったらかえる時代が少しずれたとかね。
八百姫の伝承をはじめて知りましたが、ほんと、ありえーるでしょ。
だいたい、木は長寿です。800年生きている木なんていっぱいありますよね。
800年もの間、木はいったいどうしていたか。
ただただ、そこにいて人々を見守って、鳥や小動物を雨からまもり、実や樹液で潤して、
ただただ、そこにいた。殆どは存在を消してすっくと立っていた。
あるとき旅人が見上げ、抱きしめ、居続けることをねぎらってくれる。一体になる。そうして、
木は木の経験を増やしていく。そんな木の800年。ひょっとしたら八百姫の800年もそうしたものだったかもしれません。

今日はこの長寿の樹に癒していただきました。
神社諏訪神社(常滑市金山)
祭神 建御名方神 八坂刀売神
神社八百姫神社(諏訪神社境内)
祭神 八百比丘尼