神社貴船社。200番目。

これほど産業が進んでいない時代、多くの日本人が稲作を生業としていたので水の神さまを祀る貴船神社は全国各地にたくさんあります。ここもその一つだろうと思って何気に参拝しました。

祭神 罔象女神(みつはのめのかみ)。
イサナミがカグツチの火に巻かれて罷るときに生まれたのがハニヤスとミツハメでした。
雨乞いの祈りを聞きとどけ雨を降らせます。
ミツハメはヤマサ神の1柱として人の暮らしを八方位から暦を守る役割ももっています。
ホツマツタヱ22あや
あめふたかみの みことのり
これにたまはる ひゑのなは
うつろゐのかみ つきのなは
しなとへのかみ みつのなは
かくつちのかみ よつのなは
みつはめのかみ ゐつのなは
はにやすのかみ むつのなは
そろををとしの ちからもる
ををとしかみと たたえます
なななはみなの もとしける
すへやますみの かみとなる
やおとのかみは ほのしつめ
たつなみをさむ たつたひめ
おのおのみなお たまはりて
こよみをまもる やまさかみなり


名東区には「社」と名付く地名が多くあります。一社とか上社とか。
地名の由来には武内宿禰(たけしうちのすくね)が関わっていました。しかも、この貴船社と深い関係があったのです。
「社」の地名がうったえるもの TOPPY.NETより
昔のある夏のこと、このあたりは干ばつに見舞われました。田はひび割れ、ため池の水も干上がってしまいました。村の人々は雨乞いをしましたが、雨が降る気配は全くありませんでした。そしてその状態が1ヶ月ほど続いた頃、武内宿弥(たけのうちのすくね)という、都で有名な大将がこのあたりを通りました。村人の様子をおかしく思った宿弥は事情を聞くと、背中のうつぼから白い矢を抜き取り、村人に渡しました。宿弥は、これは珍しい白鷹の矢で、その矢をご神体として水神さまを祀ると、水神さまが水を授けてくれると村人に言いました。村人たちは早速、丘の上に祠を建てて矢を祀りました。すると清流が湧き出してあたり一帯が潤ったとのことです。村人たちはその祠を矢白神社と呼び、村の名もヤシロ村となったとのことです。
矢白神社が現地、貴船社だということです。
なるほど、社叢にも長年鎮座する落ち着きがあり、由緒書きに見られるよりももっと古いのではないかな?となんとなく思っていたのでした。
武内宿禰は景行天皇から仁徳天皇まで仕えていて、200年以上も政界の重臣を務めていた計算になる神秘的な方です。時代は1世紀~4世紀ごろの話です。それから考えるならば、この社は少なくとも1,600年以上の歴史を刻んでいることになります。
タケウチは8代孝元天皇の孫ウマシウチを父に、紀国造の娘を母に持っています。
ホツマツタヱの中で活躍が記されるはじめは次です。
ホツマツタヱ38あや
たけうちに ほつましるへの
みことのり きたよりつかる
ひたかみや かくのやかたに
みちおきく
 
ホツマシルヘとは東北から関東にかけての情報収集をする役職で津軽、ヒタカミやカクノヤカタへと赴き話を聞いて回りました。
ちなみに景行天皇は「美濃に良いヒメがいる」とすすめられて御幸して八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)を娶り12人の子をもうけています。タケウチが尾張地方にいたとしても全く不思議はありません。

左から、秋葉社、津島社、富士浅間社、皇大神宮、山神社、?

右の方に稲荷社。

違う道から帰りました。

先客に、子連れのママが車を道路に駐車してお参りしていました。
後から二組ほどご近所さんらしき女性と出会いました。
女性の神さまですからね。
神社貴船社(名東区貴船)
祭神 罔象女神(みつはのめのかみ)