神社海椙神社。209番目。
セントレアができて、最近造成分譲された住宅地の一角に遷宮されたお宮です。


祭神は素戔嗚尊 櫛稲田姫命 八柱神子神ということで、先日参拝した洲崎神社と同じです。
当社の始まりは口伝によると806年。当地に疫病がはやり、ご信託により903年に祇園の牛頭天王を勧請したところ治まったとのこと。その後は海と災害の守り神として尊崇されました。
相殿に皇大神宮と蛭子神と高龗神を合祀しているということです。社歴1200年。社名は古くは「海洲鬼神社」といったそうですが1831年に改称。平成19年に現在地に遷宮しました。




左から、多賀社、住吉社、天神社、秋葉社、金比羅社。

池鯉鮒社、御鍬社、山神社、山神八幡合祀
池鯉鮒社祭神は池鯉鮒社大明神(ちりふだいみょうじん)かと思われます。
池鯉鮒社大明神は知立神社の祭神で、鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと)を主神として、その父(ホホデミ)と妻(タマヨリヒメ)と子(神武天皇)を祀っています。
本日後に参拝する武豊の知里付神社(ちりふじんじゃ)のほうは、祭神を少彦名神としていますが、境内社として浦島神社が坐し、やはり竜宮伝説につながる神社ではあるので、知立神社とは同系列のお社だと思われます。
ホツマツタヱ26あや
こやねかみ いみなかかえて
かもひとと ははよりなきさ
たけうかや ふきあわせす
なおたまふ ゆえはちくらに
かもわれて ひめもたけすみ
ほたかみも なきさにおちて
おほるるお たけきこころに
およかせは たつやみつちの
ちからゑて つつかもなみの
いそにつく つりふねよりそ
みほさきの わにゑてここに
つくことも みたねおもえは
なきさたけ ははのみこころ
あらはるる きみまつはらに
すすみきて うふやのそけは
はらはひに よそひなけれは
とほそひく おとにねさめて
はすかしや おとたけすみと
みなつきの みそきしてのち
うふやでて をにふにいたり
みこいたき みめみてなてて
はははいま はちかえるなり
まみゆおり もかなとすてて
くちきかわ のほりやまこへ
ややみかに わかつちのねの
みつはめの やしろにやすむ

タケウカヤフキアワセスと名づけたのは母トヨタマヒメでした。故は「覗いては成らぬ」とカツテカミからの言いつけを守らず、海難事故に遭って命からがら自分を追ってはるばる九州からやってきた妻会いたさについ覗いてしまうホホデミでした。しかし、恥じかえったトヨタマヒメは弟タケスミをお供に京都の貴船神社に逃げて隠れます。「産屋が葺きあがらないのに産屋を出てもう私たちの結婚が成就することは無い」ということを子どもの名にしたのですね。
神上がりのために九州に向かう前のニニキネがトヨタマヒメを説得してなんとか元鞘に収まるまで、妹のオトタマヒメを後添いに薦めて決して戻ることはありませんでした。なんて頑固なんだろう、と感じると同時に「産屋を覗く」ということがそれほどの重い意味があったということなのかもしれないとも思います。
そのウガヤは、妻を守り通したタケスミの一人娘タマヨリヒメを妻にと求めに求めてついに娶ります。そしてカムヤマトイワレヒコが誕生します。

三楠八幡神社。
三楠八幡神社は今でこそ海椙神社の摂社になっていますが、かっては独立した一つの神社だったということです。桶狭間の合戦で今川氏が織田氏に敗北した後追われる身となった徳川家康の窮地を救った神さまという言い伝えが残っているそうです。
現在の社殿は、先代の海椙神社本殿を移築した物だとのこと。なるほど、重みを感じます。
毎年、中秋の名月近くに月見祭として盛大な神事が執り行われるそうです。
神社海椙神社(常滑市多屋)
祭神 素戔嗚尊 櫛稲田姫命 八柱神子神