神社知里付神社。211番目。
常滑の海椙神社の境内社池鯉鮒社のところで書いたとおり、この名は知立神社と同じ由来を持っていると思われます。


けれど、祭神は少彦名神です。955年には北野天満宮を相殿として合祀したということです。
祭神参考→成石神社
十二神社
潮御岬神社

社宝の「あずけの箱」は浦島太郎が竜宮城から帰郷するときに乙姫から贈られたもので、滅多なことでは開けられないため中身は不明という。
 
古老によると明治時代の干ばつの年 宮司がこの箱を浦之島の沖に舟で運び出し
祈祷を捧げて箱のフタを払うと、遥かかなたに雨雲が浮かんで大雨が降ったという。

浦島伝説にまつわる土地で、富貴という地のあちこちに亀の墓や乙姫の神社などが祀られています。
境内にも浦島神社があります。212番目。


浦島太郎とはいったいどういう人物なのでしょう。
浦島伝説は京都の舟家で有名な伊根、京丹後市、鹿児島、沖縄、岐阜などにあります。
伊根の宇良神社祭神は浦島子で、筒川荘の豪族の息子。浦島子のご先祖は月読命ということです。
京丹後市には嶋児神社に浦島子が祀られています。やはり地域の豪族の子孫とのこと。
神奈川のお話は、もともと相模に住んでいた浦島太夫というひとが丹後に移り住んで浦島太郎が生まれた、というお話。
竜宮=琉球から戻りついたのが岐阜で、長野寝覚ノ床で玉手箱を開けてしまった。
沖縄では穏作根子(うさんし)と呼ばれた。
ツキヨミ(四国)・・・相模、ここまではご先祖様・・・京丹後で生まれ、亀(船)にのって・・・鹿児島・・・琉球(竜宮)・・・各務原、思い出の乙姫・・・中津川・・・寝覚ノ床で老人に。
武豊には亀を助けた浜に負亀の松、亀の墓や乙姫をしたって立てた竜宮神社などがあります。
そして負亀(おぶがめ)は音読みで「ふき」といい、現在地富貴の語源になっているといいます。ただ、浦島太郎が誰なのか、浦島神社の祭神はわかりません。
武豊にどうしてこのような伝説が残されているのでしょう。
浦島太郎のモデル候補として、丹後という地縁からホノアカリであるとか、海幸彦山幸彦の物語があげられています。
どうも、知里付神社の名に関係があるように思えます。
知里付神社と同読みの知立神社(ちりふじんじゃ)の祭神は鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと)を主神として、その父(ホホデミ)と妻(タマヨリヒメ)と子(神武天皇)を祀っています。
ホホデミ(山幸彦)は兄ホノススミ(海幸彦)と治める土地をめぐって不仲がありました。そのために筑紫を治めるためにホホデミを遣わすことをあきらめて、ニニキネは自身が
ホツマツタヱ25あや
にしのみやより かめにのり
つくしうましの うとにつき
つくしあまねく めくりかり
あらたなす

ということです。かめふね、かもふね、わにふね、いわふね、とりふねなどホツマツタヱには多くの船の種類が登場します。用途に従った船の移動で長距離を短時間で移動していました。かめふねはゆっくりと、かもふねは多少速く、わにふねは高速で走るようです。
敦賀を兄弟が治める間、兄の海幸彦は一計を企てました。取れかけの針をつけた釣竿を弟に貸して一日得意分野を交換し、針を無くした弟の過失を責め立てたのです。
困って敦賀の浜にうな垂れたホホデミは、
はまにうなたれ うれふとき
かりわなにおつ これおとく
しおつつのをち ゆえをとふ
ままにことふる をちいわく
きみなうれひそ はからんと

罠にかかった雁を「まるで自分のようだ」と助けます。そこへシホツチノヲチが現れて、ホホデミを助けます。雁はシホツチノヲチの試しだったのかもしれませんね。それで、
めなしかたあみ かもにいれ
うたふたつけて きみものせ
ほあけともつな ときはなつ
つくしうましの はまにつく
かもあみすてて ゆきいたる
そをはてかみの みつかきや
うてなかかやく

ホホデミはかもふねに乗せられて、父ニニキネの向かったつくしうましの浜に着いたのでした。
鹿児島の宮は輝いていました。
その後ハデツミ・シガノカミ・ヤマクイなどの協力を得て兄を降参させた後鹿児島に戻り妻を娶ります。それがハデツミの娘トヨタマヒメです。
その後九州に宮を持ち治めていたホホデミは父ニニキネに呼ばれて都に向かいます。譲位のためです。急ぎ、わにふねで向かいます。その後をトヨタマヒメが追います。妊娠中ということもありかもふねで向かったのでした。しかし、トヨタマヒメの船は遭難します。なんとか助かり、子も無事生まれたものの、ホホデミのフライングによってトヨタマヒメはホホデミを遠ざけます。
浦島太郎が行った竜宮城は鹿児島神宮のことでしょうか。
それともトヨタマヒメと二人篭った鵜戸神宮でしょうか。
世継子として鹿児島を離れ都入りした浦島太郎は、トヨタマヒメが居ないさびしい毎日ながらアマカミとして国々を御幸したのでしょう。浦島太郎は砂をかむような現実を語り歩いたのかもしれませんね。
浦島太郎がホホデミ(やまさちひこ)であるなら、浦島神社が知里付神社の中にあることは納得がいきます。知里付神社はなぜか祭神が少彦名神ですから、浦島神社として祭神を残したかったのかもしれません。
少彦名神は、アマテルカミと同世代ですので曾孫に当たるホホデミよりは古い神様です。少彦名神が全国を回っていたときにホホデミの物語をしたということはありえませんしね。。。なぜ少彦名神なのでしょう?

右から神明社、八幡社。
武豊の樹100選のもみじをはさんで


山ノ神社、御鍬社、あとは読めませんね。

熊野神社。

秋葉神社


神社知里付神社(愛知県武豊町)
祭神 少彦名命 相殿 北野天満宮
神社浦島神社(知里付神社境内)
祭神 不詳