最終更新日2015年12月14日
神社喚續神社(よびつぎじんじゃ)。219番目。
通称喚續さま。
公園のそばにあります。ミッドランドスクエアにも入っている蕎麦屋紗羅餐(サラザン)本店のすぐ隣です。

猩々(しょうじょう)祀りが毎年10月に行われます。
身のたけ一丈二寸の大布袋、つづいて大福禄寿、大黒天とおかめさん、大小とりまぜたまっかな猩々諸君が行列賑やかに境内へと練りこむと、そこで中へ入った若い衆が綱であやつる首ふり踊りが、笛や太鼓の音にあわせ、ほがらか至極にはじまるので、すました新嫁さんまでが声立てて笑い出すというのである。名古屋市南区星崎町呼続神社の七福神の舞で、氏子諸君の自慢の催し。

名古屋市の説明によると
「昔、神社西側の海岸の堤防が何度も決壊したため、伊勢神宮で1万回のお祓いをうけたところ、神徳があり堤防が完成した。そのことに感謝し、社殿を伊勢神宮に向けて建てた。」という言い伝えが残っています。
 寛永9(1632)年8月14日の夜に落下した隕石が、ご神体となっています。

この、”猩々”と隕石で喚續神社の名を知らしめているようです。
猩々は、名古屋市南部に特徴的な祭りで、桶狭間神明神社の境内社有松天神社の祭礼でも行われます。東海道沿いにこの不思議な祭りが残っているのです。
今一つの特徴は「隕石」です。隕石は1.04キログラムあり、昭和51年(1976)村山定男氏(国立博物館)により鑑定され、日本で二番目に古い隕石なのです。「星降て石となる」という絵の中に、南野の塩浜にいた人々のようすが描かれています。
 寛永9年(1632)9月27日(旧暦8月14日)午前0時頃、村瀬六兵衛ら数人の人々が塩を焼いていた時の出来事です。突然ものすごい音がして、赤熱した隕石が落ちてきたのです。里人の1人が鉈(なた)を投げつけました。
 この隕石は、塩田庄屋村瀬家にありましたが、文政12年(1829)喚続神社の社宝として保管されて来ました。

※近くにある星宮社の社伝によると、星宮社に祀っていた隕石が1829年に喚續神社に寄進され社宝になったとあります。また別に次のような記載もあります。
星崎(愛知県名古屋市南区星崎) 星宮社は、舒明天皇の時代にこの地へ星が降り、それを祭るために創建されたといわれる。
8世紀、13世紀にもこの地方に隕石が落ちたという言い伝えがある
星宮社から南西700mほどにある喚續神社の記録では、寛永9年8月14日(1632年9月27日)の午前0時過ぎ、南野村に隕石が落ちた。
現在は国立博物館にあるとのこと。
この隕石は「南野隕石」と名付けられています。
隕石について調べてみると・・・
隕石は、火星隕石、月隕石、火星と木星の間の小惑星体からの隕石がある。
隕石の多くは形成年代が共通して約46億年ということで、地球と同じ太陽系の形成時にできた物質で、地球上で得られる物質の中では最古のもの。
この南野隕石は石質隕石で、主にケイ酸塩鉱物からなり、小天体のマントル部が破壊されて落ちてきた物質。
南野隕石は、火星と木星の間から何らかの衝撃で破壊した小惑星の破片が地球に落ちてきたということになります。
猩々の方はどうなんでしょう。
ショウジョウバエという言葉があるように、それは大きめのサイズなんでしょうね。
ただ、縄文の時代、アマテルカミを始めサルタヒコ、アマノコヤネもサイズは「猩々」の如しです。
猩々の伝説は岩手県、山梨県、富山県、兵庫県、和歌山県、鳥取県、山口県などでも登場し、山梨以外は海から現われることが多いらしい。当時の呼続のこのあたりには塩田がある浜辺でしたので、符合しますね。
海から現われる神さま、というとスクナヒコナなどが思い出されますが、古代日本の交通は海運が盛んでした。住吉大神、宗像大神など、船や海の神さまも多いのです。
隕石との関係から見ると、猩々は宇宙人だという見方もありなのかもしれないです。
いずれにしても宇宙と縁のある神社ではありそうです。

古代に関わる言霊の世界と宇宙とのかかわりは、このタイミングでここに来たところにも暗示されます。前回来れなくて、今、悩みを抱えて来ていることに不思議な感覚があります。
悩みを吐露しているというのに、なんだか、光が強い・・・

祭神 天照大御神

拝殿左側の一番左ですが、「加」の字が見えます。加具土命でしょうか。
降り注ぐ光!!

「氏」の字?

「倉」?「舟」?

新宮社。
右側に参ります。左から、

塩竈社。

霊社。
少々離れて、

白龍社。
ご神木は、障ってよいものとダメなものがあります。
このように柵などがしてあるご神木は障っちゃだめですね。
高坐結御子神社の霧両雨(ムラサメ)大龍神(ご神木)はどうぞゆっくりお障り下さい。抱きついて下さいとおっしゃる神主さんでした。
障っていい場合でもお障りする前にご挨拶はします。障った後もキチンとお礼を言います。
七所神社ではそうでもなかったのですが、とにかく光にじむ時間でした。
なんか、気になります。
ここは、神社では珍しく西向きに建っています。わざわざ西向きに建てるのですから重要な理由があるはずです。何に向いているのだろう?
名古屋市の説明にあるように伊勢神宮に向いている?方角で言えば伊勢神宮は「南」になると思います。
向いている方向を辿っていると佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)が見えました。
いわゆる祓い戸大神4柱を祀る神社で神社のホームページを見ると、「厄除けの祖神」とあります。サクナダリとかサクナドとはセオリツヒメホノコを云い現わしています。つまり、アマテルカミの内宮であり、アマテルカミの荒御霊とも言われているいる姫なんです。
熱田さんの一之御前神社です。
なるほど、一番愛する奥さんの方角を向いているという事も考えられるかもしれません。
佐久奈度神社は、境内の西側奥にあり、東向きに建っています。創建は669年とされています。
喚續神社とは面と向かい合った関係です。創建は16世紀ということです。海の近くであり洪水の被害はあったことでしょうし、それを防ぐための祈りもささげたことでしょう。
もう少し地図を広げますと、廣田神社も喚續神社が向くほぼライン上にあります。
廣田神社のご祭神はまんま「天照大神の荒御霊」なんですよね。
ホツマツタヱに、長生きしたアマテルカミがいよいよひたる時の遺し則を記述した部分があります。
ホツマツタヱ28あや
またさるた むかしさつくる
さかほこき うつくしきすす
わいきたち かかんのんてん
ときまちて みちあらわせよ

サルタヒコはこうして倭姫がやってくるのを待つことになります。
またきさき ひろたにゆきて
わかひめと ともにゐこころ
まもるへし われはとよけと
をせおもる ゐせのみちなり

キサキとはセオリツヒメの事です。「ワカヒメと共に廣田に行ってヰココロを守れ」と遺しています。トヨケカミと自分とでヲセを守るからと。
廣田神社は、3歳になり捨てられたワカヒメが住吉大神(カナサキ)に拾われて育てられたところです。ワカヒメは玉津島で罷り、第二の故郷廣田に祀られたのかもしれませんね。その後神功皇后のご神託により生田神社に勧請されています。その生田神社もライン上ではあります。
参考記事→ワカヒメのみちびきを辿る
喚續神社―佐久奈度神社―廣田神社―生田神社 は「ヰセのミチ」とも言えるのかもしれません。ちなみに伊勢のいさわの宮との関係は、喚續神社―佐久奈度神社―いさわの宮で正三角形に近いですね。
色んな見方があるとは思いますが、こんな見方も一つかもですね。
この後、帰路に付くわけですが、バイパスに嵌って出る機会を3カ所ばかり逃してしまい、予定外の鎮守さんにお参りすることになります。
「どう考えよう」と悩んで居た件に、夕方ケリがつきました。
何事が起きたか。
周波数がチューニングできて、しっくりきたのでした。
ヰココロとはどんな叡智なのか。
それを探求することに、日本の女性としての役割を感じています。
そのミチにここでこうして接点を持てた不思議を感じます。
神社喚續神社(名古屋市南区)
祭神 天照大御神