晴れ本郷熊野神社。12回目。
雑念が湧いて来て考えがまとまらない。
悩みを聞いてよ、神さま。
今日はそんな心境で二カ所ほどめぐったあと、経路の関係で予定は無かったのにおいでおいでをされるように参拝した鎮守さん。

今日はいつもと違ってワカヒメさまのところから。
「ちょっと、ハードルがきついんですよぅ」と愚痴る私。

太陽が輝いて光が降り注いでいる。

これは、これは・・・おもしろい。
十字架だ。どこかで見たマークみたい。こんなのは初めて。

青いそら、龍のウロこの残像のような雲が拝殿の上にたなびいている。
何にもない青い空だと思ってたけど。

「都合が付くならGOって理解でいいのよ。判断材料はそれひとつ。」というが。
過去の縛りや将来のことを心配してグチャグチャ言っている心。
自分への慚愧の念が湧いてくる。同じ失敗を繰り返すのでは、と恐怖心に煽られる。
けどね、
「都合が付くならGOって理解でいいのよ。判断材料はそれひとつ。」
機会をあげると言うのだから素直に受け取ればいい。自分の小さな頭で理解できることなんかそれ程多くはない、といい加減気づかなくては。
「都合が付くならGOって理解でいいのよ。判断材料はそれひとつ。」
身の回りで得られる情報と言うのは、決して万人共通じゃない。不思議なことに同じ情報を昨日はスルーしたのに、今日はとっても気にかかる。本を読んでも以前と違う言葉に引っかかる。自分が変わったからだ。自分の繰り出す周波数が変わり、コミットする周波数の情報にビビっと来る。
自分が頭で理解するスピードを周波数の世界が遥かに超えているために、グチャグチャかんがえることはかえって判断を間違える。よく言う「マインド」が邪魔をするという現象が起きる。
「都合が付くならGOって理解でいいのよ。判断材料はそれひとつ。」
と言葉を発したのは透明感のある志と言っていい自分自身。
自分の心と言っても、色んな周波数を出していて、つながる世界が違って。
自分の中でマインドを発動させたキッカケは「お金」。行く時間や行って掛る費用を考えるからぐちゃぐちゃが出る。純粋意志を見せないようにするために自分で呪文を掛けてしまうことがある。「やりっぱなし放置癖」に対する自己否定感などのように。そう言うものを想起させるのが過去に経験したお金との関係だったりするのかな。友達みたいなもので、信頼関係を作れていればマイナスのマインド(思考)が出ることもなく純粋意志を邪魔することは少ない。
お金というのは自分のマインドがどこに向いているか、どんな周波数を発しているかを測る方位磁石にもなってるんだな、とわかる。
そんなこと考えつつ。