2016年1月10日 今年はじめの新月は、冥王星と合。
世界の新機軸を創る。それは一つの種まきの結果。
2014年春に立ち上げたものが活かされる時が来た。
その花は社会的存在でありながらも、
実はごくごく個人の資質に介入する
新しい出会い、新しい見方、新しい在り方を創りだす。
長い間不変であった信念からはなれることは痛みを伴う。
まるで長年住み慣れた家から出て行く時ような空虚。
昨日の新月は私の上昇点とタイトなオポジンションで緊張を与える。
ぐいぐいと強引なほど個人的在り方の変化を強要してくる。
調停のカギを握るのは9室のキローン。
連綿と続く人類の精神遺産に関わり、空虚を救われたのも事実。
そうしつつ、一方では月と木星・火星・水星と天頂が作る
固有のグランドトラインを後押しする実際的力がコミットして、
成果を上げさせようとする力が増している。
そして鏡開きの今日。



昨年のもち米が不作でいつものように実家から頂けず、
今年はプラスティック容器に入ったおもちを開き、
善哉にして家族で頂く。
プラスティック容器に充てんされたタイプのお餅は
本来の鏡開きとはならないね。
いつもなら、程よく乾燥して割れたお餅をさらに手で割り、
それを水餅にして柔らかくなったところで焼いて善哉にするのだが。
もし来年も鏡餅を買う事になったら、餅屋で買おう。。。
当たり前のように思っていたことがあたりまえでない。
娘が私の振りそでを着た。
廃れない柄行きを美容師さんに褒められたという。
たくさんの着物をあつらえてくれた亡き母の趣味がありがたい。
あのころは、当たり前のように思うというよりは、
いまどき着物なんてそんなに着れるもんじゃなし、なんて
多少迷惑がっていたところもあった。
今となっては、娘を慈しむその心根がありがたい。
それもこれも当たり前のことなんて、ないね。
こころを尽くすこと。
手間を掛けること。
その一つ一つがありがたいと思った鏡開きの一日。