神社土御前社(知立神社摂社)227番目。
知立神社を求めて駐車場に辿りつくと、まず現われたのは「つちのごぜんしゃ」

南知多町にもありましたが、
土御前神社(南知多町豊浜)
ご祭神は異なるようです。

こちらは、知立神社の創建奉行だという記述がWikiにあります。
明治神宮から下賜された菖蒲園が広がる知立公園の一角にあります。

吉備武彦命です。
日本武尊東征の途中、相模小野のシロ攻めで、
ホツマツタヱ39あや
やまとたけ やくらのたけに
のほりみて きひたけひこ
おおいそへ おおともたけひ
おおやまの きたにめくりて
しろにいれ

赤字の二人はヤマトタケの左右の筆頭になる従者でした。
関東・ミチノクを平らげての帰途は、各地に反乱の芽が無いかという調査と同時に、朝廷の威信を民に知らしめ、畏怖を与える行軍でもありました。朝廷の意向と施策を各地に行きわたらせることは必要なのでしょう。
イサナキ・イサナミが八州を廻ってアワウタを民に教えて回ったように。
ニニキネが八州をめぐり灌漑を教え実りを増やして民を飢えさせなかったように。
オオナムチやスクナヒコナもチームで農耕を教え、厄病除けをして回りました。
朝廷のお役は息子の事代主に任せてオオナムチは人々を豊かにすべく各地を巡りました。
ヤマトタケは神社をいろいろな場所に設けることで、民心を掴むと同時に神々のネットワークと朝廷の連携を強化していたかのようです。
吉備武彦が、知立神社創建の奉行として立った理由は、知立神社の祭神にも深く関係しているように思えます。
神社土御前社(知立神社摂社)
祭神 吉備武彦命