神社貴嶺宮(愛知県幸田町)241番目。
お宮に着く少し手前に池があり、整備された公園も見えます。
地図上ではもっと険しい山の中にある印象でしたが、人里離れてすぐに到着しました。

変わった形ですがこれも鳥居なのです。どんな意味があるんでしょう。

ご祭神 奥宮 造化三神 天照大御神
本殿 建速須佐之男大神 大己貴大神 少彦名大神
と石碑にありますが、パンフレットの貴嶺宮由緒を紹介します。
「貴嶺宮」は「山陰神道」の本宮でその昔、京都にあって”古儀と古伝”を守り神秘の法を持って国体鎮護の祈祷を伝承してきました。幕末には勤皇運動に挺身し、明治以降には古神道は新しい国家神道に統合されましたので、古伝の神道を継承するため独自の道を歩み、縁あって日本の中心点である当地に磐座を本殿とする新社殿を完成し、新たに古神道を宣布せんとして、遷宮したものであります。
「山陰神道」は言い伝えによれば遠く神代の昔、天照大御神より直授の神勅を賜った、天児屋命より伝えられた「神事宗源」の太古神道が中臣鎌足、大中臣氏や卜部氏に伝えられ、明治維新で中山大納言家を経たものが今に伝承されているとされています。現宮司は八十一代目に当たります。
貴嶺宮はこれらの祖先の意志を継いで、祖国の隆昌、皇祖の無窮を祈り、世界平和を祈念し、全国崇敬者の幸せを祈ることを目的とし、合わせて日本の基本思想をたる太古神道を後世に伝えんとするものであります。
貴嶺宮の主祭神
天之御中主神(宇宙創造の神)
天照大御神
須佐之男大神
大己貴大神(大国主大神)
少彦名大神(智恵の神)
貴嶺宮境内社
花山命婦稲荷神社(伏見稲荷神社の元宮)
蛭子神社(水子や身体障害者を守る福の神)
中正神社(蒋介石を祀る)


社殿が一段高くなっており、境内では節分行事の縄張りがされていました。
拝殿の下の鳥居の周囲を囲む葦?萱?の塀。
ああ、これも写真があれば一目瞭然・・・。いろいろ撮りそびれ。
ミナカヌシについて古文書の記述を追います。
天地創造の記述部分です。
ミカサフミ タカマナルアヤ
      あめつちいまた
ならさるに あめのみおやの
なすいきは きわなくうこく
あもとかみ みつにあふらの
うかむさま めくるうつほの
そのなかに あめつちととく
みはしらお めくりわかるる
あわうひの あわはきよくて
むねをかみ うひはにこりて
みなめかみ をはかろきよく
あめとなり めはおもりこる
くにのたま うをせのむねは
ひのわなる うめのみなもと
つきとなる あもとあらわれ
うみてのる うつろしなとに
はをめくり ありさまなせは
つきのみつ うみとたたえて
ひにうめる うつほうこきて
かせとなる かせほとなれは
つちもまた みつはにとなる
このゐつつ まじわりなれる
かんひとは あうわあらわる
みなかぬし くにたまやもに
よろこうみ はつにをうみの
ゑとのこの ゑみこあにつき
をうみたす 

この記述によると御中主はクニノタマ(地球)に現れた最初の「かんひと」であり、その子孫がタカマと呼ばれるヲウミを治めたのです。
幾星霜が過ぎたのち、クニトコタチが初代アマカミとなり東に木を植えて、ハコクニのカミにヒタカミのタカマを治めさせ、そこにも御中主を祀らせるのです。
神社花山命婦稲荷神社(貴嶺宮境内)142番目。

貴嶺宮のすぐ右隣りがお稲荷さんです。

花山稲荷(かざんいなり)の由来
花山稲荷大神は花山天皇勅願によって京都御所内に祀られていましたが、応仁の乱により御所の荒廃が激しく祭祀も途絶えた時、時の左大臣かさの院長政卿に或る夜この神が霊夢をもって臨まれ奉斎を依頼されたので、かさの院大臣家の低内社として奉斎することになり、爾来さかの院家の鎮守神としてお祀り申し上げてきた神であります。
この神は元、伏見稲荷大社の元宮で佐賀の祐徳稲荷はこの神の御分社でありますが、明治維新の際時の権大納言かさの院家理卿は娘を妃とする中山忠英に祭祀を依頼され子孫と奉斎されました。孫忠徳が山蔭家78代を継がれると共に花山稲荷大神の祭祀を相続しました。よって山陰神道の摂社として奉祀し、貴嶺宮の建立と共に平成三年11月この地に社殿を建立しご遷座申し上げました。
稲荷神といえばすぐに狐を想像しますが、狐は本来眷属(使者・従者)であり稲荷神自身ではありません。眷属霊は人間のために働きますが、無礼をすると咎めることがあります。花山稲荷大神はこれら稲荷諸眷属が震え上がる総元締めの神であり、通称「花山様(かざんさま)」と申し上げております。

面白い由来ですね。
明徳稲荷神社(千代田区柳森神社境内)にも記述したお稲荷さんの由来です。
ホツマツタヱ8あや
またはたれ つくしのみたり
なかくにの はなやまののに
ともあつむ ときにあまてる
みことのり うけもちのまこ
かたまろに くにみてかえれ
かたまろか いたれははたれ
いろかえて さきみたれたる
きくみちの ここさわゆくや
・・・

アマテルカミの時代、六ハタレの一団であるキクミチは筑紫から京都の花山にやってきて挙兵しています。
花山天皇がなぜ稲荷大神を祀ったのかはよくわかりませんが、稲荷を祀ったから「花山天皇」と名づいたのかもしれないなと思ったりします。左大臣のように夢知らせがあったのかもしれません。由緒には日本でも有数の参拝者を誇る伏見稲荷大社や祐徳稲荷神社の本宮だとあります。それってすごいことなので。
伏見稲荷大社の創建は711年。祐徳稲荷神社はといえば新しく1687年ということです。
花山稲荷が花山天皇の勅願という事は創建は在位中の984年から986年の間という事になり、伏見稲荷のほうが前なんです。これはどういう事なんでしょうか。
主祭神 稲倉魂大神(花山稲荷大神・稲荷眷属の総棟梁神)
配祀神 命婦七眷の諸神
ウカノミタマと一体化していますが、つまりは稲荷眷属の総棟梁神なのではないでしょうか?ということは、三狐キクミチ。
稲荷神社といえば、ウカノミタマの神。眷属の総棟梁神という位置づけで祀られている神社があろうとは。
由来の中にあるように「夢知らせ」で時の権力者に奉斎を望んで、営々とこれまでの地位を築くほどの強いご神威で全国に3万以上という日本でも最大の勢力を持つとまで言われるようにまでなったのです。それは我が助力のためであるといっているのかもしれません。
神社蛭子神社(貴嶺宮境内)142番目。

小さいながらも立派なお社です。

蛭子神社由緒
当社の総本社は兵庫県西宮市の蛭子神社で「福の神」と崇められる神であるが、身体障害者であられたが故に、流産児を海に棄てる様に海に流されたのを、漁師が拾って育てた神だと古事記にある。
それ故に「不幸な者は私だけでよい」と仰せられ、あらゆる不幸を背負う人の守護神となられた。まず育ててくれた漁師を守り、次は「水子の霊」を守り「身体障害者」を守り「不幸・不遇な人」を守る神となられたので、人々は尊い「福の神」と崇めるようになり、今では全国に祀り崇められている神である。

由緒の経緯をみればこれは、ヒルコヒメのことですよね。
ヒルコヒメは、3歳になると厄祓いのために海に流されました。
そして元より計画したように海の神カナサキさんが拾ってそだてました。
育った宮は廣田神社。カナサキさんの拠点だったのが西宮神社だったのです。
なぜ、こちらの境内社に?
貴嶺宮自体、もとは浜名湖畔にあったようです。蛭子神社は海辺に多く祀られる神さまですから。その名残かも知れません。
神社貴嶺宮(愛知県幸田町)
祭神 
天之御中主神(宇宙創造の神)
天照大御神
須佐之男大神
大己貴大神(大国主大神)
少彦名大神(智恵の神)
神社花山命婦稲荷神社(貴嶺宮境内)
主祭神 稲倉魂大神(花山稲荷大神・稲荷眷属の総棟梁神)
配祀神 命婦七眷の諸神
神社蛭子神社(貴嶺宮境内)
祭神 蛭子神