神社大社神社(豊川市国府町)246番目。
私が嫁いだ家は昔材木商をしていました。
姑の実家も商家でなんでもバレエを習っていたそうな。
姑の三姉妹が連れだって毎年通うのが豊川稲荷さんだったそうです。
それぞれ商売の家に嫁いだのです。
地域にも分祀のような豊川稲荷があり、お参りしやすかったのかもしれません。
婚家の三社の左側には豊川さんが坐すのですが、続きのお座敷には出雲大社が祀られています。
夫に所以を聞いても誰がどこでお札を頂いていたかよくわかりません。
近所で出雲大社のお札を分けていただけそうなところはどこだろう?
たしか、以前お参りしたことのある豊川進雄神社の境内社に出雲神社はあったけれど、
お札が頂けるかどうかは???
あ、ここにあった!

ということで、大社神社です。
いきなり境内に車を止めてしまったので、参道を歩かず外観もよくわかりませんでしたが、なんでも田沼意次の陣屋の場所であり、当時の石垣白壁の塀が周囲にめぐらされているようです。
うーん。
この閑散とした感じは。。。社務所は閉まっていて御札はいただけないかも。
けれど、社務所の前に一台の車が止まっており、なんと神主さんがお勤めを終えて帰ってきたところだったのか、今しも車から降りてきたところでした。
なんと、ラッキーな。
話をすると、神主さんはどこぞへ消えて行かれました。

待っている間のお参り。
HPからご由緒を。
「社伝によると、天元・永観(978~985)の頃、時の国司 大江定基卿が三河守としての在任に際して、三河国の安泰を祈念して、出雲国大社より大国主命を勧請し、合わせて三河国中の諸社の神々をも祀られたとある。
社蔵応永7年(1400年)奉納の大般若経典書には、奉再興杜宮大社大神奉拝600年と有る事から、天元・永観以前より当社地には何らか堂宇が存在し、そこへ改めて出雲より勧請して、神社造営をしたものと考えられる。
当社には、徳川14代将軍 家茂が長州征伐に際して、慶応元年5月8日、戦勝祈願をされ、短刀の奉納をされております。」とある。
また、明治5年(1872年)には、大社神社は国府村の総氏神となる。

つまりご祭神は大国主命です。

編額には打ち出の小づちが彫りつけてあります。
すぐ左を見ると、大国主さまの石像がにこやかです。
なんでも、体の痛いところをなでると霊験あらたかと書いてあるのを読みましたが、実際は注連縄で結界があり、近づける感じではありません。それに、なでられた形跡もないほどキレイでした。
そして奥の境内社へ。

右が進雄神社(すさのおじんじゃ)247番目。

祭神 進雄神(すさのおのみこと)
   櫛稲田姫(くしなだひめのみこと)

右は

御鍬稲荷神社(みくわいなりじんじゃ)248番目。

祭神 天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
   宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)
   豊受大神(とようけのおおかみ)
ここまでお参りして神主さんが戻っていらっしゃいまして、お札を頂きました。
なんでも、平成の大遷宮祈念にご下賜の御神像が今だけ御開帳だそうな。
大社の遷宮は60年に一度のことで2013年に行われました。
それもラッキーだったかも。
ツボの中身については聞きそびれましたが、お味噌かな?梅干しかな?

境内には他に秋葉神社、金比羅宮があるようです。
神社大社神社(豊川市国府町)
祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
神社進雄神社(大社神社境内)
祭神 進雄神(すさのおのみこと)
   櫛稲田姫(くしなだひめのみこと)
神社御鍬稲荷神社(大社神社境内)
祭神 天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
   宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)
   豊受大神(とようけのおおかみ)