Temple天台宗 柳井堂心城院(湯島聖天)。260番目。
湯島天神の祓戸でございます。
祓戸ですから
湯島天神にお参りする前に手と口をすすぐといいです。

柳の井 心城院HPより
当山には、江戸名水「柳の井」があることから、「柳井堂(りゅうせいどう)心城院」と称されています。
江戸時代の文献『江戸砂子』・『御府内備考』・『紫の一本(ひともと)』・『江戸志』などの「柳の井 男坂下」の項に、「この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけずると云う心にて、柳の井と名付けたり」と記されています。
「柳の井」は古来より水枯れもなく、数滴髪に撫でれば水が垢を落とすが如く、髪も心も清浄になり降りかかる厄難を拂ってくれると伝えられています。この霊水の美髪・厄除けのご利益を求め、日々参拝者が訪れています。

手と口と髪の毛ですね。

心城院(旧湯島天神別当 喜見院弁天堂)。
HPより
当山は元々、湯島天神の別当寺であった天台宗喜見院の「宝珠弁財天堂」と称されていました。ときに元禄7(1694)年、喜見院第三世・宥海大僧都が、道真公とご縁の深い歓喜天(聖天さま)を弁財天堂に奉安したのが当山の開基(中略)享保のころ、寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行されました。江戸では、谷中感応寺(現・天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が「江戸の三富」と言われ、大いに賑わいました。
ご本尊 道真公ご信仰 大聖歓喜天

もともとはヒンドゥー教のガネーシャですよね。へえ。
道真公が信仰していたとは初耳でした。
HPより
聖天さまのご利益は、「二股大根…夫婦和合・縁結び・家内安全など」と「巾着袋…商売繁盛・金運・子孫繁栄など」とに表され、境内や堂内、授与物などの至るところにそのご利益の象徴が印されています。
元禄の開基以来、当山は「湯島の聖天さま」として知られ、熱心な信者の参詣があり、ミカン船で有名な豪商・紀伊国屋文左衛門も当山に帰依した一人でした。
湯島天神は学問の神様「菅原道真公」を祭神としていますが、道真公が藤原時平の讒言にあい、その冤罪をそそぐために九州天拝山にて聖天さまに祈念されました。道真公は熱心な聖天さま(大聖歓喜自在天)の信仰者であったため、その神号を「天満大自在天神」ともいいます。大自在天とは聖天さまの別名です。また、天神様の本地仏(ご本体)は十一面観音です。


荼枳尼天社(ダキニテンシャ)。261番目。
祭神 荼枳尼天 (五穀豊穣・商売繁盛の守り神)
東京で流行った稲荷信仰ですが、こちらはインドの神さまのお稲荷さんです。
豊川稲荷などと同じ祭神です。
ですから、湯島天満宮境内の笹塚稲荷神社とは祭神が違うのですね。

放生池(ほうじょういけ)
HPより
江戸時代の文献『江戸志』の「宝珠弁財天 男坂下」の項に、「江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(ながいさねもり。後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝う。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり」と記され、かつての池は太鼓橋が架かる程の規模だったようです。
この池の水源は「柳の井」で、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、「亀の子寺」として親しまれておりました。

この池には美しい鯉たちも泳いでいました。
明治の神仏分離令を乗り越えて今も栄えていることは、大聖天のご威光と信仰を集めている様子が伺えます。学問の神さまを支えていたのは富の神さまだったのですね。
湯島天神の祓戸とか、湯島天神のパワースポットといわれる理由がよくわかります。
お参りできてよかったよかった。
精々精進しなされや・・・そんな言葉が聞こえた気がしました。
Temple天台宗 柳井堂心城院(湯島聖天)
本尊  大聖歓喜天
Temple荼枳尼天社(心城院境内)
本尊 荼枳尼天