神社矢田八幡立坂神社(桑名市)。275番目。

最後、人影あって由緒を求めると二部あったコピーの内の一部を下さいました。
お下がりのお菓子まで頂き感謝感激。
宮司さんは正装でどちらかへお出かけのご様子でしたので詳しいお話は伺ってませんが。

御門には八幡宮とあります。
「矢田八幡宮」と昔は呼ばれていたそうな。

参道を行くとぱっと赤く輝いている「うてな」のような拝殿が目を引き付けます。


合祀神 武甕槌神 斎主神 天児屋根命 姫大神 木花咲夜比売神
大山津見神 天目一箇神

掛けてある幕の紫に太陽の光で赤い敷物が反射し、編額にも壁にも移り込んでえも言われぬ美しさです。
浦島太郎が竜宮城(鹿児島宮かな?)に着いた時の、絵にも描けない美しさとはこのようなものだったのでしょうか。神々しい。

右隣は大日靈女貴社(おおひるめのむちしゃ)。276番目。
祭神は大日靈女貴尊。
ホツマツタヱにアマテルカミが生まれた時の描写があります。
ホツマツタヱ3あや
みこのひかりの てりとほり
やもにこかねの はなさけは
ひのわかみやの わかひとと
とよけゐみなを たてまつる

照り通って八方に金の花が咲いたというワカヒトの名付け親はトヨケ神です。
ヲヲンカミみずからがおっしゃるには
みこのこゑ きききるときは
おさななの うはおおひなり
ひはひのわ るはひのちたま
きはきねそ かれうひるきの
みこと
なり

うひるきと自らおっしゃるのを聞き切った姫は「キクキリヒメ」と称えられました。
八ッ屋神明社(大府市)
アマテルカミの霊的な御名はオオヒルメではなくウヒルキだったのですね。
ホツマツタヱでアマテルカミは男神です。
今、女神天照大御神と認識されているのは、持統天皇の権威づけのための神社改革の一環だったという説があります。
※後述する理由により、天照大御神が女神として伝わったことは正解だったのではないかと個人的には考えます。それに、ただ個人的なことや天皇家の血筋へのこだわりだけでここまでの改革を為すことは普通はできません。やはりそこには国全体のために人々の幸せのためにという大義があってさらに神さまのご意向を汲み取った事実が隠されているのではないかと思いたいのです。
神社由緒のコピーが読み取りにくいためところどころ解読不可能ですが、創建まで辿る内容はなさそうです。
1892年 中臣神社を公裁を経て立坂神社に移る
1853年 有栖川親王殿下の御筆編額
合祀の矢田八幡社。277番目。
祭神 神功皇后 慶神天皇 玉依姫
本社は昔時今の地より西にありといふ、今この地に八幡宮を祀るは天武帝行宮の名品を後世にのこさがために設けたる云々。慶長年中(1596年~)本多候矢田河原に勢揃いありその時旗印に霊鳩来たり止まりて瑞祥を顕す候以て戦勝の前兆とし兵を励まし出陣して大いに功を収め錦陣御後問うて曰く此の地八幡社ありや土人曰く西方にありとこれを奉祀す後さらに山城国石清水八幡宮を勧請して此れを桑名八幡宮と云々。1625年地名により矢田八幡宮とあらたむ。
以来世々の藩主崇敬厚く藩主これを弓前の守護神と仰ぎその名高く遠近にきこゆ。云々

八幡宮の成り立ちは、天武帝潜幸の際の品々を収めるために創建されたということです。ですから、天武帝が桑名に寄った672年6月以降、鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)が当地にいるあいだに設え始めたのかもしれません。立坂神社と合祀になったのは中臣神社よりは前のことだったのでしょうね。
ただ、桑名にはもう一つ立坂神社があるようでして、そちらの由緒を見ると面白いことが書いてあります。尾野神社に合祀の立坂神社です。
古く立坂神社は「高野御前」ともいわれ、「草鞋(わらじ)神」と称されていた。海善寺(西方廃寺)の雲水が、諸国修行に出る際に草鞋を供えて、旅の安全を祈つたいう。
明治41に式内社尾野神社の境内社へ合祀されることになつた。
尾野神社由緒
客宮 立坂神社。昔はこの地より西の方、今の梅園町の桑陽保育園の地にあって今尚旧跡が残っております。俗に草鞋神と称えて足止めの信仰があり、この神様の門前にわらじを供えて家出人の足を留めて頂くことを祈り、又は旅の安全を祈ったのであります。

引用
草鞋を備える足の神さまといえばアラハバキ神ではありませんか。これは一体どういう事なのでしょうか。足との神さまとは「地」「大地」「地球」の神さまで天空神、天津神とは一対の神ということなのでしょうか。
四魂―荒魂、和魂、幸魂、奇魂 という魂の側面があると言われていますが、アマテルカミが和魂で大日靈女貴尊は荒魂、あるいは奇魂と見られていたという事も考えられます。
高野御前と呼ばれていたともあります。ということはつまり、ご祭神はアマテルカミの荒御霊、ヒニムカツヒメなんですね。⇒高宮神社
おおひるめ
で、ご神紋は「丸に並び矢」。この矢で思い出されるのがソサノヲとの「誓ひ」の場面です。
ホツマツタヱではこの時のソサノヲに対しているのはワカヒメなのですが。。。ソサノヲが帰る前に慕わしい姉であるワカヒメに面会しようとします。しかし、ワカヒメは暴れるソサノヲの本心を測りきれず武装して立ち向かうのです。
ホツマツタヱ7あや
あけまきし もすそをつかね
はかまとし ゐもにみすまる
からまきて ちのりゐものり
ひちにつけ ゆはすをふりて
つるきもち かたにはふんて
けちらして いつのおたけに
なしりとふ

ワカヒメも堪忍袋の緒が切れたという風情です。
これも荒魂と言えるかもしれません。
並び矢には、この時の扮装が思い出されるのです。
※ワカヒメの働きは「ホムシ去る和歌のまじない」「八雲琴」など奇跡を起こす面が割合強いのかもしれません。シタテル⇔アマテルの初代下照姫なのですし。四魂の考えで行くとアマテルカミ⇒和魂、トヨケ神⇒幸魂、セオリツヒメ(ムカツヒメ)⇒荒魂、ワカヒメ⇒奇魂という感じ?オオヒルメとは最強のヒルコヒメ(ワカヒメ)という意味ならばセオリツヒメとタッグを組んだワカヒメは「オオヒルメ」と呼ばれてもいいのかもしれません。
高野御前と聞くとどうしても私は丹生都比売神社に坐すワカヒメを連想してしまいます。
高野神(イブキドヌシ)が建立したのが丹生都比売神社の前身であろうと言われているからです。主祭神は丹生都姫(ワカヒメ)で、祭神の1柱に高野御子が坐しますから。
ところが神社では高野御前=高宮とはムカツヒメのことを指すようなのです。
ワカヒメとムカツヒメはチームのように一組で働くのかもしれません。二人して「ゐごころ」守れとアマテルカミの遺し文なのです。
ちなみに、ウヒルキのウはアマテルカミ、ヒはムカツヒメ、ルはワカヒメ、キはトヨケ神とかね。みんな合わせて天照大御神となりにけり。※あくまで奔放な想像にすぎませんので悪しからず。しかしそう考えると、天照大御神は男でも女でもなく両性具有であり統合された存在だといえるわけです。その四人チームのこと、
ホツマツタヱ28あや
またきさき ひろたにゆきて
わかひめと ともにこころ
まもるへし われはとよけと
おもる ゐせのみちなり

左側に進みます。

真清神社
真清神社。278番目。
祭神 不詳
さらに左。


子安稲荷神社。279番目。
祭神 倉稲魂神
子安稲荷神社由来略記
立ち坂神社境内に安置まします正一位子安稲荷神社は山城国から奥州白河に勧請し奉り志多町にご鎮座あらせられました処ご神徳威弥増しにましますがゆえに彼の地では毎日毎日遠近から開運立身の心願とか特に産婦人安産の祈願とか種々の事をお願いいたしに参詣するもの非常に多くそのご霊験もまた殊に多く著しかりし故誠に尊い御神様であられます。
何故当社を子安と申し上げるかというと安産守護を為される倉稲魂の神徳が万物を出生さるるの道理からであります。次第で五穀成就の神様として火災を除き安産を守らせ給い永く武運の守護神として国家安全長久の鎮護とせられているのであります。云々


力石が置いてあります。
参道の右わき。

八天宮。280番目。
八天宮については他の神社で後述します。

菅原神社。281番目。
神社矢田八幡立坂神社(桑名市新矢田)
祭神 大日靈女貴尊
武甕槌神 斎主神 天児屋根命 姫大神 木花咲夜比売神
大山津見神 天目一箇神
神功皇后 慶神天皇 玉依姫
神社子安稲荷神社(立坂神社境内)
祭神 倉稲魂神
神社八天宮(立坂神社境内)
神社菅原神社(立坂神社境内)