鳩森八幡神社(渋谷区)349~353 甲賀衆

 神社鳩森八幡神社(渋谷区)349番目。
日月神事の岡本天明さんが代理神主さんをしていたのは烏森神社ではなく鳩森八幡神社、こちらの方でした。神主さんとして勤めている時に降臨した神霊がその後に日月神示を書記させる「国常立尊」ということでした。


祭神 応神天皇・神功皇后
HPより
『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。

八幡さんの前にどなたか神さまがおいでのようです。西に向かったと言う事はやはり、富士山なのでしょうか。
その昔、天孫ニニキネの最初の宮は茨城県でした。その地で田を開墾し、次は富士山麓の地域へと開墾を進めました。関東平野はホツマと呼ばれ、まだ御子時代のニニキネが精魂込めて耕した地域でした。言うまでもありませんが、ニニキネの奥さんが浅間神社のコノハナサクヤヒメです。東京のあちこちに富士塚があるのは、古代にニニキネさんが築いた豊かさへの感謝がベースにあったからではないでしょうか。
あ、でも、当のニニキネさんはどこに祀られているのでしょう?
大きな功績を残したニニキネ命の神社が少ない気がしますね、そう言えば。
ホツマツタヱに依れば二朝並立時代のアマカミであり、兄のアスカ宮(ホノアカリ)の系列との確執が起きた後の歴史です。2代アスカ宮ニギハヤヒを立てる人々がのちのち天武天皇を押し、やがては南北朝へと火種を残し、現代までそれは続いていると言われます。
政治的にこう言う二者対立の構図が日本の根っこにあると言う事は、何を意味してるんでしょう。
二朝並立をつくったのはアマテルカミです。
何らかの計らいがあるに違いないのです。それを掴みとるまで同じことは続くと思われます。
それと、ここは富士塚が有名です。

登山口は4カ所。
まずは、里宮にお参ります。浅間神社。350番目。

振り返ったあたりに亀石の表札があるのですが、姿がよくわからないので写真撮らず。
そして奥宮に登りますが結構細く険しいのでヒールでは危ないかな。

浅間神社奥宮。351番目。
両脇に

欽明水。

銀明水。

金明水の向こうには釈迦の割れ石がのぞいています。
別のミチを行くと

烏帽子岩と食行身禄像。
また別のミチ。

小御嶽石尊大権現。
富士塚頂上から見えた稲荷神社に向かいます。

甲賀稲荷社。352番目。
青山権田原にあった甲賀衆の鉄砲演習場に建立されていた甲賀稲荷は明治になって青山練兵場を作る際、鳩森八幡神社境内に遷座されたという由緒です。
何でまた同じ渋谷区に伊賀衆の穏田神社と甲賀衆の神社があるのか?
忍者は場合によっては同じ村の者と敵対する場合もあったとか。
逆に伊賀だ甲賀だといっても元々隣あう地域の似た者同士、同盟のような約束事もあったようです。
境内を歩くと六角堂があります。

将棋の神さま。

そして神明社です。353番目。

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