オホナムチ(大穴牟遅神 大穴持命 大己貴命)

オホナムチ(ホツマツタヱ伝)
父はソサノヲ、母はイナタヒメ。
父のソサノヲは非行の末にシタタミに落ち、
ヤマタノオロチを退治した縁でイナタヒメと結ばれて、
イツモに隠れ住んでいました。
そして、オオヤヒコ、オオヤヒメ、ツマツヒメ、コトヤソの
4人の子を生しました。
その後、イブキドヌシと共に根のマスヒトを討ち、
その功により、タカマに復帰したのです。
ソサノヲが皇族に復帰して最初に生まれたのが、オホナムチでした。
イミナをクシキネといい、やさしく流れを汲んだ国治めは
まことに巧みでありました。
国々をめぐり、民が飢えることのないようにと努めましたが、
それでも糧足りず、シシ肉を食すことを許すと皆早死にするように
なりました。穂にはイナゴが付いて困り、シタテルワカヒメに
どうしたらよいかと教えを乞いました。”ワカノマシナイ”は
那智大社や大国魂神社などに今も片鱗が伝わります。
オホナムチは、タカマにさぶらって仕えるよりも、
国をめぐって民と直に触れ合うことの方が性に合っていたようです。
大物主の職にありながら、息子のクシヒコ(後の大国主命)を
自分の事代として仕えさせ自分は出雲にいてはげみ、
その糧は蔵から溢れるほどになりました。
たとえ天候が悪くとも出雲の民を飢えさえることがなかったのです。
福の神の本領ですね。
出雲はオオナムチの代で栄耀栄華を誇ったのでした。
ところが、大いに成功すると鼻がどんどん高くなるところは、
オホナムチの人間らしい一面といえます。
フトマニ(一種の曼荼羅)による占いで、出雲の地がやり玉にあがりました。
タカマから調査にやると
「満ちれば欠くる理か、立派な社殿はタカマと張り合うかのようだ」
との報告がなされました。
そして、再三にわたりタカマから使者をおくるが、オホナムチの
人たらしに酔って11年もの間、使者が帰らない状態が続きましたが、
使者のアメワカヒコ死に到り、ついにタケミカヅチ、フツヌシが
出動するにいたり抵抗を見せた子のタケミナカタが諏訪にて降参すると、
いよいよオオナムチも観念し、津軽うもとの守として赴任していったのです。
津軽も栄え、ウツシクニタマのおくり名を得ています。
どこに言ってもオホナムチのいるところ、栄えありなのですね。
いつでも正しいと思うところを貫く息子のクシヒコさんは
まじめで実直なところが役人向きかもと思えますが、
オオナムチさんは清濁併せのむタイプというか、
すぐに天狗になり前世の魂に諌められたりするところは、
人間らしい部分です。

飛瀧神社(勝浦町)
すごく人気のある神様だと思うのですが、あるべき出雲大社では名が異なるのに、
なぜここに?というところにデンといらっしゃいます。

砥鹿神社里宮(豊川市)
ここは、三河一宮の砥鹿神社。中央構造線上でありパワースポットともされています。
こちらの由緒にはご祭神大己貴命の荒御魂が荒羽羽気神と書かれています。
天にも地にも通じる神様という感じですね。

砥鹿神社奥の院(愛知県豊川市)

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