ニニキネ(ホツマツタヱ伝)
アマテルカミの孫でアマカミの継子のことを”天孫”と呼びます。
ホツマツタヱには”天孫”が二人登場します。
ホノアカリとニニキネです。
なぜ二人の天孫が誕生したのでしょう。
二人の父はセオリツヒメの子オシホミミ、母はヒタカミのタクハタチチヒメ。
ホノアカリが最初に生まれ皇太子時代オシホミミの居る宮城県のタガ宮で育ちます。
弟ニニキネは伊勢のアマテルカミのもとで帝王学を学ぶのです。
アマテルカミが手元に置くのですからおそらく幼少のころから才気ばしった神童だったに違いありません。
父オシホミミは東北を治めていましたが、中央へ行幸しようとしても民が集まってひたと止めるので息子のホノアカリを下したい、という文を伊勢に送りました。
それに対してOKを出したアマテルカミは十種宝をホノアカリに授けたのでした。
ホノアカリは総勢864人を従えて陸路伊豆まで、そこからイワクス船に乗り大空を大和に向けて走らせたのです。
同じ年、ニニキネは茨城県に初めての宮を建てて治めます。その時に宮つくり法ができ、御衣制度も固まりました。行政がかたまり始めたしるしでしょうか。
筑波を治めるニニキネは、天候に左右されないで民の糧を安定的に供給するために心を砕いていました。堰を築き山水を集めて高い所にも田をつくりました。これが5年後見事に実ったのです。
この方法を全国に広めれば民の糧が増え人口も増える、とアマテルカミに伊勢で実験して見せました。「これはすばらしい!」ということで八州巡れということになりました。
アマテルカミは三種宝を授け左右の臣、その他80のモノノベを侍わせ、ニニキネの全国巡りが始まりました。
ホノアカリは十種宝をさずかりアスカ宮に、
ニニキネは三種宝をさずかり筑波から九州まで巡って人々の糧をつくりました。
二朝並立といってもよい状況が生まれました。
けれども日本神話でもそのようなことは語られません。
隠された物語なのです。
各地でニニキネが祀られている神社を探してみました。
ツクバ宮(筑波) 鴨大神御子神主玉神社
サカオリ宮(浅間)浅間大社
ミズホ宮(滋賀)邇々杵神社
シノ宮(大津)天孫神社(ご祭神に見あたらないが)
カゴ宮(鹿児島)霧島神社
ソヲタカチホ(高千穂)高千穂神社(神あがりした)
ニニキネは別雷神や鴨大神の称え名をもちます。
上賀茂神社(賀茂別雷神社)は有名です。
阿久比神社(阿久比町)
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ニニキネの奥さんはコノハナサクヤヒメ。
ニニキネを継いだのはホヲデミ。
ホヲデミと最愛の妻豊玉姫はウガヤフキアワセズを生み、
ウガヤは豊玉姫を守り抜いた弟のタケズミの娘タマヨリヒメを娶り、神武天皇が生まれたのです。
神武天皇が神武天皇になる前、父ウガヤが宮崎で神あがる時に参りそのまま九州にいました。
その後、大和でナガスネヒコの悪行が伝えられると平定に向かいます。神武東征です。
ホノアカリのアスカ宮を継いだ養子のニギハヤヒにも子がないのを憂いての盗み文でした。神武東征で二朝並立が一応は終焉し大和朝廷として一つになりました。三種宝と十種宝はここに統合されたのです。
発明家であり、全国を駆け巡り、クニトコタチの生まれ変わりとまで言われたニニキネは、偉大な偉大な天孫だったのでした。