神武に愛された天才 タカクラシタ

タカクラシタ(高倉下 手栗彦)

オオヤマカグヤマツミは、アマテルカミの内宮セオリツヒメの兄にあたり、その子カグヤマツミはアスカ宮の臣として仕えました。その孫として生まれたタクラマロでした。

高倉下、イミナをタクラマロといいます。
タクラマロの実父カゴヤマの叔父に大山祗神(マウラ)がいます。

カゴヤマはテルヒコホノアカリ(アマテルカミの孫)が譲位された時につけられた32司の筆頭で、ホノアカリに付いて飛鳥の地にやってきます。タクラマロは神武天皇より二世代上に当たるのですが10歳も年が離れていない計算になります。カゴヤマのかなり遅くに生まれた息子だと思われます。アスカの地で生まれたのかもしれません。

その後カゴヤマの妹アメミチヒメが入内するも子を成しませんでした。
後から入ったキサキのハツセヒメにも子がありませんでしたので、アメミチヒメの兄で右の臣のカゴヤマの子を養子に迎えたのです。焦ったハツセヒメは「臣下の子は臣下である!」と言ってアメミチヒメとタクラマロを追い出してしまうのです。

タクラマロについては熊野に落ちました。アメミチヒメも一緒だったかもしれません。
ハツセヒメがアスカ宮ホノアカリの怒りを買って逆に自分が宮を追い出されますが、その後アメミチヒメはキサキとして復帰しています。タクラマロは養子の縁を断ってタカクラシタとして熊野に住み着くわけです。

タクラマロが神倉神社を拠点にしタカクラシタを名乗りました。そして神武東征の折、一旦は養子に入ったアスカ宮を糺す神武側に付き、神武の危機に際しフツノミタマを授かり全軍を救うという大きな功を立てます。

⇒神倉神社 和歌山県新宮市

初代スヘラキとなった神武の詔で「スベシカド」に任命された高倉下は四国右矢印ツクシ(筑紫)の32県右矢印ヤマカケ(山陰)右矢印コシウシロ(越後)をめぐって情報をタカマに伝えました。
そんな中でコシウシロのヤヒコヤマに出没した土蜘蛛と5度矛を使って鎮圧し、コシウシロの24県を神武に献上したのです。神武8年のことです。
この功績によりタカクラシタは紀の国造の大連を賜ります。

前回コシウシロを制圧してから12年が過ぎるとまたしてもコシウシロが騒がしくなるので、再び向かうタカクラシタでしたが矛を使わずして治まったのでコシウシロの国守を賜り長く住むことことになりました。ゆえに紀の国造を妹婿のアメノミチネに交代しました。

⇒彌彦神社  新潟県西蒲原郡

タカクラシタ77歳のときに20歳のイスキヨリヒメを神武より賜り子を成しています。
逆算するとタカクラシタが57歳の時に橿原宮が成立したという事です。神武が大和討ちのため宮崎を出発したのが45歳の時。中国地方で3年ほど費やしていますので紀伊半島に入ったのは48歳か49歳ごろだと思われます。神武天皇より8歳ぐらい年上という計算になります。
年齢から見てコシウシロのクニに骨をうずめたと思われるタカクラシタですが、いつから天香山命・天香語山命を名乗る様になったのでしょう。

タカクラシタは先見力と国の経営に関する洞察力を備え、分限と節度をわきまえた行動をとる人のように見受けられます。地域の民とのつながりが深く徳のあった人物のようで、多くの伝説が残されています。また、毘沙門天との習合も見られるようです。軍神であり、雅楽を楽しみ、鉄を鍛え、塩をつくる、塗部になるなど産業を興し子孫が氏族の祖となる分野は多岐にわたっています。

 高坐結御子神社(名古屋市) ここは「井戸覗き」が有名です。子育てとタカクラシタ・・・なぜ?と思うのですが、子孫が繁栄し多くの産業を支えた氏族の祖神を生んでいるところを見ると納得できます。このあたりの地域は高蔵の字が見えます。春日井にも高蔵寺という地名があり、愛知県にもタカクラシタの名残は多く残っています。

香山命はタカクラシタの実父の名であり、一度は養子縁組を結んだ義父のカクヤマ宮にも因んでいます。そして、天香山命を祀る神社の由緒に残るほとんどは「天火明命の御子」であると伝えています。

タカクラシタが天香山命を名乗った理由をこちらで考察しています。

タカクラシタを追っかけて

 神倉神社(蒲郡市)

マルチな天才でありながら、腰が低く帝に愛され地域の民にも愛された徳高い人物です。

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