「就活の神様」という検索ワードをみつけまして、切実なあと。

私の娘もです。で、就活の神様さがしてみます。

 

就職浪人的な生活がときおりみられるのはオオナムチの息子、クシヒコさんですね。

一度目の「隠居」はアマテルカミの御時、全国的な争乱の起こった後のことです。

 

出雲の国を治めていたオオナムチですが、そういえば国を守る八重垣を築く役割のはずなのに登場していません。というのも父ソサノヲは当時「下民」であり、イブキドヌシと共に争乱の元凶をたおして後、八重垣旗を授かったのでしたっけ。いわゆる国譲り(カシマタチ)の時はオオナムチのご時世でした。タカマ(中央政府)を凌駕するほどの立派な社を建築し鼻高々のオオナムチは、「タカマを盗るつもりでは?」との疑いを掛けられフトマニで占います。本心を質そうとタカマが動き出した時、長男のクシヒコはどうしたことか、三保の浜で鯛釣りに興じます。

クシヒコさんは父オオナムチの奢り高ぶりを諌めたですが聞き入れられず自ら蟄居し、鯛釣りをして暮らしました。この時が最初の「浪人」時代です。

  上知我麻神社境内 大国主社と事代主社が両脇を固めています。

 

父オオナムチはどちらかというと国々を巡り人々と直接触れ合う「現場主義」の方でした。タカマのお役をいただいていれば事務的なことも、神事も必要になります。オオナムチはそういった事務官的な仕事をクシヒコにさせて自分は国々を巡り農業を振興したり人々が健康に暮らせるよう指導して回っていたのです。当時の役割によりクシヒコは「事代主」といわれるのです。クシヒコさんの固い人物像が浮かび上がってきます。

カシマタチの際のクシヒコの態度により、タカマはクシヒコを益々重用するようになります。

 

アメミマコである、ホノアカリがアスカ宮となる時の右の臣に就任しました。

しかり、ホノアカリはアスカ宮に落ち着くや否や遷宮を言いだします。それに敢然と反対したのが左右の臣クシヒコとアマノコヤネだったのでした。いずれは全国を治めることになろうお方が人心を離すような行為に対して黙しているわけにはいかなかったのでしょう。かくして、クシヒコは二度目の浪人となります。主君に逆らう臣など要らんとクビになったのでした。

  神田大明神(東京都)

 

そのように正しいと信じることを曲げない正義漢でもあったのですね。

そんなクシヒコさんはやはり再び登用されます。天孫ニニキネの臣として、ニニキネの始めての宮造営奉行になって宮の造営基準本を定めて「大国主」と称えられ、発明家でもあるニニキネの全国開墾巡りに付いて回ることになったのです。国づくりに大いに貢献したクシヒコは「大國魂」とおくり名されるまでに出世しました。

タカマによく仕え、誠心誠意を尽くし、国づくりの大きな功労者となったのです。

  大濱熊野大神社境内(愛知県碧南市)

 

クシヒコさんの就活は「鯛釣り」「エミス顔(ゑびす神)」であったし、正しいことを貫く誠実さを見せたことです。

釣った鯛を献上できます。今の慣習からすればなんでしょう。会社に貢献できる「特技」でしょうかね。それとも幸運度をアピールすることかな。幸運な人はどこへ行っても喜ばれます。

「エミス顔」。いつでもどんな状況でも心穏やかな笑顔があると、人は寄ってきますもんね。

宮仕えといえどもキチンと自分の立場を貫くって、生意気と取られることもありそうです。あくまでも上司の顔を立てながらいう事は言うというってちょっと難易度高いかも。