4代 ウヒチニ・スヒチニ

 

アマテルカミの皇子オシホミミの婚礼に先立ち、お神酒のいわれについて7代目のタカミムスビが質問されたのに答えておっしゃったこと。

 

クニトコタチがトコヨ国をつくられて、その子達8人がそれぞれに散って国を治めクニキミの初めとなりました。クニトコタチの世継ぎの神はクニサツチといいました。三代目のトヨクンヌの御時、天の道を三つの業務に分けて「君・臣・民」としました。国は栄えてこの三代は治まっておりました。4代目お世継ぎのウヒチニの御時、スヒチニを娶られることになりました。婚姻の事を「さひあひ」と言いました。今の言葉でいうならば最愛と書くのでしょうか。美しいもの言いです。

 

ウヒチニは越前ヒナルタケ(日野山)の宮に木をお持ちになり庭に植えると3年後の3月3日、百個の花も実も結んだので桃(百)の花と名づき、ご夫婦二神の名も「モモヒナキ」「モモヒナミ」となりました。ヒナとは一人前の大人となる前のことです。成人してのち3月3日に神酒をつくり始めて桃に奉じて月の霊気を移し妻がまず飲みその後、殿が飲まれて交わる床の神酒のことでした。

二神の婚姻ご神事が雛型となり、臣たちも妻を入れるようになりましたし、諸民もこの時から妻を定めるようになりました。こうして八方のクニにも陰陽の結びが備わりました。

 

いにしえの世、宇宙の天・地・泥が混とんとしている中から気挿し、陽(天・太陽)と陰(地・月)が分かれた中でクニトコタチの世界が生まれ八方位の働きの元、地球は五行で運用されるようになりました。地球が強力な引力をもって豊富な水を招き木を生い茂らせ火を呼び込み沢山の人が暮らせるようになりました。三代目の時、多くなった人々の中に秩序を設ける必要が出てきたのでしょう。国中に君・臣・民と役割分担が為されます。

 

その上でアマカミに婚姻神事が下されたのです。日本にも人類を増やしていくという意志が働いたということなのかもしれません。しかし、安全に増やしていくことは必要でした。その為の「さひあひ」だったのかもしれません。「さひあひ」は、三三九度のご神事として今に伝わっていますし、雛まつりの原型です。

 

現在雛まつりは女児の健康な成長を願って飾られ、人形は子どもに降りかかる災難の身代わりになってくれるとされています。昔は成人を迎える前の10代初めごろの男女稚児のお祭りだったそうです。将来夫婦になる相手との面会の社交場だったのかもしれません。

 

日本の行事には思いがけず深い意図が込められていることが分かります。

例えば鏡モチ。

お正月に神様に奉献して11日に鏡開きをします。鏡というのは、アマテルカミの代名詞でもありますが、八尺の鏡のことです。八尺(あた)というのは人の平均身長だったそうなのですが、円周を八尺にして造らせたそうです。鏡とは言ってみれば日本語の曼荼羅です。そのお鏡を割ってお下がりをいただき、人々のなかに曼荼羅を息づかせる。それが鏡開きの意味なのです。

 

雛まつりがこんな風に今でも残っているのはスクナヒコナが雛まつりの故事を人々に伝え歩いたおかげでしょうね。スクナヒコナが神あがりしたのが加太淡島神社といわれています。

そこの人形供養は有名ですよね。薬師如来ともいわれるスクナヒコナがなぜウヒチニ・スヒチニの物語を語って歩いたんでしょう。人々が健やかに子々孫々繁栄し暮らすための知恵がそこにあったからだと思えます。

  潮御崎神社(和歌山県) ご祭神は少名彦名命。 

 

雛まつりには、その子の健康ばかりでなく陰陽のバランシング、健康な結婚、分かれていたものが一になるという願いが込められていると思います。