福の神は素直

ヲコヌシ(事代主命  2代大物主神 ゑびす神 大国主命 大地主神 大国魂神)

幼名はクシヒコ。クシヒコの祖父のソサノヲが八重垣旗を預かるようになってから、警察・検察・国防のカミとして初代大物主を賜った父オオナムチでしたが、役人のような仕事が性に合わないのかすぐに代役に子のクシヒコを立てました。それでクシヒコは事代主と呼ばれます。仕事ができる上に人間が柔らかく、人望も厚いのです。ゑびす神と呼ばれるのはその笑顔のためです。やわ(和)する人当たりが日本人の交渉における特徴であり、そのお手本を見せたのがクシヒコさんだったのです。

アマテルカミの孫の時代、奇しくも2朝並立時代が幕を開けます。

大和春日を守るヰヂチ(アマノコヤネの父)が老齢により引退を申し出ました。折から、ヒタカミでアマカミ・オシホミミは手元にいる兄皇子ホノアカリを是非アスカ宮にと薦めましたので、アマテルカミはホノアカリにトクサタカラ(10種神宝)を授けました。

宮入りの時に大臣として抜擢されたのはアマノコヤネとクシヒコだったのでした。

アマノコヤネは大男であり4つの家法を継ぐことになるほど優秀な人物でしたがそれに匹敵する力をクシヒコはもっていたのです。

  三河ゑびす社(豊川市)

しかし、大臣として筋を通すことを優先し無理を言うアスカ宮に諫言をしたことですぐにクビになります。正しいと信じるところを貫く正義漢でありました。

弟皇子のニニキネは新田開発を推し進めたので人口がこの時期爆発的に増えました。

アマテルカミに検分を受けた伊勢の田も成功を収めたニニキネにはミクサタカラ(三種神器)を授けられ「八州巡り」を開始します。

その時ニニキネの大臣となったのがアメノコヤネ・クシヒコのペアだったのです。

「たかがしれている」

という言葉があります。それは辞書を引くと「高が知れている」とありますが、由来は「左[た]右[か](大臣)が知れている」ということからきているのではないでしょうか。

社長の右腕左腕に誰がついているか。それで会社の実力が決まるというほどの意味だと考えられます。ニニキネが優秀であるということに異論はありませんが、アマノコヤネ・クシヒコは最強の大臣としてニニキネを支え、つまりは日本の国体を創っていった魂だと思うのです。

クシヒコ初の大仕事はニニキネが始めて宮をもったニハリ宮の造営でした。

その時に「みやつくりのり」が定まったのでした。今でいう建築基準法ですね。

出雲の大社づくりを見て育ったクシヒコです。それは完璧なまでの宮作りでした。

喜ばれたニニキネに「ヲコヌシのカミ(大国主命)」の名をこの時に賜ったのでした。

家の柱の名も大国柱となったのです。

あるとき大物主のクシヒコが「あらこおきて」についてアマテルカミに質問しました。

そこで八重ガキの剣とは何を意味するのかが判明します。

そして「つ・る・ぎ」の意味も話されます。なかなかに解釈しにくいのですが、「つ」はつまるところ、とか運の尽きのような意味があり、「る」は魂が宿っている状態、活きのいい状態、その二つの立場を分けるのが「ぎ」の役割であるといったもの。それを全体的にみると「もの事の生き死にを司り、運用を決める。判断する」というようなことでしょうか。

「八重垣」の名がハタレの術を破る意味があったと聞いたことがあるとクシヒコが申します。

また「やたのかがみ」と「やえがきのつるぎ」の関係についても質問します。

質問上手なクシヒコに思わずにこ笑みてアマテルカミはお答えになります。

目からうろこのお答えにクシヒコは感じ入りました。

ここでやっと、大物主としての責任である八重ガキ、ヤタのことが解りました。

八重垣とは、国と民を守るばかりでなく、モノノヘ(兵士)すらも守るものだっとは!と改めて大物主としての責務を果たすことを誓うのでした。

このやり取りにより感心したのはアマテルカミも同じでした。

昔、天孫ニニキネがクシヒコにヲコヌシのカミを贈ったのであるが、それでもまだ足りない。

素直な性分にて、やまとち(大和道)の教えに適う人物である。と、喜ばれて

「やまとををこのみたまかみ」の名を賜るのでした。

 

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