ホノアカリ(天火明命 火明命 天照国照彦火明命)

 

スヘラキオシホミミの皇子クシタマホノアカリ。イミナはテルヒコ。

大和春日の守ヰヂチの引退を受けて、父オシホミミの奨めもあり大和を治めるため、アマテルカミよりトクサタカラ(十種)を賜りヒタカミ(東北)からナカクニにまいります。

 

トクサタカラについて

おきつかかみ

へつかかみ

むらくもつるき

うなるたま

たまかえしたま

ちたるたま

みちあかしたま

おろちひれ

ははちしむひれ

このはひれ  

 

「傷むことがあれば、ひふみよいむなやこと

まで数えてゆらゆら振るえばすでに罷るも

蘇る、”ふるのとこと”であるぞ。」

とは十種の効用です。

 

向かう地は中央です。ヒタカミの守を拒むものあれば

これを防ぐ必要がありますから、添えは総勢864名にも上りました。

 

ヤマズミの第二子カグヤマ

タカミムスビの第三子フトタマ

ヰヂチの子アマノコヤネ

タカミムスビの第四子クシタマ

カミムスビの曾孫のミチネ

ヤマスミの第三子カンタマ

アカツチの孫サワラノ

鏡造の子ヌカド

玉造の子アケタマ

ミチネの弟ムラクモ

ミケモチの子ウスメヒコ

コモリの第一子カンタチ

天津彦根の子アメミカゲ

カナサキの第三子ミヤツヒコ

コモリの第四子ヨテヒコ

クマノクスヒの御子アメトマミ

カミムスビの玄孫アマセオ

アマセオの従兄タマクシ

サワラノの弟ユツヒコ

タマクシの弟カンタマ

カンタマの弟ミツキヒコ

タカミムスビの第四子アヒミタマ

コモリの第五子チハヤヒ

コモリの第八子ヤサカヒコ

ツノコリの子イサフタマ

オモイカネの子イキシニホ

タカミムスビの第五子イクタマ

少彦名の子サノヒコネ

活津彦根の子コトユヒコ

オモイカネの子ウワハル

ウワハルの弟シタハル

タカミムスビの第七子アヨミタマ

騎馬で守り行くものは以上総勢32名でした。

 

カミムスビの玄孫アマツマラ

ツクバソソの子アカマロ

シホモリの第二子アカウラ

ヤマスミの第五子マウラ

カツラギヒトコトヌシの子アカホシ 

この五人は御車・イワフネのクルーです。

 

大物主のクシヒコは25名の物部を引き連れていました。

この一行は鹿島ー香取で接待を受けた後、アマテルカミの薦めで

伊豆の岬からイワクスフネに乗りイカルガに向かう事になります。

 

イワクスフネの船長はアマツマラの叔父アマツハハラ。

アマツマラはかじ取り、アカウラを船子司、

アカマロ・アカホシを添え水主、マウラは風見という配置です。

 

「つくもより、伊豆の岬に帆を上げて、

沖走る様子は、大空を遥かに駆けるようだ。」

と航海の様子が語られています。

 

天の岩船が大空を駆け巡りやってきた里の名は、

そらみつやまとくにと申します。

 孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)(熱田神宮境内)

祭神 天火明命

宮津の籠神社と繋がるパワースポットとされています。

 

 

最初の宮を「よし」としなかったホノアカリはすぐに宮移しをします。

これに意見した左右大臣のアマノコヤネとクシヒコは失脚します。

 

ところで、三輪三山の謂れはこうです。

ニニキネがワケイカヅチのアマキミとおくり名されたその頃、

国土開発が広範囲に急ピッチで進められていました。

京都広沢池はコモリの息子オオタが、

津軽にはオオナムチがいて沼を盛土した田ができた。

春日の国ではアマノコヤネが大和川を掘って作った三笠山ができ、

伊予の国ではイブキドヌシがニニキネに倣い天山に田をつくり、

アスカ君は富士山を摸して香具山を写し、宮の名もカグヤマ宮としました。

アスカ川沿道を田となしました。・・・これには逸話があって、当時の妻スガタ姫がこのことに異を唱えるとアスカ宮改めカグヤマ宮はスガタ姫を離縁し、ハツセヒメを娶ります。しかし、継子はできませんでした。

 

苦肉の策だったのか、右の臣であるカグヤマの提言か、

カグヤマの妹アメミチヒメを妃にめして、カゴヤマの子タクラマロを養子に迎えいれました。

しかし、妃のハツセヒメは「臣の子」といって

アメミチヒメもろともにタクラマロを追い出してしまいました。

それを知ったホノアカリは怒り、ハツセヒメは里に返されるのです。

 青衾神社(あおぶすま)(名古屋市熱田区)

祭神 アメミチヒメ

 

ホノアカリの目の届かないところで追い出すとは。。。

白雪姫の縄文編のようなお話が目に浮かぶようです。

美しい姫を憎んだ邪悪なお妃さまが、姫を追い出して、家来に殺させるのです。

しかし、家来は「あまりのこと」と美しい姫とタクラマロを逃します。

 

やがて邪悪なお妃の仕業がホノアカリの知るところとなり、ハツセヒメは離縁され、

アメミチヒメは元の鞘に収まりました。けれども、

タクラマロは呼び戻そうとしても二度と戻りませんでした。

熊野は現在の新宮市あたりに居を構えて神倉の下に暮し「タカクラシタ」と呼ばれるようになったのです。

 

カグヤマ宮の大きな功績は香具山を築山したことです。

この山は富士山を摸しており、この山を統べるものは大和全域を統べると信じられていました。右の臣カグヤマのルーツは富士山麓一体にあります。その提言であったにせよ、香具山をつくったことで、今でもカグヤマ宮は多くのお社に祀られる存在となっているのだと思います。子もなく、優秀な弟に国を治めるという事に付いて先を越された感の残るカグヤマ宮ですが、一矢報いたのです。

 

ただ、香具山をつくった本当の理由は別なところにあるように思えてなりません。香具山を写そうとしたもっとも大きな要因は、タクラマロを継子にしたいという思慕の表れではないかと思われるのです。ここを継いでこの山を統べる宮にならないか、と。

タカクラシタは非常に腰が低く身の程を知る智恵モノです。しかも人望が厚い人柄です。文武に優れ芸もたしなむ器用さをもった天才が、
アスカ宮を継いでいたら歴史はどう動いたのでしょう。ホノアカリはこの利発な男の子に惚れこんでいたのではないかと思われるのです。

 

結局継子を設けぬままにカグヤマ宮は身罷ります。

アマテルカミは皇孫の死後もまだ活きていて、後継ぎのことを決めます。

「ニニキネの長男でハラミヤ(富士山麓)のムメヒトホノアカリの息子をアスカ宮の継としてアマテラスニギハヤヒ君とせよ。」とニギハヤヒが十種を受け継ぎました。

このニギハヤヒは神武天皇との戦いで投降し、十種も引き渡すことになります。その子ウマシマチは改めて十種を賜って物部氏の祖となります。⇒石上神宮(いそのかみじんぐう)

 

ホノアカリの足取りは、ホツマツタヱでみる限りヒタカミから飛鳥にやってきてから飛鳥に終わっています。けれども、ホノアカリを祀る人々は丹波、但馬、宮津、越国、尾張へと不思議なほど広がっています。

 真清田神社(愛知県一宮市)

祭神 天火明命

 真清田神社御神紋

 

天の岩船にのり、大空を駆けてそらみつやまと国にやってきたホノアカリ。

左右の優秀な臣を失って民の信望を得ていたとも思えないような感じさえするお方ですが、ロマンあふれる逸話には、自分の身の上と重なる何かを感じるのでしょうか。渡来人の多くがアメノホアカリを祀っているようです。

 

 

 

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