カンヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦尊)

 

15歳の時に父フガヤフキアワセズが罷りました。ウガヤフキアワセズは、母トヨタマヒメが海難事故にあいながらも何とか生き延びて夫のもとにたどり着き、産気づいて産屋の屋根を葺き上げる前に生まれたのでその名がつきました。イサナキのいたタガ宮を直して拠点とし、その後母の里でもある鹿児島宮に、そして宮崎宮で神上がりを果たしました。

イワレヒコは父を引き継ぎ、筑紫にとどまります。

 

そして30年が過ぎたころ。大和の治世の乱れが伝わってきました。

アスカ宮を継いだのはイワレヒコの祖父ホヲデミの長兄の息子であるニギハヤヒでした。アスカ宮は十種を賜る正当性のある皇統です。しかしながら、その臣であるナガスネヒコの横暴な振る舞いに世は乱れ、秘中の秘であるヨツギフミを盗み写すという大罪を犯しているというのです。イワレヒコはシオツチノオチに背中を押されて、ようやく大和討ちへと向かうことになりました。

 

大和討ちはそれほど簡単ではありませんでした。

なかなか紀伊半島に攻め入ることができなかったのです。突破口となったのは、タケミカヅチがタカクラシタに授けたフツノミタマの働きでした。そしてアスカ道の先導役としてヤタノカラスがアマテルカミより遣わされます。

 

ヤタノカラス。

八咫とは八咫鏡と同じヤタと考えると、意味は当時の民の平均身長ということです。

熊野から紀伊半島に入り、その先導役は今でいう熊野古道の案内役の「地元民のカラス」。

この辺りは世の中の罪汚れを集める「隈野」。隈やガシヰをカラス神はイサナミの子。

ヤタノカラスとは熊野に住み着いている神だということは間違いないと思われます。

 

京都山城を拠点とし、海神族であるタケスミがヤタノカラスだという説には???です。

 

ちょっと、イワレヒコから話が脱線してしまいました。

 

初代アスカ宮のホノアカリが築山した天香久山。

この山を作ったことがホノアカリの大きな功績だったのですが、やはりただの山ではありませんでした。イワレヒコが「もう後がない」「これまでか」と切羽詰まったときの神のつげは「香久山の土」を手に入れよというものでした。敵陣の香久山の土を手に入れることはそう簡単ではなかったのでしょうが、これをイワレヒコは成し遂げます。そしてこの歌になります。

 

かんかせの いせのうみなる

いにしえの やえはいもとむ

したたみの あこよよあこよ

したたみの いはいもとめり

うちてしやまん

 

 神前神社(半田市) 祭神 神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)

 

 

この歌を聴いて、真に天が降ろした軍勢であると悟り、自軍を引いた二ギハヤヒでした。

神武天皇がここに誕生したのです。

 

 

 

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