徐福が求めたもの

 

中国では秦の始皇帝の時代、徐福(徐市)なる方士が「東の海の蓬莱山にあるという不老不死の妙薬」をもとめて日本にやってきたというその時代、神武を初代とする7代孝霊天皇の御時でした。欠史8代といわれる2代目から9代目に含まれる天皇ということです。この時代に日本に何が起きていたんでしょう。

 

不老不死の妙薬を求めて西の国からやってきた・・・

確かそういうくだりがホツマツタヱにもありましたっけ。

 

白山姫が語るには、「昔クニトコタチが八方を巡って、西の国をトヨクンヌに治めさせたが、時代が下ると道が尽きてしまいました。ウケステメが越国にやってきて当時東の君であるトヨケ神によく仕えたので、私白山姫と姉妹の契りを結び、みちのくの奥義を授けました。喜んで西の国に帰ったウケステメはコロヒンキミとのご縁を得て王子を生みました。その後再びやってきたウケステメの嘆きは、コロヤマの麓民は愚かにもしし肉を食んで、1000年の寿命が100や200歳になってしまいました。シナ君がチヨミ草を訪ねて出ている。」という

これはアマテルカミ自身が語った白山姫談話ですが、アマテルカミご自身は、国を守るために苦いのを我慢してチヨミ草を食していると語っています。

 

ウケステメが求めたチヨミ草がこのとき手に入ったのかどうかは不明ですが、きっといくらかのものは西の国に渡ったのではないでしょうか。

おそらくはどこにでも栽培できるものではなかったのでしょう。チヨミ草は伝説として西の国で語り継がれたのかもしれません。1000年以上の時を経て伝説となった「蓬莱山の不老不死の妙薬」を求めて日本にやってきた・・・かもしれない徐福と、古い時代の「シナ君」は直接の関係はなさそうです。

 

クニトコタチが行った西の国とはどこか?

コロヤマとはどこか?
コロヒンキミとはだれなのか?

 

 

「チヨミ草が地球に住む人間にとって喉から手が出るほど欲しいもので、それは富士山麓に生えていた。しかし富士山の噴火で全滅し、八つあった湖が三つ埋まって五湖になった。そのころから人の寿命は100歳ぐらいになった。」ということがホツマツタヱの記述からわかります。徐福がやってきた時からははるか昔。時代が変わり暦も変わりました。

 

徐福はなぜだか”不老不死の妙薬”を知っていて、秦の始皇帝に「蓬莱山」の話を耳に入れて膨大な渡航予算を出させて日本行きを実現したようです。一回目は失敗し、二度目の途中で始皇帝が崩御し、徐福はそのまま日本に居つき、秦氏の祖となったという伝説です。時は孝霊天皇の御代後期です。

 

孝霊24年、諏訪の祝からハラミ山の絵の献上を受け、白髭のアメミカゲからはアワウミ(琵琶湖)の絵を献上されるということがありました。先代の時にもハラミ山の絵の献上を受けるも特に気に入らずなんのことも為しませんでしたが、孝霊天皇はこの割符を瑞兆とみてもしや水枯れて久しいハラミ山が潤ってチヨミ草が生えてきているかもしれないと思い至りの御幸となります。残念ながらチヨミ草はなかったものの、ハラミ山を富士山と名付けて称えました。

※正確にはチヨミ草は見つかっとも見つからなかったとも記述がない

 

ホツマツタヱの孝霊天皇記によると、孝霊52年に西ナカに困ったことが起きました。

「チノクチ」「ハリマヒカワ」「インヘヌシ」「ヤマトヰサセリ」に副として「キビ上方の兄ワカタケヒコ」「キビ下方の弟ワカタケヒコ」を派遣し、対立を解いてまつろわせたという記述があります。越国には孝霊天皇の皇子ヒコサシマが派遣されています。

 

ひょっとしたら、ごたごたとは徐福の一回目の来航ではなかったか?と想像してみます。

一回目の来航は500名程度だったようで二艘ぐらいだったかもしれません。

それでも”黒船”のようで地元民は驚いたことでしょう。

詳しい内容が語られていないだけに、想像が膨らみますが、上陸はさせず船長である徐福だけを降ろさせてヒコサシマは徐福と会ったのかもしれません。その真意を計ったはずなのです。その場所が徐福伝説の残る伊根だった可能性はあります。

 

その昔、ホノアカリは900名近い従者を連れてイワフネに乗り大和に降り立ちました。孝霊天皇からは数えて10代ほど時代をさかのぼります。

けれども、外国からやってきたわけではありませんからね。

 

徐福は一回目に失敗し、というよりも何らかのコンタクトを取り、おそらくは「徐福が不老不死の妙薬を求めてやってきた」ということを孝霊天皇の耳にも入れていたのでしょう。そのこともあり、孝霊天皇のハラミ山御幸となったのではないでしょうか。

 

一回目の会談で”まつろう”誓約を交わし、二回目には3000名が12艘の大船団をくみ、各方面の技術者のみならず五穀の種や薬師如来像、文書、学術書などを積んできたようです。まるでノアの箱舟のようではありませんか。生活物資を日本という蓬莱の国に、おそらくは紀伊半島の熊野、東三河の豊橋あたりに持ち込んだのです。

 

チヨミ草がないとわかっても中国に帰ることはありませんでした。

始皇帝が亡くなってしまったことも一つの理由ですが、始皇帝の願いが込められた財を元手にして日本を新天地とすることを決めたのでした。始皇帝が求めたものは”不老不死”だったのでしょうが、本当の宝物は別のところにあることを徐福は知ったのです。言葉という何物にも勝る宝物を手に入れることが最大の目的になったのではないかと思えます。日本語族となることは大げさでなく本当に価値のあることなのです。そのことを徐福は理解し、日本で重要な地位と支配力を持つことを意志したのです。

 

 

ホツマツタヱにも、記紀にも徐福の名は残っていません。

日本には宮下文書や郷土史に見えるのみのようです。国が編纂する文書に残っていないのはそれが国策ということなのでしょう。史書から消えた神様というのはワカヒメ、セオリツヒメ、イブキドヌシ、ツワモノヌシなどくさんいるので徐福だけが特別なことではないのでしょうが、八幡神社が日本一多い神社だという事実はその子孫がいかに日本の中に地位を持ち、浸透しているかということでもあるでしょう。むしろ、日本史から姿を消したのは徐福自身の意志であったと考えます。

 

 

 

 

 

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