オキツヒコ(奥津彦命 奥津日子神)

 

オキツヒコは船霊と竈神、二人います。

今日のご紹介は竈神(かまどかみ)のほうのオキツヒコです。

 

オキツヒコの祖父がソサノヲになります。その第六子にオオトシクラムスビがいます。毎年家にお迎えする大年神であり、家を守るヤマサ神の1柱ですが、息子の離婚問題について頭を悩ませていました。息子の口が悪く妻を褒めることもなくののしることが日常茶飯事でした。激しい言葉というものは、吐き出した瞬間自分の耳からも体に入って火がつき止まらなくなるものです。夫のモラハラが止まらず妻のストレスのはけ口もないまま、優しい口ぶりで近づく男につい気を許してしまったのです。息子のオキツヒコは怒りいよいよ「離婚だ!」となってしまいました。

 

イサワノ宮のセオリツ姫に息子の離婚問題を相談した父クラムスビです。

セオリツ姫はマフツの鏡を持ってこさせます。するとなんとオキツヒコはそこになく、映っていたのはニステ竈でした。つまり歪んだオカマがそこにいました。マフツの鏡とはその人の本性が映る鏡なのです。神社に行くと鏡が置いてあることがありますが、それは祈る人の本性を映すためなのですね。

 伊雑宮(伊勢市)

 

六ハタレの騒乱の時にハタレの本性を映すためにマフツの鏡が使われました。サルの顔が映ることもあれば、鵺・あしもちが浮かび上がったこともあります。肉眼では人であっても、そのマフツの鏡の前では本性を隠すことができないのです。

 

妻のほうはツクマ鍋でした。

米原市の筑摩神社(ちくまじんじゃ)に奇祭鍋冠祭(なべかぶりまつり)が今も残っているそうです。今では8歳の少女が鍋をかぶって練り歩くようです。

過去には鍋冠りは少女ではなく妙齢の女性の役目だった。鍋冠りの女性はそれまでに付き合った男の数だけ鍋釜を冠るという不文律があり、平安時代の歌物語『伊勢物語』にも「近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む」(第120段)と詠われるほど有名なルールだった。Wikiより

 

セオリツ姫曰く、自分の顔さえ映っていないとは恥ずかしさも余りあることでしょう。二人ともがこういう姿になっていることを恥じいり、大いに悔いなさい。と。

 

それでも夫は妻を許さず、妻は恥じ入って死のうとします。

それを押しとどめたクラムスビが嫁にいいます。それもこれも我が子の醜い心を磨くための出来事だったのだ。と。

 

親の教えにオキツヒコは心を改め、再び妻と結婚し仲睦まじく暮らすようになりました。

そして諸国を巡り、

 

よおをふる はしめおわりの つつまやか 

 

夫婦の初めから終わりまで、いつでもどこでも互いに包みあっていて世は栄える

 

と夫婦の道を教えて回りました。

アマテルカミはお喜びで、オキツヒコを竈神と称えました。