筑前國一宮住吉神社(福岡市)

巫女さん筑前國一宮住吉神社(福岡市)
福岡の友人がお引越しの直前にお参りした写真を送ってくれたので、こちらでシェアしながら、私も一緒に探訪してみようかと思います。

まずは西門の外にあるここ。おそらく、祓戸的な役割だと思われます。

天津神社。

祭神 伊弉諾大神(いざなきおおかみ)

ご神徳は開運除災となっています。

みぞぎ祓い祝詞に登場する住吉神ですが、諸神みそぎの時に御祖神として伊弉諾尊が登場します。

たぶん、西門の鳥居です。

ご神門から西口方面を見たところ・・・かな。
西向きのお社ですね。

住吉さんは何を見ているのでしょう。

方向を辿ると、済州島の方角です。

沖ノ島や五島列島などにも住吉神社は点在していて、古くは独立国だったという済州島にも関連する何かがあったのかもしれませんし、大陸に向いていたのかもしれません。

で、ちょっとネットで調べてみると東京にも西向きの住吉神社があるようです。

神職さんに聞いたところでは、摂津の住吉大社からの勧請神社であり本宮を向いているのではということだったらしいが、方角的には少し違うようで。

大阪の住吉大社の参道も、やはり西に向いて伸びています。境内案内を見る限り、本殿も西向きのようですね。うーん。半田市の住吉神社はほぼ南向きなんで住吉神社がすべて西向きではないようですが。

大神神社や出雲大社というクニツカミ系の神社も西向きだそうで。

このように朝日を背負って立っているのです。

何を意識しているのでしょうか。

神武東征のときの理屈と同じかも?

カンヤマトイワレヒコ、のちの神武天皇が不正を討つために大和入りを計るのですが敵もさるものなかなか上陸できずにいました。時に

ホツマツタヱ29あや

すへらきふれる はかりこと

われはひのまこ ひにむかふ

あめにさかえは しりそきて

かみおまつりて ひのままに

おそははあたも やふれんと

みなしかりとて やおへひく

あたもせまらす

日(アマテルカミ)に向かって逆らえば退かねばならないが、日を背負って襲うならば敵は敗れるだろう、とイワレヒコが言えば皆ももっともだと賛同し、熊野から日を背負って大和入りをする手はずになりました。そして万難を乗り越えての大和朝廷創立となったのです。

ここ住吉は、外国に一番近い場所にあり、国防の砦ともいえるかもしれません。

日本の玄関口であり、この参道は日の神に謁見するためのアプローチだったのではないでしょうか。故事により日の神を背負うことで内には恭順の意を示すことでもあったともいえます。

では、大神神社や出雲大社もそうかというとまた別の意図があるようにも思いますが。

住吉神社。名越大祭(夏越し)の茅の輪が設置されています。

ご祭神の住吉神は、和歌の神様という別の顔をお持ちです。

知性的な優しい光が降り注いでいますね。

造船の神として、海があれた時に次のような回り歌をうたい、波を鎮めた神様です。

なかきよの とおのねふりの

みなめさめ なみのりふねの

おとのよきかな

前から読んでも、後ろから読んでも同じ。回り歌のまじないです。

祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命

   相殿 天照大御神 神功皇后

筒男のつつには「星」の意味があるそうな。

航海、海上の守り神です。

住吉神(カナサキ)は、ホツマツタヱ1あやに登場する古い由緒をもつ神様です。

イサナキ・イサナミの第一子であるワカヒメが海に流されて捨てられ、それを拾い上げて育てる約束のカナサキさんでした。ワカヒメを拾って育てたのは西宮の「ひろたのみや」です。

カナサキさんは筑紫を治めたシマツヒコの7世孫で、アマテルカミ御代の全国的騒乱の時の論功行賞で「スミヨロシ」の名と筑紫守を与えられました。

六船玉の一柱で、カメ船を作る造船の神です。

イサナキはカナサキにソコツツヲ、ナカツツヲ、ウワツツヲを祀らせました。

ここが本宮ですね。

娘のハヤアキツヒメアキコはアマテルカミの妃の一人でアマツヒコネを生みました。
アキコは祓戸大神の1柱として大祓祝詞にも名が出ますね。

天竜池。

天津神社の西側です。

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