ノアが漂着した地へ。いよいよアララト山

教会 旧約聖書「ノアの箱舟」で知られるノアが漂着した地への誘いを受けて始めてアルメニアという国へ足を踏み入れ三日目いよいよ大詰めの行程に入りました。

エチミジアン大聖堂やゲガルド神殿が、大分過去の出来事のように感じます。

※写真は同行者撮影のものも含まれています。

ご提供いただきましたことをこの場をお借りして感謝申し上げます。

ノアの箱舟が辿りついたと記述が残る、「アルメニアのアララト山」。

今はトルコ領になっています。

二つ合わせてアララト山です。

頂上に雪を冠している最後の時期で最も見頃だというアシャさん。

今日はまた、雲ひとつない天候に恵まれました。


アルメニアの富士山といわれる大きいほうのアララト山。

その手前に見えるのがホルイヴィラップ修道院です。

大アララト山、似ていませんか?

1000円札の湖に映る富士山のように思っていましたが、ちょっと形が違うんです。
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朝の快適な時間に上る国境近くの修道院への道15分ほどかかると説明を受けました。


振り返ると、私たちのバスが見えます。

帰る頃にはこのバスが3、4台に増えていました。

ここにもハチュカル。

おお、もっと近いアララト山が見えてきましたよ。


アララト山 標高5137mの成層火山

『旧約聖書』にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされる山と目されて、12世紀以降にヨーロッパ人により命名された。
アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。オスマン帝国がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまった。このとき、相当の数のアルメニア人の人命が失われ、アルメニア人ジェノサイドとして国際的非難を浴びたが、トルコ政府はジェノサイドの事実を否認しており、長らく論争となっている(アルメニア人虐殺)。
その後、1920年のセーヴル条約に基づき、旧ロシア帝国領側に住むアルメニア人がアララト山の麓まで領土に含めたアルメニア国家を独立させる運動に乗り出したが、旧オスマン帝国領側に獲得した領土はトルコ革命軍によって奪還されてしまい、ロシア側も赤軍の侵攻によってソビエト連邦に組み入れられた。これ以降、アララト山はトルコ領となるが、1991年のソ連解体によって独立したアルメニア共和国はこのトルコとソ連によって引かれた国境を承認していない。アルメニア・ソビエト社会主義共和国時代においてもアルメニア人のシンボルであることは変わらず、国章にアララト山が用いられていた。現在の、独立後のアルメニアの国章についても盾の中央にアララト山をあしらっており、アルメニア人虐殺とあいまって、領土要求を警戒するトルコとの間で水面下の対立が続いている。
Wikiより

ここからトルコとの国境が見えています。

ここから先は農場を持って許可証を持っているものでなければ入ることは禁止されているそうです。国境を守る兵士がいるようです。

ノアの箱舟旧約聖書『創世記』による物語の要約
神は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。箱舟の内と外は木のタールで塗られた。ノアは箱舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。
Wikiより

ノアの箱舟の破片発見

昔、神父がノアの方舟を探しにアララト山深く分け入っていきます。飲まず食わずで命を落としかけた時、枕元に聖者?神?があらわれ、ノアの方舟を探すことをやめよ。かわりに木片のみ与えるので、それを持って下山するよう夢みたそうです。目が覚めると、そこに木片があり、それを教会に持ち帰って、鑑定した結果、ノアの方舟の時代のものと、その木片の時代が合ったとのことです。アシャさん解説

そのノアの箱舟の破片とはこれです。

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十字架の背景がそれ。

ノアの箱舟は標高4000m付近であるといいます。

年代はおよそ4800年前とされています。

その時日本では縄文海進の最盛期に当たります。世界中で水が多くなっていた時代なのだと分かります。が、日本では海面が3~5m上昇していただけでしたが、アララト山の4000mまで水が来ていたことになりますから単純に「世界の水が増えた」だけではないのでしょう。箱舟が漂着してから大地が動き、山が隆起したということもあり得ます。

ツアーに同行したアルメニア人カレンさんの奥様が言うには、アルメニアの地震は大地が大きく裂けてビルや家を丸ごと飲み込みまた閉じる激しいものと聞きました。地球の意志がストレートに現れる場所なのだという印象です。

ノアの箱舟の木片については、日本では漆の道具などももっと前のモノが掘り出されていることから考えれば、大洪水当時の破片が残っていても不思議ではありません。

アルメニア人にとって今は遠く眺めるほかない魂の故郷アララト山に一番近いここホルビラップ修道院です。ここにはアルメニア正教の総本山エチミジアン大聖堂をつくったアルメニア最初の神父さんの物語が遺っています。


 

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