伏見稲荷大社(京都市伏見区)646~469

神社伏見稲荷大社(京都市伏見区)

今日は蒸し暑くなるという予報。

名古屋から京都に向かうにつれ、雲が多くなってきました。

お仕事前に、初の伏見稲荷にお参りすることができました。

行きはこんな感じ。お昼時でしたが。

おそらく、昔の社標なんでしょうね。

霊魂社。647番目。
伏見稲荷のHP境内案内にはないので、別神社と見ていいのかな。


藤尾社。648番目

祭神 舎人親王

どうやらこの近隣の氏神様らしいですね。

昔は伏見稲荷は稲荷山の上の方に位置していたようです。

当地に足を踏み入れ、事前にお参りできてよかったです。


熊野社。649番目
祭神 伊邪那美大神

参道にはカメラを構える外国人でにぎわっています。

感覚としたら、8割方外国人参拝客では?なんでも映画『SAYURI』に千本鳥居が登場してからの人気らしいです。


楼門。

楼門を守衛する左のお狐さんはカギをくわえています。

楼門をくぐるとまず外拝殿があり、その向こうに

伏見稲荷大社内拝殿。646番目

祭神 下社中央座 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

    中社北座  佐田彦大神(さたひこおおかみ)

    上社南座  大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)

下社摂社 最北座     田中大神(たなかのおおかみ)

中社摂社 最南座     四大神(しのおおかみ)

宇迦之御魂神の系統は三代アマカミであるトヨクンヌの兄弟まで辿りつきます。

とっても古い神様です。トヨクンヌは日本列島の外の国まで治めていたということですが、この宇迦之御魂神となった祖は山城のここらへんにいたということです。

お狐さんが眷族となって宇迦之御魂神をお守りするようになったのは、カダという名の8世孫がアマテルカミに仕えた時代で、筑紫から襲いかかってきた三狐をリーダ―とする集団を捕えて死刑になるところをカダに助けられてからです。

カダは父をツキヨミに殺されるなど、波乱も多いのですが強く優しいイメージをまとう農業の神様です。

佐田彦大神とは猿田彦神の別名です。

サルタヒコの初出は、ミカサフミの「こゑそふのきさきたつあや」でアマノコヤネに質問しているのが見えます。アマノコヤネはニニキネからカガミの臣を務めているので、やはり、「天孫降臨」にまつわる先導役が初めて歴史の表舞台に登場したお仕事とみていいかもしれません。サルタヒコは身体が大きく伸長は4m近くあったといいますし、生まれる時に16年もの間母のおなかにいたという説もあるぐらい今の感覚では測れないほど変わっています。

旧約聖書に出てくるノアの箱舟のノアも1000年ぐらい生きた巨人だったといい、サルタヒコはその子孫であるという説に妙に符合した表現です。ノアの時代はBC2700年ぐらいとされています。そして、ニニキネはというと、神武天皇がBC660年に誕生したとみれば、ニニキネーホヲデミーウガヤーイワレヒコ(神武)で逆算できるはずですが、じつは当時のスメラミコトの寿命は今の計算では測りきれない部分があります。というのも富士山麓に自生していたチヨミグサが枯れたり、食肉をするようになって人の寿命が100年や200年に縮まったという記述があるからです。だから、もしサルタヒコがノアの子孫という事ならば、BC2700~BC1000年ぐらいの存在であるという推測ができます。ニニキネの時にかの地から日本にやってきたサルタヒコがニニキネを高千穂に導いたという流れに。。。

そういうサルタヒコがここに祀られる理由はなんでしょう。

秦氏がそもそもユダヤ民族だったという説によるならば、同族の日本での祖神として祀っているということかもしれません。だとすればサルタヒコが合祀されたのは和同年間ということ。

道開きの神様ですから、旅の多い人々が道祖神として祀ったということもあるでしょうが。。。

サルタヒコさんが合祀されている理由について、同時に参拝した神寶神社のレポートの方でもう少し考えてみます。

もう一人のご祭神大宮能売大神は、6代タカミムスビの娘オオミヤミチコさんのことでしょうか。スクナヒコナなどとは兄弟にあたります。
アマテルカミの東のスケだとホツマツタヱに紹介されています。宮殿の平安を守る女神とされ、産んだ子は彦根市の名の由来となった、イキツヒコネです。

父のヤソキネは白山大神であり、白山姫=キクキリヒメはその奥さまです。シラヤマヒメは西の王母と姉妹の契りを結ぶほど親密です。「西の国」がはたしてどの国のことかはわかりません。そのシラヤマヒメの娘であり、当然「西の国」とは深いつながりを持っていたと考えるならは、秦氏とオオミヤヒメがおおいに関係したということの証左であるかもしれません。

創建は秦氏が社家となった和同年間だとされていますが、創建というよりは再興ということでしょう。秦氏がウカノミタマを再興したのは「食」の部分を管轄下に入れる目的があったことでしょうし、東の君の血を引くオオミヤヒメによってサルタヒコの入植の道が整ったということかもしれません。このあたりの現実的な活躍があって、「西の国」から日本へのルートが開かれた。。。とか。古い神社にはロマンが詰まっています。

本殿の右側に古い神楽殿があります。

左側を進むと外国人に人気の千本鳥居です。

その前にこちらは権殿。本社造営時の仮殿。

さていよいよ千本鳥居へ参ります。

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