神社伏見神寶神社(京都市伏見区)

 

伏見稲荷奥の院から熊鷹社に向かって鳥居をくぐっていくとすぐにこんな標識が右側に立っています。

徒歩二分とのこと。

他のサイトで道が整備されていなくて土だということを知ったので、パンプスで行くのはやめにしました。本当はもっとビジネスチックなコーデを考えていたのですが、こちらの参拝が今日はメインになりそうでしたので。


これです。


こんな感じで、2分とはいってもやぱりパンプスはやめて正解でした。

稲荷山の自然な生態。歩きながら十和田神社を思い出していました。

拝殿の前に、左が地竜右に天竜さんが御守りです。

地竜は蛇、天竜は辰を意味しており、天体の循環と同じく天地を渡り天照大御神の御使いとして奇瑞を現すそうです。この神社のお守りに隼人の盾なるものがありますが、その模様の意味するところと相通ずるものを感じます。

 

とにかく撮影環境と設定がおかしくて、撮影アングルは全くあてずっぽうで撮っています。画面が暗くて見えなかったからですが、アングルはともかく案外明るくとれています。

伏見神寶神社。651番目。

祭神 天照大御神

相殿 稲荷大明神



きれいな色合いのかたしろに願い事が書かれて沢山つるされています。

叶雛(かなえびな)と言うのだそうです。

当地は竹取物語ゆかりの地であるとのこと。美しいかぐや姫への憧れは根強いですね。

摂社 龍頭社。652番目。

祭神 龍頭大神。

龍頭(りゅうず)とは、西陣織の横糸を掛ける金具のことだそうな。

稲荷山の地主神で、衣を守護します。

龍頭大神の由来・祝詞が書かれているようですが、読み取りはキツイです。

磐境(タケノコ石)。653番目。

この地はかぐや姫の原郷ということで、竹の鳥居と降臨の神石を祀っています。

主役のタケノコ石が頭しか映っていないゲッソリ

竹の鳥居には、隼人の盾が三つぶら下げてあります。これ↓


布留社。654番目。

祭神 白菊大神、白髭大神、白竜大神

 

かつては五条通にあったものを道路拡張の際に遷宮したそうです。
なんと、大和布留社(石上神社)とは地下水脈で繋がるといいます。そこから当地に白い布が流れ着いたという伝説があります。

 

他にも底津岩戸社があるようですが、とにかく社務所から奥は「そこで行き止まり」と神職さんがおっしゃるのであまり突っ込まず。でも、布留社に参拝できたことは収穫でした。

 

さて、不思議な伝説の残るお社ですね。

一つは「かぐや姫原郷伝説」

一つは「十種神寶を祀る伝説」※沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死反玉(まかるかえしのたま)、道返玉(ちかえしのたま)、蛇比礼(へびのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品品物比礼(くさぐさもののひれ)の十種をいいます。この宝を振りながら祭祀を行えば死人も甦るほどの呪力があるといいます。

 

かぐや姫の原郷

かぐや姫のモデルではないかと思えるぐらいのお話がホツマツタヱにあります。

神武天皇の母がその人なのですが、、、

 

ホヲデミの妻豊玉姫の弟カモタケスミとイソスズには長きにわたり子がおりませんでした。ワケイカヅチの神に祈って一人の娘を授かり、夢知らせでタマヨリヒメと名づけましたが両親ともにすぐに亡くなり河合神となりました。タマヨリヒメは一人、ワケイカヅチの神を祀っておりました。娘一人山にいるをいぶかるものもいましたが、タマヨリヒメは頑として人と交わりませんでした。ある日、白羽の矢が立ちタマヨリヒメは一人の男子を為します。男の子が三歳になると、父がワケイカヅチの神と知れわたります。諸守が姫を娶ろうとしても応えず日枝高野の森に隠れます。

 

ホツマツタヱ27あや

ときにいわくら うかがいて

つかいおやれど きたらねは

みつからゆきて まねけとも

うなつかぬよし かえことす

わかやまくいが もふさくは

おしかとならて こぬゆえは

わけつちかみお つねまつる

めせはまつりの かくるゆえなり

 

中略

 

おやのたけすみ いそよりが

まつくたまより はてがまご

こはちちもなく かみなりそ

ちちがなければ いみなせず

いつものきみと ひとがよぶ

ことばもくわし すきとほる

たまのすがたの かがやけば

みことのりして うちつぼね

 

タマヨリモデルの場合、竹取り翁はニニキネ(ワケツチノカミ)ということになり、子の父でもあるというわけで。ただ、場所は比叡山の麓ということなので、伏見とは違います。

 

一般的に竹取物語のモデルとしては垂仁天皇の妃であり、舞台は大和広陵町であるというのが知られているものかもしれません。

 

神寶神社に残る「大和から地下でつながる水脈から流れ着いた白い布」が白羽の矢のアレンジと取るならば、大和に「神」がいてこちらに「姫」がいたというのもアリなのかも。

 

美女をめぐる同じようなお話はいつもあったものなのかもしれません。

かぐや姫は時代を少しづつ変えてあちらこちらにいたのかも。

 

 

十種神寶を祀る​神社
そもそも、十種神寶とはいつ、誰にもたらされたのでしょう。

ホツマツタヱにも記述があります。まさに「すめみまことくさゑるあや」というタイトルです。

アスカを治めていた春日が年老いたので引退したいとなり、そのあとをアマテルカミの皇子オシホミミ自らアスカへ行こうとすると、ヒタカミの民は行かないでくれと懇願したので、息子のクシタマホノアカリテルヒコをアスカ宮としたいと伊勢の父に文を出した返事に。

 

ホツマツタヱ20あや

ここにとおやの あまつかみ

とくさたからお さずけます

おきつかがみと へつかがみ

むらくもつるぎ うなるたま

たまかえしたま ちたるたま

みちあかしたま おろちひれ

ははちしむひれ このはひれ

このとくさなり いたむこと

あらはひふみよ いむなやこ

とまてかそえて ふるゑたた

ゆらゆらふるゑ かくなせは

すてにまかるも よみかえる

ふるのことそと みことのり

 

こうしてアマテルカミから十種神寶を拝受し、ヒタカミを出立するホノアカリの護衛として総勢864人と共にアスカ宮に降り立つことになったのです。

ホノアカリは子もができないままに亡くなりました。その後亡くなったホノアカリの弟ニニキネの長男の方のホノアカリの息子であるニギハヤヒが二代目アスカ宮を継ぎ、とくさたから(十種神寶)も引き継いだのです。

 

しかし、ニギハヤヒの大臣ナガスネヒコの不祥事により、戦いの結果としてアスカ宮は取りつぶしになりました。その際に十種神寶は神武天皇に奉納されます。投降の意思表示にニギハヤヒの息で物部氏の祖ウマシマチは「ふつのみたま」を賜り石上神社に祀ります。

 

と、いうことですから、ホツマツタヱでは「とくさたから」は「ふつのみたま」とは別物です。

でも、今に伝わる伝説はその二つが混交してしまっているようです。
 

ところで、とくさたから(十種神寶)にはどのような意味があるのでしょうか。

 

旧事本紀では天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)

鏡二種 沖津鏡(おきつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)

 大極と小極の意味

剱一種 八握剣(やつかのつるぎ)

 破邪顕正の勇気 邪気を払い叡智を導く

玉四種 生玉(いくたま) 死返玉(まかるかへしのたま) 足玉(たるたま) 道返玉(ちかへしのたま)

 四魂を整える

比礼三種 蛇比礼(おろちのひれ) 蜂比礼(はちのひれ) 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

 古代の女性が首にかけ、左右に垂らしていた布。別れ際に無事の再開を祝って振った。天地と宇宙、人体を清め神人一致の作用を結ぶ。

 

例えば、八握剣は大蛇を退治した時のモノで、アメノムラクモ剱は大蛇の中から出てきたモノです。ホツマツタヱの言葉は少し違うのでしょうが似たような意味で使っているのかもしれません。

 

兄ホノアカリ⇒ニギハヤヒ(養子)⇒ウマシマチと引き継がれて、東征の折神武側に納められた十種神寶は、誰が言ったか「あまつしるし」と言われてこの時のように二朝が争う元になりますので、朝廷側がみすみす手放す事はないはずです。しかし、その後神寶の行方について、ホツマツタヱではよくわかりません。本来のあまつしるしは「みくさたから(三種神器)」であり、これは弟ニニキネ⇒ホヲデミ⇒ウガヤ⇒神武天皇へと引き継がれています。

三種とはト・ホコ・カガミです。トの象徴は勾玉。教えというか、あり方、宇宙法則を示すもので時のスメラギが担うものであり、ホコはヤエガキの剣ー国家安泰、防衛のための方法論であり地球の法律というもので、ヤアタの鏡は当時の民の平均身長を現わしたそうです。つまり、君・臣・民が協力する政体を表現しているともいえます。

三種は後に分けて管理されることになりました。三つが揃った時に初めて重要事項が発令されるという三権分立のような仕組みです。これは天照大御神のときに完成した、まさにイソノミヤの政体なのです。

 

ホツマツタヱの中では行方の分からない十種神寶がここ伏見にある、、、

そして、ここにはウマシマチがフツノミタマを神武天皇から賜り祀った石上神宮とつながる布留社があります。石上神宮(いそのかみじんぐう)には11月22日に天神社・七座社の鎮魂祭が行われています。起源はウマシマチが十種神寶と鎮魂(たまふり)の神業を物部系の呪法により神武天皇・皇后の長久長寿を祈った事に始まるとHPに書かれています。つまり、十種神寶はウマシマチの元にあったということです。本物かどうかは別として、呪法は伝わっていたはずで、今でも連綿と続いているということです。

 

三種の神器が分立したように、十種神寶も分けて置かれたと考えることはできます。伏見の布留社に流れ着いたという白い布は「比礼」のどれかを象徴しているのかもしれません。

あまつしるしの神寶を奪い合い、争いの元になることは想像に難くありません。文書に著わしたとしても暗号化されたり、分けて置かれることもあったし、神社ではなく寺に隠されることもあったでしょう。

伏見神寶神社の場合、片隅に鎮座する布留社にこそお宝が隠されているということでしょう。

そこで為される祭礼や神業があるとしたら、それがお宝なんでしょうね。

隠された布留社。社標もないのですから、伏見稲荷を訪れる一般観光客の目に触れることは多くはありません。

 

後一つ、謎がありました。

隼人の盾がなぜここに?

もともとは海幸彦の子孫であるという隼人。隼人と呼ばれる民族が京都南部に暮らし、大隅隼人と呼ばれています。隼人の祀りが伏見にも波及していたということなのかもしれません。

その模様の意味は

①相対する人のエネルギーを我身に取り込み倍にして相手に送り込む形で、魔に対して防衛するもの。海幸彦は治める場所の件で山幸彦と反目していた。なので山幸彦に対して一計諮り自慢の釣り針を失くさせて自分の立場を上げようとしたが結局はうまくいかず、山幸彦が跡取りとなりアマカミを継いだ。海幸彦は自分の策略により痛い目にあった。隼人祭り踊りはその様子を現わしているという。ご先祖様から伝わる侵してはならぬ「掟」ともいえようか。

②龍を意味する古代文字

③縄文土器に見られる逆S字と同じ模様。土器、神社の狛犬など日本の各所にみられる

④中央アジアから馬車を持ってヨーロッパに渡来しブリテン諸島に居ついたケルト人の持つ模様と同じ

などの情報があります。

 

隼人の盾の渦は上が右回りで下の左回りになっています。
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これをイサナキ・イサナミの国生みに当てはめると、上はイサナキ、下はイサナミと捉えられます。イサナキは御柱を右回りに、イサナミは左回りで二人が出会ったことで上手く日本がつくられたのです。創造の原理がここに記されていると見ることができます。

 

隼人の盾の中で、少し対立を感じる部分は赤・黒5つの山です。

一つにつながった二つの螺旋を「創造原理」とみるならここにも創造原理の性質の一部が言い表わされているのでしょう。「五」という数は母音の数であり、五行、五体、五階層・・・というふうに地球上の摂理であると言われています。五という数は地球上の創造には欠くことができない数字なんですね。そして、黒山が地にあり母音の五音を現わしています。赤が天から降り注ぎ父韻を現わし10個の山を数えます。父韻は母音と合体して子音の創造が起きるのです。

 

というわけで、隼人の盾は「地球の創造原理」を表わすもので、それを持つことによって天地と一体になり自ら創造する者となるために文字以外の表現をしたものだということです。

あくまでも私の解釈ですが。

なぜ隼人がその図形を盾にしていたのかは知る由もありませんが、地球の創造原理を知っていたことになります。元をたどればスメラギの皇子だということなので、秘儀である宮中神事が漏れ伝わっていたとしてもおかしくはないですね。

 

縄文の土偶や土器に記された同じ渦も創造原理を言い表わしているのでしょうし、地球の創造原理である以上、地球上のどこにも共通する図形のはずです。

 

 

神寶を奉祀するこの神社に「地球の創造原理」をより働かせるためのお守りでもあったのでしょう。

神社って、大切なことの暗号がいろいろなものに埋まっているということを改めて思いました。

私たちの日常生活にも「本当のこと」が隠されて伝えられています。昔話の中、お鏡もち、七草がゆ、雛まつり・・・だんだんとすたれていく日本の行事の中に「本当のこと」が沢山埋められているのです。けれども嘆く必要はないんです。日本語という最たる神寶を日本人は手にしています。その使い方を知らないだけです。

 

 

伏見稲荷神社の中社に祀られているサルタヒコについて。
サルタヒコと隼人は深い関係があります。

ニニキネの八州巡りの時に、サルタヒコはウカワでニニキネを接待しています。

もともとウカワにいたのはサルタヒコですが、ニニキネの威光に服し自らはアマテルカミの元、伊勢へと移る旨を述べてニニキネにウカワを譲ります。ニニキネにはホノアカリ、ホノススミ、ホヲデミの三子がいますが、真ん中のホノススミ(海幸彦、白髭)の病をサルタヒコが直した縁があることから、ウカワを海幸彦であるホノススミに治めさせたのです。それに異を唱えたのが山幸彦であるホヲデミだったのでした。それで二人は反目することになったのです。

 

隼人の祖先は白髭とも呼ばれる海幸彦ということですから、「ウカワを治める者」であるわけでサルタヒコとのつながりが見えてきます。サルタヒコその人を白髭とする場合もあります。

そして、当地の布留社ご祭神には白髭大神の名が見えます。当地は、ここに居ついていた隼人と後から来た秦氏の繋がりを示唆するひとつの場所ではあるようです。

 

参考http://www.kyotofukoh.jp/report1397.html