三内丸山遺跡を昨年夏に見てきました。
そこに見られる縄文人の生活を肌で感じて思うのです。

器、針、おしゃれな衣装に、イヤリング・・・
あ、同じ。変わらないんだ。今生きている私たちの暮らしに
約5500年前からそのままつながっている。
遺っているものは、私たちの骨格となって今も生きている。

そう感じられるのです。

こんにちは!
神ヲタ建築士 久田貴子です。

 縄文人テイスト

「縄文時代」は今世界のTOPクラスから注目を集めているのだそうです。1万年続いたと考古学上でもわかってきている日本の縄文時代。持続可能な社会はどうやってできたのかと。

地球は今いろんな問題であふれています。地球を壊したり、人類存亡の危機を避けるためにすべきことは何なのか。それを知る一つの手立てとして日本の縄文時代の研究に余念がないようです。

昔帰りや自然回帰というだけでは問題は解決しません。縄文時代の”政治”社会”経済”の在り方、教育や生活ぶりなど、日本文化の土台となった精神の在り方そのものへの深い理解が必要だと思います。

幸いなことに私たちは日本人ですから、縄文人の血を受け継ぎ、文化も受け継いでいます。幸せが末永く続きますように、持続可能な暮らしがつくれますようにとのいのりを込めて、縄文の人々の考え方を学んでいきたいと思います。

神社のご祈祷祝詞にみる建築様式

神社にいって御祈祷・祈願・正式参拝をされたことのある方も多いと思います。
そこで宣られる大祓い祝詞の原型はアマノコヤネという神さまがつくられているので、相当に古い由緒を持っています。アマノコヤネ命は天孫ニニキネ(ニニギノミコト)から三代のスメラギに仕えた方です。オオクニヌシ命と左右の大臣としてコンビを組んだ仲です。

オオクニヌシ命がその名を賜ったのは、天孫ニニキネの初めての宮を造営し国の繁栄を盤石にした功を称えられてのことでした。ですから、オオクニヌシ命は建築家第一号と言ってもいいのですね。

オオクニヌシ命は才能豊かな方で、父であるオホナムチ命の補佐をして「事代主命」、オホナムチ命を諫めて「恵比寿神」の異名を持ちます。何しろ、誠実に実直に国を大きく盤石に育て上げた大きな功労者であることは間違いありません。

右の臣であるオオクニヌシ命と引けを取らない才能と人望を持ち合わせていたのが左の臣、アマノコヤネ命なのです。アマノコヤネ命は、父である春日神、叔父である香取神、舅である鹿島神ともう一つ子孫繁栄の奥義の4柱の奥義を受け継ぐ神だったのです。(画像は春日大社、アマノコヤネさんの在所です)

そのアマノコヤネ命が、アマテルカミ神上がりの際に「ふとのとこと」を司ったのです。それが大祓祝詞となりました。大祓祝詞のなかに”宮造営”の一部が表現されています。

したついわねに みやはしら ふとしくたて
たかまのはらに ちぎたかしりて

いわね(磐根)に太い柱を直接立て、高天原に千木をあげる。

2000年ごろ出雲大社に直径約1.35mの巨木を3本組にして1つの柱とする、巨大柱が発掘されました。この話を聞くと大祓の”いわね(磐根)に宮柱ふと敷く立て”の部分を思い出さずにはいられません。これは、三内丸山遺跡の巨大櫓にも共通しています。

また、伊勢神宮は20年ごとの式年遷宮の際に建築様式も昔のまま、柱は掘っ建てであり、千木は高らかと天に伸びていています。

この建築様式を大祓祝詞に盛り込んだのには、どんな意味が込められているんでしょう。

繁栄の神 オオクニヌシ神

皆さんも神社で御祈祷を受けるときに宣られる大祓祝詞に繰り返し出る言葉があります。
それは「安国と平けくしろしめせと」「平らけく安らけく」という言葉です。つまり、「平安」の世の中を意宣っているのです。

国を繁栄に導いたオオクニヌシ命の「宮づくり」によって人々が幸福と平安を得る姿を、アマノコヤネ命は傍らにいてまざまざと見ていたのです。

宮づくりの魔法!(画像は大神神社。オオクニヌシの御座所はどこが本拠地になるかなと。生誕地出雲にはあまりいなかったと思うし、関東でもなかった。やっぱりその本家筋が居ついた場となると、ここ大神神社かと)

アマノコヤネ命は空間づくりの奥義を見て、感動を以て世の中の平安のために宣ったに違いないのです。

その「宮づくり」のエッセンス、縄文のテイストが現代のミニマルライフのベース”いそのみや”につながります。ぜひ知っておきたいですよね。

というわけで、ホツマツタヱに記述された”宮づくり”を紐解いていきます。

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