古神道は「祓いで始まり祓いに終わる」
というくらいミニマルライフを徹底しています。

そして、日本人の曼荼羅は日常生活の中に浸透しているんです。
鏡餅がそのいい例です。

決して理念や概念やイメージだけではなくて日常の暮らしに生かされているのです。

こんにちは!
神社おたくの建築士久田貴子です。

ホツマツタヱについて

ホツマツタヱは1966年神田の古書店で写本が発見された、記紀原書と言われる書物です。独特のヲシテ文字による10700行の五七からなる書物です。

ご縁を得て私は2~3年前から読み始め、これを杖にして900か所(2017年現在)近い神社・境内社巡りをしてしまったほど興味深い内容が満載で、驚くことだらけでした。

宮づくり則についてもこのホツマツタヱに詳しく記されており、この場で解読を試みたいと思います。当時の宮づくりに込められた願いが、今の住宅や空間づくりに生かせるのではないかと思うからです。

早速ホツマツタヱを読んでいきます。

宮づくり則の成り立ち

天孫ニニキネは「すめみまご」とか「あめみまご」と呼ばれアマテルカミの孫としてその元で育ちました。
当時、次代を担う皇子たちは任務に忙しい父天皇に変わり祖父が男子を養育したようです。アマテルカミ(ホツマツタヱでは男子)も東の君(皇)である祖父の豊受神の元で育ったのです。

当時八重垣の臣(大物主)の治める出雲ではソサノヲ命の威光をうけて繁栄の国を築き大社を立てていました。それを見たニニキネ命が独立し初の宮をつくるその時に、国の発展に大いに役立つものと考え当時の大物主であったソサノヲ命の孫に宮つくり則を「ふとまに」に組み入れるべく依頼したのでした。※大物主とは八重垣の臣のことで、国防とか警察、裁判を担うような任務のことです。ソサノヲ命が八重垣旗の下賜をうけてから代々出雲の守が担っていました。

この大社の威容は後にアマノコヤネ命によって、大祓祝詞に組み入れられます。

神さまの家づくり心得

①まず、お宮用の植樹をします。
②良き日取り(キノヱ・子)に斧を入れて木を伐採します。
③良き日取り(ミズノエ・午)に礎をつくり柱を立てます。
④中柱を立て隅の柱を南⇒北⇒東⇒西の順に立てます。
⑤柱の立ち方によって、外界の人々の様子を知るための門の位置を決めます。
⑥棟上げはヒノエ・子に祝います。
陽と12月に合計十三膳と、アモト八神に八膳、そして餅を366個と弓矢を棟に据えます。
柱には五座(ゐくら)の五膳と、六臓(むわた)とトシノリタマメ神への七膳を祀ります。(膳ではなく柏手を打つという解釈もあります)
一晩皆で酒を汲みかわし、幸をふり、棟と柱根に槌を打ちます。
その時に匠は、ムの印を結び祝詞をあげます。「天地に開く家に神あれば、災いは遠のき、家の主は長生きをする(あめつちの ひらくむろやの かみあれは ゑやはよわかれ ぬしはなかかれ)」三度唱えた後餅投げをします。

今でも地鎮祭はほとんどの新築住宅でなされますし、上棟式は少なくなってきていますけれども、住宅建築の工程の中ではおおきな節目のお祝いをします。工事関係者に施主からお祝儀をいただいたこともあります。

実家の建て増しの時の棟上げの日は、地域の男衆が集まってきて手伝いをしました。当時はバケツやらなんやら日常品の様々な道具を引き出物としてお祝儀に変えていたと思います。昭和40年ごろのことです。でもまさか、10代目アマカミ様の時代に取り決められていたこととは知りませんでした。餅投げも当時のころから「みやつくり則」にしたためられたことだったわけです。

この宮建築法により国と民に幸運と繁栄と安泰を招き入れたソサノヲの孫クシヒコさんは、これを称えられてオオクニヌシの名を賜ったのです。

宮づくり則、まだまだ続きます。

 

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