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 ひな祭りの神様

ひな祭りがこうして今の世にも残っているのには

一柱の神様のご尽力があったからです。

その神の名は一寸法師のモデルともいわれる少彦名命。

オホナムチが岬にいるとカガミの船にのってやってくる人がある。名を問えばカミムスビの出来損ないの落とし胤「スクナヒコナはこれ」という。

オホナムチとスクナヒコナはそこから一緒に全国を巡って

病気直しや農耕指導などして民の暮らし向きを良くしようと努めたのでした。

けれども二人の蜜月も終わりを告げると、

スクナヒコナは寂しくひとり雛祭の伝えを

琵琶のような楽器(カダ)をもって地域を巡り伝えまわったのです。

最後は、和歌山の加太の浦あたりで神上がり”淡嶋神”とたたえられたそうです。

加太淡嶋神社のこと

スクナヒコナはオオナムチと国々を巡って民の生活向上に努めたので

色々な神社に祀られていますが、

ひな祭りを伝えた功績は加太淡嶋神社にみられます。

加太淡嶋神社には全国から人形供養の人形が集まります。

髪の毛が伸びる人形があるというのでTVで話題になったこともあるそうですが、

人形がたくさんすぎて気味悪がられるのは困ると

「怖くない」ことをしきりに宣伝しています。

スクナヒコナご縁の神社だというので、

玉津島まで行ったときに寄ろうともしたのですが、

その時は弾丸スケジュールで叶わず

この目で神社を体験することはできなかったのはちょっと残念です。

ひな祭りの起源

スクナヒコナが「大切なこと」と思い人々に伝えた雛祭りとは

どういう由来があるのでしょう。

4代目に世を継ぐウヒチニというカミの御代。地固まり国が広がっていくときに男神だけでなく女神もともに国づくりに必要と結婚の儀が初めて行われることになった時のことです。皇が越前日野山の宮に桃の実を植えられたところ3年後に花も実も百個も生じたのでした。結婚する前のウヒチニをモモヒナキ、妻のスヒチニをモモヒナミと呼びならわすのは、結婚する前、半人前の男(ヒナキ)半人前の女(ヒナミ)として婚儀に臨むからです。結婚により男女二人が一緒になって一人前になるのです。
婚儀は弥生三日に行われます。
酒を初づくりし桃の下で器に注いだ酒に月を映して最初ヒナミが飲み、次にヒナキが飲み、初床に入りました。

それから4世代ぐらい下った時代のスクナヒコナが

民に伝えまわったのは「婚儀」のことだったのですね。

それからというもの民も正式な結婚を交わすようになったということです。

現代にいたるまで引き継がれた未来永劫の繁栄をいのる祭り

「三月三日を超えてお雛様を祭るとお嫁に行けない」

というので、三月三日に片付けられない場合は、

ウチではお雛様を後ろ向きに置く習慣があります。

民間に伝わったひな祭りは「女の子の幸せな結婚」を願う祭りなんですね。

ひな人形の御召し物はほとんどが十二単です。

894年遣唐使が廃止されてから、日本独特の着物が発展し

十二単に進化していったようです。

桃の節句は縄文から宮中の嘗事(なめこと)であるのですが、民間においても

平安時代のままに現代まで踏襲されたことを物語っています。

婚活ひな

昔から、ひな人形には娘の幸せな縁談を望む両親のこころが込められていたんですね。

娘もその思いを受け取り結婚することを当たり前に思ったのでしょう。

ひな祭りは生まれて最初にする婚活なのかもしれません。

理想的な結婚を望むひとはウヒチニ・スヒチニの故事にちなんで

気に入ったお雛さまを飾ってみては?

 

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